2008年02月05日
設題1 最終回
【捕捉篇】
川さんは、僕の話を聞いて一言、
「成る程な」
と言って、チェリーにマッチで火をつけた。先輩の広瀬啓三郎警部補もわかったらしく、横で聞いて頷いていた。恥ずかしい話だけど僕は、この時はまだ、何の事かサッパリだった。だから、教えてくれって二人に頼んだんだ。広瀬さんは、稲葉の説明は充分だと感じていたらしく、僕が質問する事に驚いていた。川さんはそんな僕を見て、仕様がないな、と言う顔をし、煙りを吐いて説明を始めてくれた。
「蚊だろうや。奴らが炭酸ガスやある種の乳酸に誘導される事は、知っとるだろう。つまり、気化したドライアイスの二酸化炭素に呼び寄せられた神社の薮蚊が、ガイ者に群がったって訳だ。冷えた蒟蒻は、いくら夏だからって、こういった事には向かねぇだろうよ。蒟蒻が暖まる迄、ドライアイスは解け放題だろうが」
って、ね。
なるほど、ドライアイスは解けたんで、現場から発見できなかったんだ!僕にはまるっきり、マリオットの盲点だったよ。現場をいくら視たってダメな事はあるんだ。僕ら捜査員は、帰ってから考える事をしなきゃイケナイね。
川さんは、文学部出身の割に、科学の用語に強い。確か専門は近代国史で、江藤新平とかいう人が、卒業研究のテーマだったとか。江藤新平って人は、川さんの故郷の著名人で、行政と司法を分離して、司法権を独立させたり、警察制度の整備をした人らしい。だから川さんは、その人の影響をうけて、警察に入ったって、前に言ってた。
「それに、誘導された蚊は、今度は熱に反応します。生物の体温にです。蒟蒻との摩擦で、熱が生じたのでしょうね。そういう部分は、狙われやすいと推測して間違いないでしょう。その上に、その部分は充血していた。だから、亀頭部分を大量の蚊に刺され、余りの痒みにかきむしってしまった、というところでしょう」
と、広瀬さんが続けた。こちらの専門は情報工学らしいんだけども、ついでに科学にも詳しい。
二人の話を、もう少し易しくしてみよう。つまり、
「仲山氏は神社で、ビニ本を視ながら、コンニャクを使った手淫をしていた。八百屋で仲山氏はドライアイスをもらって来たが、彼がそうしている間に、それは解けてしまった。ドライアイスは炭酸ガスの凍ったモノで、炭酸ガスは蚊を呼び寄せる。そして現場は、ただでさえ蚊の多い夏の神社だった。彼の男根は、コンニャクとの摩擦熱で、常温よりも、蚊を呼びやすい。目的の達成された後、だらしなく寝そべっていた彼は、男根の先を大量の蚊にさされた。とても痒い。コンニャクを投げ捨て、両手で掻いた。爪をたてて、(男根を)激しく掻いた。案外気持ちが良かったので、もっとハードに掻いた(男根を)。そのうち、(男根の)皮膚が破けた。(男根は)充血している。当然、激しく(男根から)出血する。ドバっと出血する(男根から)。彼は生命維持に必要な量の血液を失う(男根から)。彼は死んだ」
って訳さ。なんか、こうやって書くと、酷くマヌケだ。こういう死に方だけは、僕は遠慮したい。
「あの店主は、こうなる事がわかってたのかも知んねなぁ。おい、広瀬! こちらの動きにヅク前に、あいつをおさえろ! 俺が取り調べて札を取るっ!」
って、それから川さんは急に叫んだ。
「しかし川副さん。あの店主を参考人とするには、まだ早いのではないでしょうか?」
と、広瀬さんが言うと、
「引っ張って突っ込んで聞いてみるだけだ。たいした問題じゃ、あるめいよ」
と、川さんが言った。それで僕が、
「だけど逮捕できたとしてですよ。今の説明で、起訴できますか? 誤認逮捕とかって、叩かれませんかねえ」
と言うと、
「バカ野郎! シロクロ着けんのは裁判所だろうが! 判断のハンの字は、判事の判だ! 札が下りるか、起訴は出来るか、ぶちこめるか否かって判断なあ、俺達の仕事じゃねえだろ。俺達警察は、妖しい奴をしょっぴいて、尋問して、ますます妖しけりゃぁ、検察に渡すだけよ。何年やってんだ、被疑者と犯人たあ、別の言葉だろうが! ブン屋共の世迷い言に惑わされんじゃねえ。テメエの本分を全うすりゃ良いんだよ。誤認逮捕? 結構じゃねえか。間抜け共に書かせてやれ。犯人を取り逃がすよかぁ、よっぽど良いじゃねえか。そんなんで腰が引けてりゃぁ、刑事部は勤まんねぇぞ!」
そう言い川さんは、灰皿にタバコの吸い殻を押し付けた。
川さんが言いたいのはこういう事だと思う。妖しい奴がいるにも関わらず、証拠が不十分と言う事で警察が手を出さなかったら、本当に犯人だった場合、証拠を消される恐れがある。下手をすると、次の犯罪を犯すかも知れない。だから、妖しい奴がいたら、さっさと確保しろって事だ。逮捕されるって事は本来、別に不名誉な事でもなんでもない。刑事事件で起訴される事もそう。基本的人権ってやつだ。最近はマスコミニュケーションが、逮捕と事件解決を同一視しちゃってるもんだから、まるで被疑者が即、犯人であるかの様な誤解が世に氾濫しちゃっている。マスメディアが作り出した、被疑者や被告人を意味する「容疑者」って言葉には、犯罪者って意味がはっきりと込められてる。だけど、犯人かどうかは裁判所で争われ、判事が決める事なんだ。だから僕らは、恐れる事なくしょっぴけば良い。そのかわり、取調べは厳しく追求する。冤罪は、絶対にいけない。だから、検事に渡す書類は、完全な物にしなければならないからなんだ。
その日、重要参考人の名前が付かない内に、川さんは通常逮捕の手続きを裁判所に請求した。八百屋の主人を任意同行で引っ張った後逮捕し、川さんとお杉が取り調べて、それからは勾留の必要もなく、直ぐさま送致ができた。僕も、実況検分調書や供述調書など証拠物の作成を手伝ったんだ。
今回の様なケースでは、殺意の立証は難しい。実際なかったのかも知れない。八百屋の主人は、仲山氏を困らせる為に、ドライアイスを渡した事を認めているけど、ドライアイスと死因との、明確な因果関係を証明する事は難しいらしいんだ。だからこれ実は、未だ裁判中の事件なんだ。
だけど、稲葉の推理は間違っていないだろう。それを鮮やかだと思う事に、僕は変わりはない。
投稿者 strap : 2008年02月05日 23:43