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2006年09月09日

「墓石村事件」 2

 KITを一般的な認識通り、福岡県の三流大だと考えてはいけない。というのもそこは、先進的であったが故に、学会を逐われた研究者達の、梁山泊って側面も持っているからなんだ。例えばドイツ語の講師なんかは、軍事心理学が本来は専門だったんだけど、研究対象の為に、前の大学を追放された人だったんだって。我が国の知識人と呼ばれる人達の間では、軍や戦、兵の字の付く物は、皆悪い物、という認識だからなんだって聞いた。又、他の学校とは違い、学生に知識を与える為の学校などではけっして無く、研究方法、つまり手法、やり方を教える大学らしい。工学を学ばせる機関でありながら、工学を教える事よりも、工学的方法論、科学的アプローチを習得させる事に重点を置いているんだ。学生の自主性を重んじる学校といっても良いだろうね。教科書の内容を覚えさせるだけが全ての他校とは、根本から教育理念が違うのだそうだ。だから、自主性の無い学生はダメ人間として卒業するんだけど、数人の学生は応用の利く人間になるんだね。広瀬さんは後者の部類だろう。
 まあ、そういった大学や大学院に通ってたんだから、当時は何かと面白い事があったって聞いている。僕も同調してこう言った。
 「ええ、聞かせて下さい。そう、地獄島の話とか」
 しかし、
 「シェルズアイランドは天草です。資料室に行けば、いくらでも読めますよ」
 と、広瀬さんはそっけなく言ったんだ。きっと当時は事件続きで、疲れていたんだと思う。
 「なら、墓石村っチャア!」
 と、タコスを摘みながらお杉が叫んだ。
 「そうですよ。「墓石村事件」は、大分県。資料室に資料はありません」
 と、僕も広瀬さんの疲れも知らず、食い下がった。
 「あれは未解決事件ですよ?」
 「それでも聞きたいんです!」
 「いっチャ!」
 僕達二人は強引に迫ってみた。
 「君達二人とも、もっと、現在の事件に興味を持った方が良くないですか?諏訪橋の」
 と広瀬さんが言いかけたけど、それを遮り、
 「ユキは、お酒飲む時、仕事忘れる方っチャ」
 「僕も仕事の話はしない方です」
 と、二人とも嘘ばっかり言った。すると観念したのか広瀬さんは、チリコンカルネを急いで食べてしまった。
 「仕方ないですねえ。では、KITにいた頃の話を少しだけ、いたしましょう。君達、私のデスクに乗ってる写真は知ってますね?あれは墓石村での記念撮影なんですよ」
 当然見た事があった。広瀬さんの思い出の写真だ。そのキャビネサイズの写真はモノクロームで、峠から山をバックに写されていた。広瀬さんと、カジュアルシャツの襟を立て、右手を三角巾で吊ったストラップさん。そしてその後ろに広瀬さんの愛車、特徴的な丸い四つのテールランプを持つセダンが、斜後ろ向きに写っている。広瀬さんの手は、革製ハーフフィンガーのドライビンググローブに包まれているから、その運転の特性が類推できる。車は今の青とは違い、白っぽい色が塗られていた。そして多分赤色の、レーシングストライプが二本引かれていてかっこいい。後部には大型の牽引フックが取り付けてあるし、マフラーも換えてあるみたいだった。ボンネットは、ラバーボンネットストラップで開かない様にしてある様だし、元々のフェンダーミラーは無くして、エンゲルマン社の小さなセブリングをサイドミラーにしていた。ビス止めのオーバーフェンダーが、やっぱり時代を感じさせる。広瀬さんはレザージャケットを着ているし、ストラップさんは灰色か水色の、二つボタンジャケットを着ていたから、多分夏じゃないだろうと推理していた。多分春か秋だと、僕は考えていたんだ。何故ならば、冬にしては二人とも軽装に見えたからだ。夏でも無いのに、屋外で軍用フィールドパーカーやトレンチコートを着ていないストラップさんも珍しい。二人のジャケットの左の襟には、KITの科別章が誇らし気に刺されていた。
 「あれは一九八六年、昭和六一年四月上旬、まだ春休み中の写真です」

投稿者 strap : 2006年09月09日 01:18

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