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2006年09月10日
「墓石村事件」 3
昭和六一年。グランプリ・レースの話で言えば、アラン・プロストが、ナイジェル・マンセルに競り勝ち、二度目のワールドチャンピオンになった年だ。スペースシャトルチャレンジャーの空中爆発、三原山の噴火、ハレー彗星の接近、マルコス政権崩壊、与党新自由クラブの解散。こう書くと、わかりやすい人にはとってもわかりやすいだろう。もっとわかりやすく言うと、ウクライナの原発事故の年でもある。
「あの写真は村の駐在さんが、事件解明の手伝いをしたお礼にと、自慢の二眼レフカメラ、東光のプリモフレックスで撮ってくれたのですよ。ちょっとピントがズレていたでしょう」
「駐在員」と言わずに、「駐在さん」と言うところに、なんだか広瀬さんの駐在員に対する親しみが感じられた。東光とは、東京光学機械株式会社という昔の有名なカメラ屋で、ストラップさんの持っている九七式狙撃銃用光学照準器なんかも、東光の製品なんだ。
「私がKITの四回生、ストラップが三回生の時ですね。この事件の後、例の一族連続殺人がおきるのですよ」
「例の一族連続殺人」とは、福岡、大阪、埼玉、岡山の各地でおこった連続殺人事件で、被害者全員が親戚だったっていう事件だった。この事件も未解決だ。
「私は三回生の後期から、卒業論文用として、多重媒体の可能性について研究していました。横文字で言えば、マルチメディア、主にネットワークに関する研究ですね。そして、私が所属していた宮田ラボラトリーに、特別待遇研究生として、設備工学科のストラップが入ってきたのです」
広瀬さんはハードにも強いが、大学の専門はソフト系だった様だ。コードプライヤーや絶縁ドライバー、検電ドライバーといった、七つの工具を常に携帯している広瀬さんであるから、ハード系であってもおかしくない気もするけどね。まあ、符号理論の論文で工学修士の学位を取得したっていうから、ソフト系なんだろう。片方に精通する為には、片方の理屈もある程度知る必要があるのかも知れない。大犯罪者が、僕達刑事の手法を研究する様に。
「特別待遇研究生ってのは、一体何だっチャ?」
「簡単に説明すれば、先生の話し相手です。宮田出巳夫先生が面白いってつれて来たんですよ。先生は巳年生まれの藤枝市出身で、サッカーの話が大好きでした。電々公社の技術開発スタッフの出身で、当時も今も、少なくとも九州一のスペルユーザーです。私などはとてもとても、足元にも及ばない。天才と言うのは、ああいう人の事を指す言葉なのだと思います」
広瀬さんは、コンピューターに関しては相当な使い手の筈。と言うか、僕達は広瀬さんを天才だと思っている。だから、広瀬さんよりも本当に上ならば、宮田先生って人は、大天才の一種なのかも知れない。きっとそうなんだろう。
「そういう先進的な指向性の持ち主の常として、常人とは違った思考や志向、嗜好を先生は持っていました。特に先生は、奇人コレクターと言って良いくらい、妙な学生が好きでしたね。そういう訳で、研究室は一種のサロンでしたよ。先生の研究室に入るには、厳しい審査がありました。先生のお眼鏡にかなった者だけが、研究室への出入りを許されたのです。例えば、SF映画に詳しい者ですとか、先生好みの屈折したプログラムが組める者、銃弾に異様に詳しいですとかね。大酒飲みばかりが集まるラボと並んで、一般の学生には敬遠されていましたね。今でもそうなんじゃないでしょうか」
「じゃ、ストラップっチも、専門は、マルチメデアなんだっチャか?」
「いいえ、違います。彼はただ、多種多様な事柄に付いて、先生と議論しに来ていただけです。しかし彼とて、優秀な学生だったのですよ。今では誰も信じませんが。そうそう、彼の専門は確か、音響工学の筈です。先日も銃声の波形を、オシログラフで解析する方法を教えてくれたでしょう」
そうなのだ。僕の記憶が確かなら、卒業研究のテーマは、「振動破壊兵器開発の為の予備実験としての、音波に因る混凝土破壊実験」と、「環境工学的観点から考察する、遼寧省瀋陽市の都市防衛計画」の二つだった筈だ。
「まあ、そこで話しているうちに、何となく仲良くなりました。切っ掛けはもう、忘れてしまったのですが。一体、何だったのでしょうか? 自分でも不思議ですね。何が原因で、彼みたいな人間と付き合い始めたのでしょう」
そんなものかもしれない。僕も、お杉と仲が良くなった切っ掛けなんて、もう忘れてしまったから。入った年度の終わりの方、確か平成六年の三月三日木曜日、九州自動車道上り線のパーキングエリアにあるゴミ集積場で、女の手首のない左腕が見つかった事件が切っ掛けだったような気もする。真実はわからない。その時少し喋ったのは確かだ。尚この事件では、当日一時間後、福岡県内の山川パーキングエリアから右腕が、翌日、JR熊本駅からも、同一人物の胸部と腰部がコインロッカーから発見されている。当時福岡美容師殺人事件として、連日ワイドショーを賑わせていたから、この事件を憶えてる人も多いだろう。僕にとっての初めての大きな事件だったから、今も忘れる事はできない。
「まあ兎に角、ストラップと私は、仲良くなったんです」
話を続けてもらった。
「私は三回生と四回生との境の春休み、筑後の親戚の家で法事がありまして、広島には帰らなかったのです。父がひとり来て、私のワンルームに泊まった事を懐かしく思い出します。その時は父が私のファミリアを運転して、筑後市迄ずっと話した事も懐かしいですね。しかし父が帰った後の三月下旬になればする事も無くなり、父と一緒に帰省しなかった事を後悔しました。宮田先生もメキシコに行く準備で忙しかったですし、研究室は使えませんでした。つまりは暇だったのですね」
「先生はどうしてメキシコに?」
と僕が聞くと、広瀬さんは驚いた顔をして、
「君はメキシコ大会の、神の手ゴールを知らないのですか?」
と言った。そうだった。宮田先生はサッカー好きだったね。僕は
「納得しました。話を続けて下さい」
と、続きを催促した。広瀬さんはそれに頷き、話を続けてくれた。
「まあ、そんな時新聞で、大分県玖珠郡のとある寒村が村お起しの為に、昔の映画を上映するという記事を見つけました。退屈していた私はその場所まで、ドライブを兼ねて見に行こうと、そう考えたのです。そう、ご存知のとおりそこが、墓石村です」
投稿者 strap : 2006年09月10日 02:17