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2006年09月03日
「渾名の真相」 3-9 (最終回)
「事実君の説は、問題の破廉恥教員、ええっと、チューサンだっけ? 何だか鼠みたいな名前だね。まぁそのチューさんが、ホモセクシャリストかトランスジェンダリストで有る様な証拠は何も無い訳であるし、ちょっと苦しい説明で有るとは思わないかい? 僕は、彼がヘテロセクシャルだったと考えても、まったく構わないと思うな」
確かに、被疑者は事実女性であった訳であるし、教員がゲイボーイである事を前提にした、お杉の説明では多分に疑問が残る。ちなみに稲葉の言う「チューサン」というのは、屹度、中山の音読みだろう。
「それにチューさんには、噂が鮮なかったんだゼ。君はここを見落としてるんだ。この教員がもし仮に、トランスセクシャルよりももっと軽度な、トランスベスタイト、異性装者であったとしても、それなりの噂にはなったと思うよ」
まったくそのとおりだと思った。女装趣味でも十分噂になるだろう。
「じゃあ、「貯金箱」ってのは、一体どういう意味なんだっチャか、稲葉っチ」
「そのまんまだよ。チューさんは見た目がかつては、貯金箱みたいだったのさ。しかし事件当時は違うから、学生達は貯金箱って愛称の意味が理解できなかったんだね」
「良くわからないよ。もっとわかる様に説明して呉ないかい」
「いっチャ!」
「だから、チューさんは人形型の貯金箱、先程君達が言った、カエルやクマの貯金箱の形に、昔はそっくりだったんだよ」
稲葉の言う意味が、僕にもお杉にも良くわからなかった。
「畢竟するにだね、この被害者の教員は、額の方から侵攻が始まる天然のスキンヘッドだったのさ」
一体どういう意味だろうって、そう僕は思ったから、
「額から禿げるハゲってのがどうして、貯金箱に見えるのさ」
と聞いてみた。
「うん、それには些し説明が必要かも知れないね。ちょっと解説をしようか」
などと稲葉は困った顔で言う。稲葉が説明をするっていうのは、とても珍しい事だった。
「チューさんは、女好きであったにもかかわらず、ハゲだったんだ。そしてその対象は、多くの場合身近にいる女学生だった。ここ迄は良いかな?」
うん。被害者がハゲという前提でならば、おかしいところはとりあえずどこにも無い。
「しかし大抵の女子学生は、多くの場合ハゲが嫌いなんだ。まあ理由を説明する事は難しいから、今日はこの事実だけを知っておいて呉給えよ」
僕らは頷く。
「そして多くの彼女達が我々を値踏みする際、容姿は、財力や地位の次に重要視する項目なんだね。我々は彼女達にとって資金源であると同時に、アクセサリーの一種でもあるのだから。畢竟、ハゲなのに彼女達に好まれる為には、余程羽振りが良く無ければなならいんだよ。まあ、彼の経済状況はさておいて、女性達に気に入られる為には無論、彼はそのハゲを隠す方が当然都合が良かったんだ。我々男性の立場からすれば、隠さず堂々としている方が、逆にかっこいいものなんだがねぇ。まぁお嬢さん方も髪型は、髢で我々を欺いている訳であるし、諸々の手口を合わせ鑑みれば、化かす事に関しては、向こうが一枚も二枚も上手さ。この程度の隠蔽工作は大目に見るべきだろうがね」
僕も確かに、隠していない人をかっこいいとは思う。見栄を張らない男らしさに、僕ら同性は共感できるというものだ。だけど、洒落者の被害者がハゲを隠したい気持ちも、稲葉の説明でなんとなくわかった。しかし、ハゲと「貯金箱」は一体どう結びつくのだろう。お杉もそう思ったらしく、
「それでどうして貯金箱に見えるっチャか?」
と稲葉に聞いた。
「まあ、そう焦るなよ。今話すよ」
と彼はそれに答える。それで、
「はい、どうぞっチャ」
と、お杉は稲葉を促した。
「彼は額上方のハゲを隠す為、どうしたか。そう、彼は後ろの髪の毛を、無理矢理前に持ってきて、それを隠蔽しようとしたんだ。オールバックって髪型があるけど、それの全く逆の櫛さばきさ。さしずめハーフフロントとでも名付けようか。そうして彼はポマードか何かで、ギットギトに固めていたのさ」
「良くわかんないっチャ」
僕も良くわからなかった。確かにそうすれば、前髪が増えた様に見える筈だけど、どうしてそれが貯金箱に見えるんだろう。
「うん。では実際にやってみよう。オスギムラ君、櫛かブラシは持ってるかな?」
お杉が櫛を稲葉に渡した。
「ありがとう。それじゃあ、君。ちょっと君の頭を借りるぜ」
と、稲葉が僕に言う。
「ちょっと待って呉よ」
と、僕が抗議しようとすると、
「オスギムラ君、彼をちょっと押さえていて呉」
と言い、僕の髪に櫛を入れ始めた。
僕は諦め、一分程抵抗せずに、稲葉の言うハーフフロントの髪型にさせてやると、お杉が
「ああ、貯金箱だっチャ!」
と、感嘆の声を上げた。
「な、だろ」
と、稲葉も自慢げだ。
「セオドア君そっくりの線が出来てるっチャあ!」
「セオドア君って何?」
「ユキの貯金箱の、ピンクのクマさん」
「まんまだねぇ」
お杉の答に稲葉が苦笑した。それはセオドア・ルーズベルトの愛称が、テディであるからだろう。
僕は右手で軽く後頭部を触ってみた。するとそこには確かに、前に持っていった髪と、下に下がる髪の分け目が水平に出来ている。それは多分はた目には、人形型の貯金箱の、コインを入れる穴の様に見える事だろう。
「貯金箱って渾名の由来はこれか、稲葉!」
と、僕も興奮をして了った。
「うん。彼はこうやって、生え際の方から禿げているのを隠そうとしたんだよ。そして、一部の学生はこの事実に密かに気付いていて、陰でこっそりと「貯金箱」と、彼を呼称して笑っていたんだ」
稲葉は左の食指をピンと立ててこう言ったんだ。だけど僕には、この推理には一つ納得の出来ない事があった。
「だけど稲葉、ちょっと待って呉よ。だけどこの渾名は何故、由来がわからなくなってたんだい?ちょっと注意深い人にならこれは、わかりそうなものじゃないか」
僕は思いきって疑問をぶつけてみる。
「そう言われてみればそうっチャねぇ」
とお杉も僕に同意したんだ。だけど稲葉は左手を額に当て、
「バカだなぁ、君達」
などと言ったんだ。
「僕は、以前はこの髪型だったって、そう言ったじゃないか」
正確には、「かつては、貯金箱みたいだった」と「昔はそっくり」という表現を稲葉はしている。
「ハゲって言うのは多くの場合、時間の経過とともに悪化する物なんだぜ。その位の事も知らないのかい?」
確かにそうだ。
「じゃあ、この被害者は」
と、僕が言うと稲葉は、
「そうさ。彼は事件当時、もう大分悪化していてねえ。可哀想に、額からお尻までの間にはもう、ほんのチョッピリの毛しか生えてはいなかったのさ。それで彼は仕方なく、カツラを冠っていたのだね」
と引き継いだ。まるで見てきたかの様な言い方だった。
「しかも用心深い彼は、未だ進みの軽度な内に見切りを付けて、こちらのやり方に移項したのだろうと思うよ」
「だから、「貯金箱」って渾名が、当時の学生達にはもう、通用しなかったんだね」
と謂うと稲葉は頷き、
「うん。つまり殺害時、被害者の教員は、カツラの上から殴られていたんだ。だから傷口はカツラに隠されて見えなかったし、血はカツラの端、つまり首の部分から漏れ出たんだよ。当時のカツラは未だ、通気性が悪かったろうからね。粘度の高い血液ならば、尚の事さ」
と謂い、渇いた口にお茶を含んだ。
了
2006年09月04日
「墓石村事件」 1
バー「アルケブス」。
そこはストラップさん行きつけの店で、福岡県の南端にこっそりと位置する。[THE BAR Harquebus]って看板はまるで目立たずその存在理由は、禁煙席の灰皿ぐらい意味は無いって、そう思う。
狭い店内には、カウンター席しかなく、そのL字のカウンターには、椅子が九つしかない。つまりこの店は、マスターを入れて全部で十人。それで満員と成るんだ。
この日、店の椅子は全部で六脚空いていた。つまり僕らの貸し切り状態だったって訳。カウンターの下に配置された青いフィルムを巻かれた蛍光灯が、この店の主光源で薄暗い。僕はこの日、マスターがどんな服を着ているのかさえ、良くわかんなかったくらいだ。青っぽいハワイアンシャツだった様な気がする。真実かどうかはわからない。
入ったらすぐに見える奥の壁には、インディアン社のチーフっていうバイクの絵や、サソリのマークのステアリングホイールなんかが展示してある。マスターの後ろの壁には小さなバーミラーが置いてあり、客席側の壁には、店の名前の由来ともなったローディングマズル、つまりマッチロックのマスケットが一挺飾ってあった。だけどそれのエングローブもどんな物なのか、初めて入ったその日には良く見なかったんだ。
「アルケブスっち、どがんか意味っチャろう?」
と、ライムを突っ込み親指で蓋をしたコロナを逆さにしながら、お杉が僕に聞いてきた。お杉はニックネームで、彼の本名は杉村雪男。熊本県警察刑事部強行犯担当係の捜査員で、僕の同僚、同期の司法警察員だ。歳は向こうが一つ上だけどね。今では絶滅危惧種たる、正調筑紫弁を使える数少ない男だ。だけど熊本県での生活には、何かと不便だろうって思う。お杉はこの日も仕事帰りなので、フラットヘッド社のジーンズを履いていた。
「アルケブスってのはきっと、「Walk! Wolfsbane.」って意味だよ」
と言い、僕は茶色い液体の入ったショットグラスに口につけたんだ。奥でプっと、チリコンカルネを食べていた広瀬さんが吹き出した。チリコンカルネってのは、牛肉とウグイス豆を、チリとトマトで味付けした煮込みの事だ。この店では桃太郎トマトを使い、酸味が抑えてある。
「なるほどねえ。新しい解釈だ」
潰れた低い声でそう言って、マスターは両切りのラッキーストライクを一本取り出した。僕の捜査経験から言わせてもらえば、両切りのラッキーストライクはかなり珍しい。マスターのライターは地図の描かれたジッポーで、それは蓋を開けると、ちょうど十七度線で南北に別れる。
いつもはカナディアンを飲む僕らの上司、広瀬啓三郎警部補も、この日はアーリー・タイムスっていうバーボンを飲んでた。安酒の部類だと言って、間違いじゃないやつだろう。それは、ストラップさんがキープしている物だったんだ。壜には、
「夜光 玉跡言十方 酒飲而 情乎遣尓 豈若目八方」
と、まだ従三位だった頃の旅人が詠んだ短歌が落書きされていた。「夜光る玉と言うとも酒飲みて、情を遣るに豈しかめやも」、仏様の宝物よりも、お酒飲んでる方が好いよ、って短歌だね。僕にもかろうじて、この位の事はわかる。
「あんたあの男の、先輩って話だったね」
マスターはゆっくりと、そう言った。あの男とは、僕達の知人であるストラップさんの事だ。「形態は機能に従う」だとか、「推理、推測、推量の類いは不可也」だとかっていう考え方をする理屈っぽい人で、鉄砲玉や「珊と糎の違い」なんかについてやたらと詳しい。そしていつも、ベルジョン社製の傷見を持ち歩いている人だ。
平成十一年。火の国国体の際、狙撃事件があったんだけど、これの被疑者を我々が割り出せたのも、この人の助言のおかげだった。308win弾のボルトアクションライフル、レミントン・M700・BDL・バーミント・スペシャル、これを愛用する国際的暗殺者、アサツネ・イダ、本名井田矩朝の検挙は、その筋の業界では世界的大ニュースになったんだ。僕らはこの国際的暗殺者が、たった一人であった事に驚いたものだ。この名前があまりにも有名で在り過ぎるんで、数人が利用する名前か、黒幕の名前だとばかり思っていたんだね。タクシー会社の配車係の様な人物が、依頼を複数の人達に振り分けているもんだとばかり、そう考えていたんだよ。こんな大物を通逮で縛につける事ができたのは、本当に奇跡的な事だと、僕は今でも思う。正に、大捕り物だったんだ。
「ええ、大学では彼が私のバックアップをしてくれていたました。ストラップと私が非喫煙者代表として、学内完全禁煙化などという馬鹿馬鹿しい計画を論破し、阻止した事もあるのですよ」
と、マスターの問いに広瀬さんは答えた。
「あいつと組んでたんじゃあ、そりゃあ、苦労したろう。白髪がねぇのが不思議なくれぇだ」
そう言うマスターに対し広瀬さんは、
「マイレージサービスならば数回無料になるくらい、マイルがたまりましたよ。ええ、彼には色々と参らされました。でも何度も、そう、何度も助けてもらいましたけれどね」
と言った。マスターは煙を吐き出した後、静かにそれに頷いた。
「広瀬さーん。ユキ、広瀬さんの学生の頃の話を聞かせてほしいっチャア」
と、お杉が言った。僕もそれは聞きたかった。というのも、広瀬さんはKITという私立工科大学の、計算機科学科に学籍を置いていたからなんだ。
2006年09月09日
「墓石村事件」 2
KITを一般的な認識通り、福岡県の三流大だと考えてはいけない。というのもそこは、先進的であったが故に、学会を逐われた研究者達の、梁山泊って側面も持っているからなんだ。例えばドイツ語の講師なんかは、軍事心理学が本来は専門だったんだけど、研究対象の為に、前の大学を追放された人だったんだって。我が国の知識人と呼ばれる人達の間では、軍や戦、兵の字の付く物は、皆悪い物、という認識だからなんだって聞いた。又、他の学校とは違い、学生に知識を与える為の学校などではけっして無く、研究方法、つまり手法、やり方を教える大学らしい。工学を学ばせる機関でありながら、工学を教える事よりも、工学的方法論、科学的アプローチを習得させる事に重点を置いているんだ。学生の自主性を重んじる学校といっても良いだろうね。教科書の内容を覚えさせるだけが全ての他校とは、根本から教育理念が違うのだそうだ。だから、自主性の無い学生はダメ人間として卒業するんだけど、数人の学生は応用の利く人間になるんだね。広瀬さんは後者の部類だろう。
まあ、そういった大学や大学院に通ってたんだから、当時は何かと面白い事があったって聞いている。僕も同調してこう言った。
「ええ、聞かせて下さい。そう、地獄島の話とか」
しかし、
「シェルズアイランドは天草です。資料室に行けば、いくらでも読めますよ」
と、広瀬さんはそっけなく言ったんだ。きっと当時は事件続きで、疲れていたんだと思う。
「なら、墓石村っチャア!」
と、タコスを摘みながらお杉が叫んだ。
「そうですよ。「墓石村事件」は、大分県。資料室に資料はありません」
と、僕も広瀬さんの疲れも知らず、食い下がった。
「あれは未解決事件ですよ?」
「それでも聞きたいんです!」
「いっチャ!」
僕達二人は強引に迫ってみた。
「君達二人とも、もっと、現在の事件に興味を持った方が良くないですか?諏訪橋の」
と広瀬さんが言いかけたけど、それを遮り、
「ユキは、お酒飲む時、仕事忘れる方っチャ」
「僕も仕事の話はしない方です」
と、二人とも嘘ばっかり言った。すると観念したのか広瀬さんは、チリコンカルネを急いで食べてしまった。
「仕方ないですねえ。では、KITにいた頃の話を少しだけ、いたしましょう。君達、私のデスクに乗ってる写真は知ってますね?あれは墓石村での記念撮影なんですよ」
当然見た事があった。広瀬さんの思い出の写真だ。そのキャビネサイズの写真はモノクロームで、峠から山をバックに写されていた。広瀬さんと、カジュアルシャツの襟を立て、右手を三角巾で吊ったストラップさん。そしてその後ろに広瀬さんの愛車、特徴的な丸い四つのテールランプを持つセダンが、斜後ろ向きに写っている。広瀬さんの手は、革製ハーフフィンガーのドライビンググローブに包まれているから、その運転の特性が類推できる。車は今の青とは違い、白っぽい色が塗られていた。そして多分赤色の、レーシングストライプが二本引かれていてかっこいい。後部には大型の牽引フックが取り付けてあるし、マフラーも換えてあるみたいだった。ボンネットは、ラバーボンネットストラップで開かない様にしてある様だし、元々のフェンダーミラーは無くして、エンゲルマン社の小さなセブリングをサイドミラーにしていた。ビス止めのオーバーフェンダーが、やっぱり時代を感じさせる。広瀬さんはレザージャケットを着ているし、ストラップさんは灰色か水色の、二つボタンジャケットを着ていたから、多分夏じゃないだろうと推理していた。多分春か秋だと、僕は考えていたんだ。何故ならば、冬にしては二人とも軽装に見えたからだ。夏でも無いのに、屋外で軍用フィールドパーカーやトレンチコートを着ていないストラップさんも珍しい。二人のジャケットの左の襟には、KITの科別章が誇らし気に刺されていた。
「あれは一九八六年、昭和六一年四月上旬、まだ春休み中の写真です」
2006年09月10日
「墓石村事件」 3
昭和六一年。グランプリ・レースの話で言えば、アラン・プロストが、ナイジェル・マンセルに競り勝ち、二度目のワールドチャンピオンになった年だ。スペースシャトルチャレンジャーの空中爆発、三原山の噴火、ハレー彗星の接近、マルコス政権崩壊、与党新自由クラブの解散。こう書くと、わかりやすい人にはとってもわかりやすいだろう。もっとわかりやすく言うと、ウクライナの原発事故の年でもある。
「あの写真は村の駐在さんが、事件解明の手伝いをしたお礼にと、自慢の二眼レフカメラ、東光のプリモフレックスで撮ってくれたのですよ。ちょっとピントがズレていたでしょう」
「駐在員」と言わずに、「駐在さん」と言うところに、なんだか広瀬さんの駐在員に対する親しみが感じられた。東光とは、東京光学機械株式会社という昔の有名なカメラ屋で、ストラップさんの持っている九七式狙撃銃用光学照準器なんかも、東光の製品なんだ。
「私がKITの四回生、ストラップが三回生の時ですね。この事件の後、例の一族連続殺人がおきるのですよ」
「例の一族連続殺人」とは、福岡、大阪、埼玉、岡山の各地でおこった連続殺人事件で、被害者全員が親戚だったっていう事件だった。この事件も未解決だ。
「私は三回生の後期から、卒業論文用として、多重媒体の可能性について研究していました。横文字で言えば、マルチメディア、主にネットワークに関する研究ですね。そして、私が所属していた宮田ラボラトリーに、特別待遇研究生として、設備工学科のストラップが入ってきたのです」
広瀬さんはハードにも強いが、大学の専門はソフト系だった様だ。コードプライヤーや絶縁ドライバー、検電ドライバーといった、七つの工具を常に携帯している広瀬さんであるから、ハード系であってもおかしくない気もするけどね。まあ、符号理論の論文で工学修士の学位を取得したっていうから、ソフト系なんだろう。片方に精通する為には、片方の理屈もある程度知る必要があるのかも知れない。大犯罪者が、僕達刑事の手法を研究する様に。
「特別待遇研究生ってのは、一体何だっチャ?」
「簡単に説明すれば、先生の話し相手です。宮田出巳夫先生が面白いってつれて来たんですよ。先生は巳年生まれの藤枝市出身で、サッカーの話が大好きでした。電々公社の技術開発スタッフの出身で、当時も今も、少なくとも九州一のスペルユーザーです。私などはとてもとても、足元にも及ばない。天才と言うのは、ああいう人の事を指す言葉なのだと思います」
広瀬さんは、コンピューターに関しては相当な使い手の筈。と言うか、僕達は広瀬さんを天才だと思っている。だから、広瀬さんよりも本当に上ならば、宮田先生って人は、大天才の一種なのかも知れない。きっとそうなんだろう。
「そういう先進的な指向性の持ち主の常として、常人とは違った思考や志向、嗜好を先生は持っていました。特に先生は、奇人コレクターと言って良いくらい、妙な学生が好きでしたね。そういう訳で、研究室は一種のサロンでしたよ。先生の研究室に入るには、厳しい審査がありました。先生のお眼鏡にかなった者だけが、研究室への出入りを許されたのです。例えば、SF映画に詳しい者ですとか、先生好みの屈折したプログラムが組める者、銃弾に異様に詳しいですとかね。大酒飲みばかりが集まるラボと並んで、一般の学生には敬遠されていましたね。今でもそうなんじゃないでしょうか」
「じゃ、ストラップっチも、専門は、マルチメデアなんだっチャか?」
「いいえ、違います。彼はただ、多種多様な事柄に付いて、先生と議論しに来ていただけです。しかし彼とて、優秀な学生だったのですよ。今では誰も信じませんが。そうそう、彼の専門は確か、音響工学の筈です。先日も銃声の波形を、オシログラフで解析する方法を教えてくれたでしょう」
そうなのだ。僕の記憶が確かなら、卒業研究のテーマは、「振動破壊兵器開発の為の予備実験としての、音波に因る混凝土破壊実験」と、「環境工学的観点から考察する、遼寧省瀋陽市の都市防衛計画」の二つだった筈だ。
「まあ、そこで話しているうちに、何となく仲良くなりました。切っ掛けはもう、忘れてしまったのですが。一体、何だったのでしょうか? 自分でも不思議ですね。何が原因で、彼みたいな人間と付き合い始めたのでしょう」
そんなものかもしれない。僕も、お杉と仲が良くなった切っ掛けなんて、もう忘れてしまったから。入った年度の終わりの方、確か平成六年の三月三日木曜日、九州自動車道上り線のパーキングエリアにあるゴミ集積場で、女の手首のない左腕が見つかった事件が切っ掛けだったような気もする。真実はわからない。その時少し喋ったのは確かだ。尚この事件では、当日一時間後、福岡県内の山川パーキングエリアから右腕が、翌日、JR熊本駅からも、同一人物の胸部と腰部がコインロッカーから発見されている。当時福岡美容師殺人事件として、連日ワイドショーを賑わせていたから、この事件を憶えてる人も多いだろう。僕にとっての初めての大きな事件だったから、今も忘れる事はできない。
「まあ兎に角、ストラップと私は、仲良くなったんです」
話を続けてもらった。
「私は三回生と四回生との境の春休み、筑後の親戚の家で法事がありまして、広島には帰らなかったのです。父がひとり来て、私のワンルームに泊まった事を懐かしく思い出します。その時は父が私のファミリアを運転して、筑後市迄ずっと話した事も懐かしいですね。しかし父が帰った後の三月下旬になればする事も無くなり、父と一緒に帰省しなかった事を後悔しました。宮田先生もメキシコに行く準備で忙しかったですし、研究室は使えませんでした。つまりは暇だったのですね」
「先生はどうしてメキシコに?」
と僕が聞くと、広瀬さんは驚いた顔をして、
「君はメキシコ大会の、神の手ゴールを知らないのですか?」
と言った。そうだった。宮田先生はサッカー好きだったね。僕は
「納得しました。話を続けて下さい」
と、続きを催促した。広瀬さんはそれに頷き、話を続けてくれた。
「まあ、そんな時新聞で、大分県玖珠郡のとある寒村が村お起しの為に、昔の映画を上映するという記事を見つけました。退屈していた私はその場所まで、ドライブを兼ねて見に行こうと、そう考えたのです。そう、ご存知のとおりそこが、墓石村です」
2006年09月18日
「墓石村事件」 4
「映画は何だっチャか?」
僕もそれには興味があった。いったいどんな映画を上映すれば、村お起しなんかになるんだろう。
「ジョン・スタージェンスの「OK牧場の決斗」というものが主でした」
「何故っチャか?」
「本来墓石村は、八の力という字を書いて、やぢから、地元発音で、やじがっ。そういう発音のし辛い名前の集落でした。郷土史家によれば、やぢからというのは江戸初期からの名称だそうで、本来は世帯が八つという意味だった様ですね。しかし日清戦争直後、鉱山の需要が高まり、他の集落を取り込み、人口三百人程度の村に大きくなります。その編成の際名称を変えるのですが、中心となった八力集落の、八と力が片仮名のハカに似ている為、はか村に改名しようとしたのです」
確かに「やぢから村」では発音しづらいから、他の名前が必要だったと思う。
「しかしそれでは、音が破瓜に通じる為に格好が悪い。若い娘さん達は赤面してしまうでしょう。それで、同じ鉱山町であるトゥームストーンという、アメリカアリゾナ州の町にちなんで、石の一字を付け加え、はか石村。墓石村としたのです。それで、この映画だったという訳ですね。この映画の舞台は十九世紀後半の、トゥームストーンですから」
なるほど。トゥームストーンには、グレイブヤードって名前の銀山が有るって話だし、昔の地元新聞は、エピタフって名前だったって話だ。トゥームストーンは墓石って意味だし、グレイブヤードは墓地って意味だ。エピタフは墓碑名だね。「はか」という名前と、鉱山の町という二つの共通項に、村人達は共感を憶えたんだろう。もっとも人口六千人のトゥームストーンは、行政区分上タウンであって、ヴィレッジではないけれど。
「他にもスタージェンスの映画、「ゴーストタウンの決闘」、「ガンヒルの決斗」、「荒野の七人」、「大脱走」の四本が二日に分けて上映されました。「OK牧場の決斗」は二日とも上映しましたから、合計六本、一日三本のプログラムですね。本当は、同じスタージェンスの「墓石と決闘」を上映したかったのだそうですが、フィルムが見つからなかったのだそうです。しかし、どれもとても面白かった」
カラカラと映写機の音が、上映用の施設ではない所で響くのは、何とも趣があるって、そう、僕も感じる事がある。そういう空間で見る映画は、格別面白い。
「そうそう、「荒野の七人」でスティーブン・マックイーンの演じるヴィンは、トゥームストーンの出身なんですよ」
僕達の話が真剣になってきたからか、マスターはここで短くなったタバコを指で弾いて空中で分解し、 「クリームの素晴しき世界」の上から針を退けてくれた。マスターの左手の中指と薬指の間は、両切りタバコをいつも吸うせいで黒く汚れている様だった。
「OK牧場の決斗」は、アリゾナ州トゥームストーンで、西暦一八八一年十月二六日未明に行われた、実際のガンファイトを題材に作られた映画で、前世紀を代表する映画の一つだ。仕手連れのドクこと、歯科医のジョーン・ヘンリー・ホリデイの役をやっているカーク・ダグラスは、「ガンヒルの決斗」での保安官役でも有名なんだそうだ。
「「荒野の七人」のヴィン役、スティーブン・マックイーンは、「大脱走」でヴァージル・ヒルツという名のアメリカ人飛行機乗りを演じているのですが、このヒルツの股がるバイクは良くできていましたねえ。一見するとまるで軍用バイクの様なのに、スピードは出るし、フェンスは飛び越えると、そのできは最高でした。しかし実際のBMWでは、あんなアクションは到底出来ないのだそうです。撮影で使われたバイクは、トライアンフTTスペシャル650というバイクだと、後に誰かが教えてくれました」
「墓石村の鉱山では、何が採掘されているんです?」
僕はタコスを摘みながら聞いてみた。
「銅山がかつては有ったのですが、私が行った時にはもう、閉山していました。ですから現在の村の、主要産業は林業です。銅の産出が主産業であった関係上、鉄道、つまりJR久大本線は通っていますが、駅は既に廃止されています。そこは、交通の便も悪いので、陸の孤島という表現さえも、あながち間違いとも言えぬ様な場所なのです」
銅は大戦中、導線や真鍮の原料として、軍需物資として重宝される。だから、鉄道がこんな辺鄙な場所にも通る様になったんだろうね。真鍮は、比較的柔らかくって、降伏しづらく、自縮性を持っていて、薬莢とするには最適な材料だ。だから、真鍮は英語で「brass」と言うんだけど、薬莢の事は真鍮製でなくても、金属製ならばブラスと呼ぶんだそうだ。例えば、排筴の向きを変える板の事を、ブラス・デフレクターなどと言う。まあ、それぐらい銃砲業界では大切な金属なんだね。
「そこに映画を見に行ったっチャね」
「はい。私は一人、ファミリアを飛ばし、そこへ向かいました」
広瀬さんのファミリアロータリーSSのロータリーエンジンは、キャブレーターが四バレルの、ファミリアロータリークーペ仕様に交換してあるから、とんでもなく速いんだ。
「映画は地元小学校の体育館で行われたのですが、そこは事件と直接の関係は有りませんので、話を端折りましょう。事件の本質を見る為に、多少の事実を端折る必要がある事は、ご存知の通りです」
まったくそのとおりだ。ここからはなるべく、本質的な情報だけを喋ってもらう方が望ましい。
「事件は四月六日日曜日、映画の上映が全て終わり、夕方の食事会が開かれている時に起きました。まあ、食事会も宿泊も、小学校敷地内でしたんですがね。その時は五時を過ぎたぐらいの時間で、薄暗いといった感じでした。さて、事件の内容はこうです。村人と小学校の校庭を散歩していた村の有力者、倉井が、」
そこは知っている。
「狙撃されたんだっチャね、確か」
そう、お杉が言った。
「ええ。被害者、倉井育馬の頭が破裂しました。私もライスカレーを食べながら見ていたのですが、脳漿が飛び散ったのです。そしてその瞬間、バンという破裂音が聞こえてきました。それは明らかに、射撃による犯行でした」
2006年09月20日
「墓石村事件」 5
「頭が破裂したって事は、」
僕は一口タコスをかじり、一応そう聞いてみた。
「ええ、だから銃声が後から聞こえたのです。尤も、銃声が後から聞こえたという事は理論上の問題で、実際は同時に感じました」
広瀬さんはこう答えた。
「つまり、高速なライフル弾か、イクスプローシブブレットの様な特殊弾頭だったという訳ですね。でなければ、頭蓋骨を破る程の衝撃波、瞬間空洞は作りだせないでしょう。実際は、音速よりも速いライフル弾だった訳ですが、それを見た瞬間の時点では、何がなんだかわかりませんでした」
イクスプローシブブレットとは、炸裂弾丸の事で、炸裂弾のブレットの事だ。しかしこれは貫通力に難が有るので、破裂するのは頭蓋骨の中ではなくって、骨に当った瞬間だろう。だから今回のクーデグラは速い弾なんだね。
「それで広瀬さんはどうしたんです?」
「その時は皆パニック状態でしたから、何もできません。私がした事といえば、それを見た人の顔を覚える事ぐらいでした。その場で倉井の破裂を見た人ならば、射撃はできませんからね」
「射撃の際の、銃口発射炎は見ましたか?」
「いえ。マズルフラッシュには、その場に居た者は誰一人、気付く事はできませんでした」
発射煙なら兎も角、薄暗い中での射撃で銃口の光に気が付かない物なのだろうか? 僕は疑問に思ったんだけど、
「私はフラッシュハイダーや、リコイルレデューサーの様な器具が取り付けられていたのでは無いかと予測しました」
と、広瀬さんが言うので納得した。
「じゃあ、どうして狙撃って分かったっチャか?」
「倉井は、校庭の西の端、プールの側で撃たれた訳ですが、方向的に東側、つまり校庭側から撃たれたのです。これは、校庭のその方向には誰もいないのが見えましたから、学校の敷地外から撃たれた事になります。そして校庭は、東に約百五十メートルのびていたのです。少なくとも百五十メートルの距離が犯人と倉井との間にあった事になるのですよ」
「すいません。学校の敷地の概略を教えていただけないでしょうか。どうにもわかりづらくって」
僕がそう言うと、
「俺もそこがよくわからねえと、そう思ってたんだよ」
と、聞いていたらしく、マスターがしゃがれ声で言った。他に客もいない事だし、暇だったのだろう。
「そうですね。事件とはあまり関係がないと思ったのですが、一応説明しておきましょう。校舎を中心に考えますと、北に正門、南にグラウンド、西に体育館です。北側には、銀杏の木だとか、百葉箱、ウサギの飼育小屋、野外便所等が有りました。校舎は二階建ての木造で、音楽室だとか理科室だとかも、同じ建物にあった様です。教室は、一学年に二つだと聞きました。つまり十二クラスあった訳ですね。グラウンドは、長手方向が百八十メートルくらいで、西の端にはプール、体育館、西門などが有りました。東側には相撲部が練習に使う土俵と、倉庫、東門、肋木、花壇、それだけですね」
「その東門の辺りから撃ったんですね?」
「結果的に、そういう事がわかりましたが、犯行当時は薄暗く、そこに人陰を発見する事はできませんでした。この事件は、当日村にいた全ての人、千五百人を潜在的な被疑者として捜査対象とする、大規模な物になりました」
2006年09月25日
「墓石村事件」 6
「被害者の銃傷を見ましたか」
「はい。被害者は空洞現象による瞬間空洞で、鼻から上の部分が膨らんで、後頭部上側を中心に破裂していました。残った組織は、まるでイチゴジャムの様でした」
粘土に銃弾を撃込むと、銃弾径の十倍をこえる大きな穴が空く。これが瞬間空洞だ。ただし粘土は弾性がないんで、瞬間空洞がそのままの形で残る事に成るんだね。
「第一銃創は、眉間の間、額の真ん中です。つまり、正面から撃たれたという事に成りますね」
これは完全な狙撃だ。眉間の間なんかには、狙わなきゃ当らない。頭部を目的とした正面からの狙撃の場合、ここを狙うのが一般的なんだ。このケースではたまたま、左右にも、下にもズレなかったって事だろう。
「弾丸は、ブレットは何処に有ったのですか?」
僕は聞いてみた。
「それは随分後にわかった事ですが、まあここで説明いたしましょう。頭蓋骨を突き抜けブレットは、脳幹内で後方拡張を引き起こした後、上向きに偏向しながら進み、ついには後頭部の骨にぶつかりました。えっと、骨と接触したのはブレットの底の部分です。しかしそこ迄にエネルギーを上手く消費していたので、それを突き抜く事はせず、脳天に向かって跳ね返されました。ですからマッシュルーミングしたブレットは、頭のてっぺんの骨にめり込んだ状態で発見されています。尚、ブレットを跳弾させた部分を中心に、頭部の破裂、脳漿の漏れは起きていたそうです」
僕はお酒を美味しく飲む為に、あまり想像しない事にした。
「さっき、銃の音が後から聞こえたって言ったっチャけど、どのぐらい後から聞こえたっチャか?」
お杉の質問には、広瀬さんも苦笑いをした。
「ほぼ同時でした。差は理論上の問題です」
「理論上って、どれ位だっチャ?」
下らない事にこだわると、僕は思った。
「ブレットの平均速度を、秒速八百五十メートル、ええっと、約二千七百八十八と四分の三フィートと仮定しましょう。又、犯人の射撃位置から倉井までは、百七十メートル、私が音を聞いた位置までは、百九十メートル、計算し易い様に、気温をセルシウス温度で十度としましょう」
「じゃ、ほとんど同時だっちゃ!」
と、お杉が叫んだ。
「まあ、今の計算はデタラメの数値ですが、約〇.三六二七九六秒差ですね」
と言った。流石に少し酔っているとは言え、広瀬さんは計算が速い。空気中では、音の波の伝わる速さCは、摂氏θ度の時一秒当たり、約「331.5+0.61×θ」メートルだから、音は一秒間に三百四十メートル近く進む計算になる。じゃあ、ほとんど同時だと言っても良いだろう。
「駐在員はすぐ来たのですか?」
僕はタコスで汚れた手をお手拭きで拭きながら、そう聞いてみた。
「来たも何も、私の目の前で皿にカレーを注いでいました。給食の係をしていたんですよ。とはいえ事態を認識すると彼はすぐに冷静になり、現場を落ち着かせました。正に警察官の鑑とも言うべき人物でしたね。名前こそ知りませんが、私が同じ警察官として、尊敬している人物の内の一人です」
そうかもしれない。駐在員っていうのは有事の際、たった一人ぼっちで、応援の到着迄頑張らなきゃいけないんだ。強靱な精神が要求される職業とも言える。
「私は、駐在さんに自分の意見を述べました。犯行に使われた凶器が、ボルトアクションのライフル小銃ではないか、という考えをです」
「それはどうしてですか?どうしてライフルだと思ったんです?」
これは大事な事だと思う。ただの思い込みでライフルだと思う事は、捜査の幅をいたずらに狭める事になるからだ。川副警部が何時も僕らに言う、「予断と余談は禁物だろうが」というやつだ。
2006年09月28日
「墓石村事件」 7
「順をおって説明しましょう。私は先ず、マシンガンを除外しました。何故ならば、銃声から判断するに、一度しか射撃はなされていないからです。単発で発射し難い構造の銃は除外すべきだと考えました。又同時に、この様なかさばる銃は、この手の仕事には向いていないと考えたからです」
これは誰にでもわかる事だ。
「次に私は、ホイールロック銃やフリントロック銃、パーカッションロック銃、ショットガン、対戦車ライフル、グレネイド弾、クロスボウ、空気銃、その他の銃以外の射撃武器を除外しました」
「どうして、ショットガンや対戦車ライフルはダメっチャか?」
「ショットガンは散弾銃とも言います様に、ワッズ内のペレットを飛び散らせる構造の銃です。しかしこの事件での弾は一発だけでした」
そう。ショットガンとは、送り蓋の中の金属の粒々をばらまく銃で、感覚としては点を狙うというよりも、目標を面で捕らえるという感じの銃だ。絞りを調節する事によって、金属の粒の広がり方を変える事ができる。又、ショットガンはスムースボアと言って、旋条が切ってなく、発射された弾は例え一つの金属の粒だったとしても、普通回りながらは飛ばないんだ。二つの事から考えれば当然、狙撃なんかには適して無い銃だよね。
「たとえライフルド・スラッグを使ったにしても、弾体自体に切ったライフルでは、百五十メートルの狙撃は絶対に無理です」
スラッグっていうのは、ナメクジの事で、この場合の用法としては、一粒弾、ショットガン用のいっぱいに分れない、単体の弾の事だ。もっともこれは、金属の塊全般を指すスラングらしいけどね。ライフルド・スラッグってのは、発射された後回転する様に、弾自体に溝が彫られた、一粒弾の事なんだってさ。
「又、もっと近くで撃ったとしても、当然頭は破裂しません。ショットガンで人体の頭部を吹っ飛ばすには、互いの散弾による衝撃が、共鳴振動を起す程纏って着弾させねばなりませんから、それはどんなにチョークを絞ったとしても、至近距離でなければ無理と言うものです。我が国で最も普及している、十二番ゲージのシェル自体のサイズも元々、百五十メートルも飛ばす事を考えては作られていませんので、プロペラントを詰め様にも、恐らくそんな事は無駄な努力でしょう」
ここは最早狙撃とは関係の無い話だから、余談と言えるだろう。
「対戦車ライフルに関しては、命中精度云々について論じても良いのですが、それ以前に、威力が弱すぎます」
そのとおりだろう。戦車を壊す銃が、人間の頭を半分吹っ飛ばしたぐらいで終わるはずがない。
「続けて下さいっチャあ」
と、お杉も納得をしていた。
「その次に私は、有効射程が百五十メートル以上ないといけませんから、ハンドガンは除外しました。これらの銃では、偶然に頼らない限り、百五十メートル先の人の額に銃弾を命中させる事は難しいでしょう。シューターの能力の問題ではなく、銃自体の精度の問題としてです。バレルの長さや、アミネーションのケース長の関係上、長距離射撃には当然向いていません。無論、照準精度を上げる為の大型の保持装置は、ターゲットが動く事と、かさ張り過ぎる事の関係上、使用できませんしね。同様の理由で、マシンピストルも除外します」
とはいえ、僕が携帯している拳銃は、私服警官用のスナブノーズリボルバーなんで、オートピストルも当らないって事にあまり実感はなかった。
リボルバーというのは、輪胴式と呼ばれる物で、レンコンの形をしたクルクル回る、鉄砲玉を入れるところのある形の銃だ。このレンコンをシリンダーといい、これが弾倉と薬室を兼ねている。こういう形では無いピストルが、オートピストルだと思ってもらって良いと思う。
「で、実際、オートピストルの命中精度ってのは、どんなもんなんです?」
と、僕は質問したが、それに答えてくれたのは広瀬さんでは無く、マスターだった。
「コルトの四十五口径は知ってなさるな、兄ちゃん」
僕はその質問に頷く。コルトの45ACP、最も有名なピストル、M1911、つまりコルト・ガバメントだ。
「グーッド。五インチバレルのそいつを、二十五ヤードでレストマシーンに保持させた時のグルーピングが、市販の弾なら五ないし十センチメートル」
マシンレストとか、レストマシンって呼ばれるのは、銃や弾薬の良し悪しを調べる為に使う、銃を万力なんかで固定して、引き金を引く機械だ。まあもっとも、命中精度の把握だけが用途ではないけど、人間の保持ミスや、照準ミスを機械的にカットしてくれる器具なんだね。当然、ただ締めてるだけじゃ、射撃時に器具と銃器との間にズレが生じるから、銃の反動を逃がす為の何らかの装置が付いてるみたいだ。つまり、マスターの話をわかり易く解説をしておくと、人間による誤差の無い状態、つまり機械が握った状態で射撃した時でも、二十五ヤード先の的に、弾は五から十センチメートルの間で散らばるっていう意味。
「大体そのあたりで集弾する様ですね。まあ、今のマスターの説明を聞いてわかります様に、いかに射撃の達人といえども、道具の精度には頼らねばなりません。なぜならば、人間という要素が入って無い状態でさえ、こんなにも誤差が生じますからね」
弘法筆を選ばずという格言は、ガンマンやシューターの世界では、全く当て嵌まらないものらしい。
「二十二口径、十インチバレルの競技用銃ならば、レストマシーンに保持させた場合、五十ヤードでも、二センチ程度という事はあり得るが、百五十メートルの狙撃となると、ちょっと、いや、かなり厳しいか」
マスターは、低くかすれた声で解説をした。
「なるほどっチャアー。つまりピストルでの狙撃は全く無理っチャね」
説明を聞いたお杉はそう言い、取り出したタバコに、ターボライターで火をつけた。彼が吸うのは、L&M・マイルドっていう銘柄だ。
「第一、人間の頭半分吹き飛ばせるハンドガンなんざねぇよ」
と、マスターも笑った。
「最後に私は、手動ではない全ての銃を除外しました。何故ならば、セルフローディングの銃と言うのは、発射ガスの圧力や、発射の反動などを利用する造りの為、部品と部品の間に遊びが多いからです。わかり易く言えば、ガタが多い、とも言えるでしょう。これは作動を円滑に行う為には当然必要な事で、ここがタイトだと、プロペラントの燃焼粕等が溜り、すぐに作動不良を起してしまいます。しかし狙撃には高い精度が要求されますから、ガタつく様な銃ではその仕事には不向きなのです。例外的にセルフローディングのタクティカルライフルも確かに存在します。例えば、パーカー・ヘイルM85などがそうですね。しかしこれらはとても重く、あの様な場合十数キログラムもあるライフルを持ち歩くというのは、ちょっと常識的に考えられません。パーカー・ヘイルM85は、十四キログラムもありますしね。セルフローディングの銃で命中精度を持たせる為には、このぐらいの重量が必要なのでしょう」
そう言うと、広瀬さんは少し声を大きくしてこう言った。
「私の結論はこうでした。「この犯行は、ボルトアクション方式の小銃で行われた。故に、カービンを含む、ボルトアクション方式の小銃を捜す事が先決である」まあ、狙撃銃がボルトアクション方式であるというのは、半ば常識ではありますがね」