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2006年08月21日
「渾名の真相」 3-3
「ゴジョー君、仲間が向こうで呼んでるぜ。そろそろ彼を僕に貸して呉ないかい?」
と、僕らの間に稲葉が入ってきた。左手に、湯気の立つマグカップを持っている。彼は黄色地に青い水玉模様の、相当趣味の悪いやや細みのネクタイを締めていたんだけど、変な回り方をしていた。というのも、小剣が大剣の前にあって、しかもバルーンノットみたいに、上にピョコっと飛び出していたんだ。こんな締め方、見た事無い。
「何だい、そのネクタイ」
と、僕は謂って了った。
「ゆーたろが、こんニヤガリ者が。そん巻き方、誰でん変なかち思とんばい」
と、ゴジョウちゃんも笑った。すると稲葉は、
「何言ってんだい君達。タイなんて文化は、ついこないだ生まれたばかりじゃないか!タイなんてのは、スカーフを巻かない一部の人達が広めていったんだぜ!初めは変わり者さ!結び方も同じ。君達が日常的に使ってるウインザーノットだって、ウインザー公、つまりエドワード八世っていう英国人が考案したものだぜ。初めはまったく新しい方法だったのさ。君達は僕の結び方をバカにするけれど、二十一世紀のスタンダードは、この結び方かも知れないよ」
と、稲葉は言った。稲葉は日本語でネクタイが、締めるものだって事を知らないんだろうか。結ぶ結ぶと言っていたが、僕はあえて訂正しなかった。尤も、ゴジョウちゃんの巻き方って表現にも、僕は少し抵抗を感じたんだけど。
「君も、この結び方をスタンダードにするのに、ちょっとした手伝いをしないかい?」
「一体、それはどういう意味だい、稲葉」
と、僕が稲葉の問いに尋ねると、稲葉は、
「君にもこの、新しい結び方、イナバノットを教授してやろうって、そう言ってるのさ」
と答えた。
「教えてもらうのは良いけど、なんだかその締め方、太い部分が首を回っていて、ちょっと苦しそうだね」
と、僕が言うと稲葉は、
「うん、実はそうなんだ。良いところに気がついたねえ。僕は今まで何故息苦しいのかって、思案してたところだったんだ。いやあ、巻き方に欠点があったんだねえ。君に指摘されて、今始めて気が付いたよ。これではあまり流行りそうにないなあ。うん。結び直そうか」
と言った後彼は、プレーンノットで締め直したんだ。その間にゴジョウちゃんは、「ぬしどんらのゆーとる事は、よーわからんばい」と言って、席を移動して了った。向こうで木田くんとお杉が、僕らにロックグラスを上げてみせた。その輪にゴジョウちゃんは入ったみたいだった。
「ねえ、今日はシャンデーガフは飲まないの?」
「僕はこの間迄体調を崩していてねえ。今日はアルコールは控えておくよ」
僕の質問に、稲葉はこう応えた。
「体調を崩すって、一体どうしたの」
と、心配になって僕は聞いてみた。
「季節の分かれ目だよ、原因は」
「えっ、風邪かい?」
季節の変わり目って言ったって、この時は未だ二月の初めだ。気温の変化ってのはそう無くって、暑かったり寒かったりって事は無い。衣服の量を細やかに調整する必要はまったく無い筈だ。確かにインフルエンザは流行っていたけど、寒いばかりだったから、季節の変わり目ってのがどういう意味なのは、僕には全然わかんなかった。だけど、
「寒いんだから、気を付けなきゃ」
と一応謂っておいた。しかし稲葉は、
「違うよ違う。風邪じゃないんだ」
と言う。
「えっ、風邪じゃ無いのかい?」
じゃあ、一体何なんだろうって思った。
「うん。日本では冬の最後の日にね、例の行事をやるだろう?柊の葉っぱを飾ったりする。あの魔よけはロシアの一部地域にも風習があるんだがね。日本では頭が信心の対象となってるあの魚も、かの国ではイバッシーとか呼ぶらしいよ」
「ああ、わかった、わかった。君が言ってるのは、節分の事だね。確かに鰯の頭を飾る地域もある様だね」
と、僕はやっとピンときてそう謂った。
「うん、そうだ。立春の前日だね。同じ北半球でも、ヨーロッパでは春と言うと春分以降なんだけど、この国では少し春の訪れが早い様だね」
と、稲葉は説明する。
「で、節分と君の体調不良には、一体どんな因果関係があるんだい?まさか、鬼に噛み付かれたとか言うんじゃないだろうな」
「まさか。そんな非科学的な事は言わないよ」
と、僕の冗談を受け流した後に稲葉は、
「その日は、お庭は外、だとか何だとかって、そんな妙なマジカルスペルを詠唱する風習があるよね。そして、素焼き大豆とかピーナッツだとかを、年の数だけ食べるだろう?」
と、真剣な顔をして言う。
「ああ、お庭とは言わないけれど、確かに歳の数だけ豆を食べるねえ」
「うん、そうなんだ。こんな苦行を毎年こなすなんて、僕は日本国民の忍耐強さには、まったく敬服するよ」
一体どういう意味だろう。素焼き大豆や落花生は、彼の口には合わないんだろうか。稲葉はニュージーランドでの暮しが長かったから、日本の風習に成れていない事が多い。これもそうなのかって、僕は思った。
「フェン・イン・ローマ、ドゥ・アズ・ザ・ローマンズ・ドゥ。羅馬にいる時は、羅馬人のする様にしろって、そう云うだろう?僕も日本の風習に従って、年の数だけ大豆を食べたんだよ」
うん、郷に入っては郷に従えと云うね。
「だいたい年の数だけ数えるのが大変じゃ無いか。僕は六百六十七回も数えるのに、先ず苦労したものだよ」
あちゃー、この人やっちゃってる。大きな勘違いだ。年の数って、年齢の意味なのに。
「年の数だけ詰めて、売って呉ない物かねぇ」
「つまり、お腹を壊したって意味だね?」
僕は一応、聞いてみた。
「うん。まったく見事な推理だよ」
名推理などではまったくない。誰もが経験的に知っている、論理的帰結だ。僕は聞いた事を、後で恥ずかしく思った位だ。
「じゃあ、もし去年だったら何回数えたの?五百回かい?」
僕は何だか真実を話すのが可哀想になって、こう聞いてみた。
「いや、六百六十七回だよ。そこから一粒減らせば良いじゃ無いか。まあ、気分によっては、六百六十六回と二粒になるかも知れないけどね。四つづつってのは、目が痛くなるからね、僕はしないんだ。もっとも、五百を四回数えるのに較べたら、ずっと楽だけどね」
僕はそれに、はははと笑って応えた。
投稿者 strap : 2006年08月21日 00:07