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2006年09月03日
「渾名の真相」 3-9 (最終回)
「事実君の説は、問題の破廉恥教員、ええっと、チューサンだっけ? 何だか鼠みたいな名前だね。まぁそのチューさんが、ホモセクシャリストかトランスジェンダリストで有る様な証拠は何も無い訳であるし、ちょっと苦しい説明で有るとは思わないかい? 僕は、彼がヘテロセクシャルだったと考えても、まったく構わないと思うな」
確かに、被疑者は事実女性であった訳であるし、教員がゲイボーイである事を前提にした、お杉の説明では多分に疑問が残る。ちなみに稲葉の言う「チューサン」というのは、屹度、中山の音読みだろう。
「それにチューさんには、噂が鮮なかったんだゼ。君はここを見落としてるんだ。この教員がもし仮に、トランスセクシャルよりももっと軽度な、トランスベスタイト、異性装者であったとしても、それなりの噂にはなったと思うよ」
まったくそのとおりだと思った。女装趣味でも十分噂になるだろう。
「じゃあ、「貯金箱」ってのは、一体どういう意味なんだっチャか、稲葉っチ」
「そのまんまだよ。チューさんは見た目がかつては、貯金箱みたいだったのさ。しかし事件当時は違うから、学生達は貯金箱って愛称の意味が理解できなかったんだね」
「良くわからないよ。もっとわかる様に説明して呉ないかい」
「いっチャ!」
「だから、チューさんは人形型の貯金箱、先程君達が言った、カエルやクマの貯金箱の形に、昔はそっくりだったんだよ」
稲葉の言う意味が、僕にもお杉にも良くわからなかった。
「畢竟するにだね、この被害者の教員は、額の方から侵攻が始まる天然のスキンヘッドだったのさ」
一体どういう意味だろうって、そう僕は思ったから、
「額から禿げるハゲってのがどうして、貯金箱に見えるのさ」
と聞いてみた。
「うん、それには些し説明が必要かも知れないね。ちょっと解説をしようか」
などと稲葉は困った顔で言う。稲葉が説明をするっていうのは、とても珍しい事だった。
「チューさんは、女好きであったにもかかわらず、ハゲだったんだ。そしてその対象は、多くの場合身近にいる女学生だった。ここ迄は良いかな?」
うん。被害者がハゲという前提でならば、おかしいところはとりあえずどこにも無い。
「しかし大抵の女子学生は、多くの場合ハゲが嫌いなんだ。まあ理由を説明する事は難しいから、今日はこの事実だけを知っておいて呉給えよ」
僕らは頷く。
「そして多くの彼女達が我々を値踏みする際、容姿は、財力や地位の次に重要視する項目なんだね。我々は彼女達にとって資金源であると同時に、アクセサリーの一種でもあるのだから。畢竟、ハゲなのに彼女達に好まれる為には、余程羽振りが良く無ければなならいんだよ。まあ、彼の経済状況はさておいて、女性達に気に入られる為には無論、彼はそのハゲを隠す方が当然都合が良かったんだ。我々男性の立場からすれば、隠さず堂々としている方が、逆にかっこいいものなんだがねぇ。まぁお嬢さん方も髪型は、髢で我々を欺いている訳であるし、諸々の手口を合わせ鑑みれば、化かす事に関しては、向こうが一枚も二枚も上手さ。この程度の隠蔽工作は大目に見るべきだろうがね」
僕も確かに、隠していない人をかっこいいとは思う。見栄を張らない男らしさに、僕ら同性は共感できるというものだ。だけど、洒落者の被害者がハゲを隠したい気持ちも、稲葉の説明でなんとなくわかった。しかし、ハゲと「貯金箱」は一体どう結びつくのだろう。お杉もそう思ったらしく、
「それでどうして貯金箱に見えるっチャか?」
と稲葉に聞いた。
「まあ、そう焦るなよ。今話すよ」
と彼はそれに答える。それで、
「はい、どうぞっチャ」
と、お杉は稲葉を促した。
「彼は額上方のハゲを隠す為、どうしたか。そう、彼は後ろの髪の毛を、無理矢理前に持ってきて、それを隠蔽しようとしたんだ。オールバックって髪型があるけど、それの全く逆の櫛さばきさ。さしずめハーフフロントとでも名付けようか。そうして彼はポマードか何かで、ギットギトに固めていたのさ」
「良くわかんないっチャ」
僕も良くわからなかった。確かにそうすれば、前髪が増えた様に見える筈だけど、どうしてそれが貯金箱に見えるんだろう。
「うん。では実際にやってみよう。オスギムラ君、櫛かブラシは持ってるかな?」
お杉が櫛を稲葉に渡した。
「ありがとう。それじゃあ、君。ちょっと君の頭を借りるぜ」
と、稲葉が僕に言う。
「ちょっと待って呉よ」
と、僕が抗議しようとすると、
「オスギムラ君、彼をちょっと押さえていて呉」
と言い、僕の髪に櫛を入れ始めた。
僕は諦め、一分程抵抗せずに、稲葉の言うハーフフロントの髪型にさせてやると、お杉が
「ああ、貯金箱だっチャ!」
と、感嘆の声を上げた。
「な、だろ」
と、稲葉も自慢げだ。
「セオドア君そっくりの線が出来てるっチャあ!」
「セオドア君って何?」
「ユキの貯金箱の、ピンクのクマさん」
「まんまだねぇ」
お杉の答に稲葉が苦笑した。それはセオドア・ルーズベルトの愛称が、テディであるからだろう。
僕は右手で軽く後頭部を触ってみた。するとそこには確かに、前に持っていった髪と、下に下がる髪の分け目が水平に出来ている。それは多分はた目には、人形型の貯金箱の、コインを入れる穴の様に見える事だろう。
「貯金箱って渾名の由来はこれか、稲葉!」
と、僕も興奮をして了った。
「うん。彼はこうやって、生え際の方から禿げているのを隠そうとしたんだよ。そして、一部の学生はこの事実に密かに気付いていて、陰でこっそりと「貯金箱」と、彼を呼称して笑っていたんだ」
稲葉は左の食指をピンと立ててこう言ったんだ。だけど僕には、この推理には一つ納得の出来ない事があった。
「だけど稲葉、ちょっと待って呉よ。だけどこの渾名は何故、由来がわからなくなってたんだい?ちょっと注意深い人にならこれは、わかりそうなものじゃないか」
僕は思いきって疑問をぶつけてみる。
「そう言われてみればそうっチャねぇ」
とお杉も僕に同意したんだ。だけど稲葉は左手を額に当て、
「バカだなぁ、君達」
などと言ったんだ。
「僕は、以前はこの髪型だったって、そう言ったじゃないか」
正確には、「かつては、貯金箱みたいだった」と「昔はそっくり」という表現を稲葉はしている。
「ハゲって言うのは多くの場合、時間の経過とともに悪化する物なんだぜ。その位の事も知らないのかい?」
確かにそうだ。
「じゃあ、この被害者は」
と、僕が言うと稲葉は、
「そうさ。彼は事件当時、もう大分悪化していてねえ。可哀想に、額からお尻までの間にはもう、ほんのチョッピリの毛しか生えてはいなかったのさ。それで彼は仕方なく、カツラを冠っていたのだね」
と引き継いだ。まるで見てきたかの様な言い方だった。
「しかも用心深い彼は、未だ進みの軽度な内に見切りを付けて、こちらのやり方に移項したのだろうと思うよ」
「だから、「貯金箱」って渾名が、当時の学生達にはもう、通用しなかったんだね」
と謂うと稲葉は頷き、
「うん。つまり殺害時、被害者の教員は、カツラの上から殴られていたんだ。だから傷口はカツラに隠されて見えなかったし、血はカツラの端、つまり首の部分から漏れ出たんだよ。当時のカツラは未だ、通気性が悪かったろうからね。粘度の高い血液ならば、尚の事さ」
と謂い、渇いた口にお茶を含んだ。
了
投稿者 strap : 2006年09月03日 15:16