却説、音読する作品はその日の気分によって変えるのですが、中でも山月記は好んで音読する一遍です。しかしこの山月記、なかなかに難しい。
先ず出だしの「隴西」からして、なんと読むべきか、良く解かりません(青空文庫や山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)では「ロウサイ」説、江守徹の朗読
では、「ロウセイ」説を採っています)。
現在の隴西県は「ロウセイ」と読まれる事が一般的な為、「ロウセイ」の読みの方が有力な様ですが、それと中島敦が何と読ませたがったかは、本来全く関係のない事です。
偖、「東京」という地名があります。無論ご承知の通り、我が国の首都です(東京という地名は実は多く、三国志では洛陽の別名でもあります。ベトナムのハノイなども、昔は東京と呼ばれており、その名残がトンキン湾です。ですが今回は、我が国の東京都を指す語だとご理解下さい)。
一体この地名は、何と読むべきなのでしょうか?
「トーキョー」と読むべきと、考える方が殆んどではあるでしょうが、場合によっては「トウケイ」と読みます。
これに関しては、東京都公文書館というサイトが詳しいです。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0715tokei.htm
僕の好きな山田美妙(今年、没後100年目です)の代表作である「武蔵野」も例に引かれ、「トウケイ」という読みが紹介されています。 (参考→ 青空文庫;武蔵野)
鳥渡引用してみましょう。
慶応四年(一八六八)七月十七日、「万機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス」と天皇親政を掲げた詔書が出され、そのなかで江戸は「東国第一ノ大鎮、四方輻輳ノ地」であるとして、「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」と、江戸は東京と改称された。そして、それまで京都を御座所とした天皇は東京へ行幸し、そのまま居続けた結果、事実上の遷都が行われた。こうして「京=みやこ」は東へ移ったのである。
このとき、江戸は東京と称することとなったが、そこに振りがながあるわけでもなく、読み方について「トウキョウ」「トウケイ」のどちらを採用すべきかについては、根拠となるような法令が出たわけでもなかった。
ここで、明治初年の小説に「東京」が登場する場合、そこに付された振り仮名に注目すると、「トウキョウ」読み「トウケイ」読みとも、それぞれ次の諸例をあげることができる。
(後略)
これは一体何故なのか?
前述した東京都公文書館から(遡って)もう一度引用してみます。
「京」には「キョウ」のほかに、「京師(ケイシ)」のように「ケイ」と読む場合がある。より専門的にいえば、「キョウ」は呉音、「ケイ」は漢音での読み方である。
呉音とは、古代中国の呉の地方(揚子江下流)から伝来した音で、多く僧侶により用いられた。「行=ギョウ」とする読み方である。また漢音とは、唐代長安(今の西安)地方で用いられた発音で、遣唐使、留学生などによって奈良時代・平安初期に輸入された。「行=コウ」とする読み方である。こちらは、主に官府や学者に用いられた。
(中略)
同じ漢字を同じ意味で用いる場合であっても、呉音で読むか、漢音で読むかは、学問の系統により、それぞれに読みならわし方があったことがうかがえる。『浮世床』の儒者孔糞は、壁にはりつけてある寄席のちらしを見て、「今昔物語(いまむかしものがたり)」を「コンセキブツゴ」、「朝寝坊夢羅久(あさねぼうむらく)」を「チョウシンボウボウラキュウ」と漢音で読み、勘違いしたうえで小難しく講釈してみせる、その滑稽さのなかに、儒者は漢音を用いるという慣例が見てとれる。
たしかに、江戸時代の漢学者太宰春台は、『和読要領』のなかで「長安ヲ西京(セイケイ)西都ト称シ、洛陽ヲ東京(トウケイ)東都ト称ス」と、京の字を漢音で読んでいる。また一方で、『日葡辞書』では、東方の都の意味で「Tôqio」の語が収録されている。
このように、日本で「東京」が地名となる以前から、「東方の都」という意味での「東京」という語彙は存在した。そして、「京」には漢音「ケイ」、呉音「キョウ」と二通りの読み方があり、学問の系統によって、漢音呉音をそれぞれ使い分ける慣例があった。こうした背景から「東方の都=東京」の読み方は一定せず、「トウケイ」とも「トウキョウ」とも読みならわされていたであろうと考えられるのである。
つまり、「トウケイ」は漢音であり、漢学者達はこちらを好んだ、という訳ですね(註:「日葡辞書」とは、日本語をポルトガル語にした辞書の事です)。
却説、実際中島敦が「隴西」を何と読ませたかったのかは解かりません。
現在出ている書籍では、前述したように「ロウセイ」と「ロウサイ」の二種類の振り仮名が用いらています。
そして西の発音は、「セイ」が漢音、「サイ」が呉音です。
僕自身は「ロウサイ」と読む音が好みなのですが、中島敦が漢学の素養を持っていた事を鑑みるなら、「ロウセイ」の方が、どうやらより正しそうではありますね。
と、山月記は出だしからして、読むのが難しいのです。
中島敦「古譚」講義という本があり、僕はこの本の内容がイマイチピンと来なかったのですが、この本で著者は、中島敦の作品は音読すべきではないと主張しています。
僕自身、その意見自体は暴論なんじゃないかと思うのですが、確かに何と読むべきか解からない(迷う)箇所は多く、然う言いたくなる気持ちも解からぬではありません(この著者は、「白露」の語を問題としています。「しらつゆ」と読むか「ハクロ」と読むか、という事ですね。この著者自身は「しらつゆ」と読む方が美しいと考えている様ですが、僕は「ハクロ」の方が気持ちいいと思います)。
わざわざ冒頭から「虎榜」と、虎の字を用いた事からも分明る様に、字形によるイマジネーションの喚起をも意識した作品ではあるからです。
一理あるかも知れません。
「弟」という字は「弟妹」をはじめ、「師弟」、「門弟」、「実弟」、「舎弟」、「子弟」、「高弟」、「姉弟」、「賢弟」などと使う様に、「テイ」と読む場合があります。
この「テイ」という音も、漢音です。
なので、牛人 (と「弟子」)というエントリーで「弟子」という作品名を何と読むかという事に軽く触れましたが、やはり「テイシ」と読むべきなのでしょうね。
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漢字の読み方についての蛇足
このサイトは三国志に関するものですので、ちょいと又例を出しますと、曹操の息子「曹植」を何と読むか、という問題もあります。
文学では慣例的に「ソウチ」と読み、三国志の登場人物としては「ソウショク」と呼ばれる事が多いようですが…… 南飛烏鵲楼さんが詳しいようですので、リンクを設けておきます。
http://taketaturu.blog68.fc2.com/blog-entry-124.html
「和尚」を何と読むか? など、この手の問題は実に難しいです。
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今度は全くの蛇足。
以前、三国志と囲碁(3)というエントリーで軽く紹介した、「精魂の譜 棋士加藤正夫と同時代の人々」が本になっていました。

今一度紹介しておきます。
]]>ご存知の様に中島敦の作品は、旧字体旧仮名遣いで書かれており、今我々が読む作品の多くは、新字新仮名で書かれています。
その過程で、今日使わぬような「其の」を「その」と開いたり、各出版社工夫している訳です。
「山月記」を少し引用してみましょう。
この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。
この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。
この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。
この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、かつて進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。
(微妙な違いなので判りづらいかも知れませんが)一番上の「青空文庫 旧字旧仮名」に対して、「端正・格調高い文章を味わう 中島敦 (別冊宝島1625)」は最も忠実に漢字を残していますが、あとの二つはそれぞれ少しづつ開いています。
偖、先日高校生用の国語教科書に納められた「山月記」を読む機会を得ました。ISBNなどが書いてないので、どう表現したら良いのか分かりませんが、明治書院の「精選国語Ⅱ 二訂版」という本です。
僕はこの本の「山月記」を見て、すぐに違和感を覚えました。
簡単に言うと、「膝を俗悪な~」を「ひざを俗悪な~」の様に、漢字を開き過ぎていて、ひらがなだらけなのですが、それだけではなく、漢字が変更されているのです。
先ほどと同じ文を引用してみましょう。
このころからその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみいたずらに炯々として、かつて進士に登第した頃の豊頬の美少年の面影は、どこに求めようもない。
おわかり戴けたでしょうか?
漢字の開き方が甚だしいというのもありますが、それよりも「俤」が「面影」に改められています。
この直前でも
しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を追うて苦しくなる。
しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。
或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。
ある夜半、急に顏色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下に飛び下りて、闇の中へ駆け出した。
起上る→起き上がる
とび下り→飛び下り
駈出した→駆け出した
と、送り仮名を変更したり、勝手に漢字に直したり、漢字を変更したりと、無茶苦茶なのです。
作品は現代人が読む物ですから、仮名遣いを改めたり、漢字を開くのは、当然の行為だと思うのですが、こういう改悪は、如何なものでしょう?
これで作品の質が著しく下がるというものではありませんが、何故こんな事をするのか、解かりません。
漢字が難しいから改めた……というのなら、冒頭の
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
慥かに「逐う」や「俤」、「駈出す」は一般的ではないかも知れませんが、ならば字を改めず、開けば良いだけの話だと、僕は思います。
送り仮名も、「起上る」は間違いで「起き上がる」が正しいとしたいのでしょうね。僕自身の好みを言えば、「起き上がる」の様に、送り仮名は一字多い方が字面が美しいとは思いますが……しかしそうだからと言って、筆者が選んで用いた送りを改変するのは、どうかと思います。
文部省(当時)の方針なのか、教科書会社の方針かは知りませんが、作品を改変し過ぎている様に思えてなりません。
送り仮名に関しては、文科省のサイトを見ると、
許容 読み間違えるおそれのない場合は,次の( )の中に示すように,送り仮名を省くことができる。とは有るのですが……〔例〕 書き抜く(書抜く) 申し込む(申込む) 打ち合わせる(打ち合せる・打合せる) 向かい合わせる(向い合せる) 聞き苦しい(聞苦しい) 待ち遠しい(待遠しい)
田植え(田植) 封切り(封切) 落書き(落書) 雨上がり(雨上り) 日当たり(日当り) 夜明かし(夜明し)
入り江(入江) 飛び火(飛火) 合わせ鏡(合せ鏡) 預かり金(預り金)
抜け駆け(抜駆け) 暮らし向き(暮し向き) 売り上げ(売上げ・売上) 取り扱い(取扱い・取扱) 乗り換え(乗換え・乗換) 引き換え(引換え・引換) 申し込み(申込み・申込) 移り変わり(移り変り)
有り難み(有難み) 待ち遠しさ(待遠しさ)
立ち居振る舞い(立ち居振舞い・立ち居振舞・立居振舞) 呼び出し電話(呼出し電話・呼出電話)
以前孫康映雪 車胤聚蛍というエントリーで、教科書が原文を改変していると書きましたが、教科書とはそういうものなのかも知れませんね。「学生が分かり易い様に、簡単に直しとこう」みたいな気持ちで、改変をするのかも知れません。
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却説、改めて別にエントリーを設けようと思っていましたが、面倒なのでここで紹介します。

以前僕は、中島敦 弟子(1)というエントリーで、子路とシモン・ペトロの類似性を指摘しましたが、この本でも指摘されています。この指摘はキリスト教圏の人には皆思い当たる考えなのかも知れません(シモン・ペトロの頭文字と尻文字が「し」と「ろ」である事も、面白い一致ですね)。
この本が最もユニークなのは、「The Moon Above the Mountains」というタイトルの、「山月記」の英訳が付けられている事です。
「山月記」の素晴らしさの一つは、その日本語の美しさにある訳で、英訳で読んでもなあ~と考えては了いますが、まあ中々面白くは読めますよ。別物の、英語の勉強だと思って読むと良いと思います。
「The Moon Above the Mountains」を直訳すると、「その山々の直上のその月」ですが……これで良いんですかね? 自分のイメージとは、少し違う気がします。
]]>「まあ、これは個人の好みの問題だしなあ~」などと客観視していた心算でしたが、最近違うのではないかなあ~と、思うようになってきました。
この映画を本当に評価しているのは、「現代の社会的弱者の生活や苦悩を知っている者なのではないか」、と思い始めたからです。
まあ何が言いたいかと言うと、人間は連想出来る生き物で、あるキーワードから別のキーワードを探し出し、別の事柄について考えて了うものなのです。
これが、面白い発見や新しいアイデアなどに繋がるのだと思います。
却説、ダイエットについて考えていて何故、外国の思想にまで行き当たったのか。
鳥渡だけ僕の思考を追ってみましょう。
(尚、内容は裏を取っていないので、間違いがあるかも知れません)
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ダイエットはdietと綴るのですが、実はこれには「国会」という意味があります(辞書で調べてみて下さい)。
現在国会で話題になってる下らない事柄の一つに、冬季五輪のスノーボード男子ハーフパイプ代表、国母和宏選手の服装問題がある様です。
偖、この国母和宏選手について調べたところ、好きな曲は広瀬香美の「ロマンスの神様」らしいのです。
どうやら「アッコにおまかせ」という日曜お昼の番組で暴露されたらしいですね。
という訳で広瀬香美について調べていたら……ukiぺであに興味深い記事が!
なんと
『ロマンスの神様』のサビ以外の部分は井尻駅前バス停で、『愛があれば大丈夫』のサビは六ツ角歩道橋の上で作られた。と。井尻駅も六ツ角歩道橋も、しょっちゅう利用してますよお。俄然興味増すじゃないですか!
で、なんでこの広瀬香美ってお姉さんは、井尻駅近所をうろうろしてたのかと言いますと……福岡女学院中学校・高等学校の出身なんだそうです。
この福岡女学院中学校・高等学校を調べてみると、芸能人が(九州の学校にしては)沢山出ていますね。そして又もukiぺであに興味深い記事が!
1921年、当時の校長エリザベス・リーの発案により、欧米で高級子供服として流行していたセーラー服を制服として制定。現在でも当時のデザインを基本的には踏襲している。
という訳でukiぺであのセーラー服の項目を見て、已下の記事を見つけた訳です。
現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服として最初に採用したのは福岡県の福岡女学院であるとされる。
サウジアラビアでは女子高生の制服として採用されている。アラビア語でسايلر فوكوと書いて「セーラーフク」と読みそのまま日本語由来の外来語として定着している。 ただし、サウジアラビアでは女性がアバヤ以外の服装で外を歩くことが刑事罰の対象となるため、学校内のみの服装であり通学時も含めて学校から出る時はサウジアラビアで一般的なアバヤに着替えなければならない。このためセーラー服を着て歩いている女性を見かけることは無い。
現在でもサウジアラビアではセーラー服に対して極端な嫌悪感を示す人が多く、極端な男尊女卑思想が一般的で女性が高等教育を受けることに否定的なサウジアラビア人の間では害悪の象徴として激しく憎悪する人も多く、2002年3月11日にマッカにあるファイサル女子高等学院が火事になった時に女子生徒たちのセーラー服が違法だから外に出てはならないという理由で火事の中に閉じ込め15人が死亡50人が負傷する事件が起きている。この一件で火事の中に女子高生を閉じ込めた勧善懲悪委員会のサッターム王子は刑罰を受けないどころか正義を行ったと自慢した。
「本艦の右上方35度、目測で距離1万2000です」
(02:00頃)
「船長。敵船を距離1万2000で捕捉」
(01:34頃)(映像が別のアニメーションのものですが)
「1万2000年の昔から、ブルーウォーターの為に流される血は尽きぬのか……」
(07:48頃)
「東から飛行物体接近。高度825メートル。速度、時速……なんと1万2000キロです!」
(04:43頃)
「東から飛行体接近。高度825メートル。速度……あの、時速、なんと、1万2000キロです……」
「時速1万2000キロだと? 計算でも狂ったか!」
(09:29頃)
「距離2万2000」とか、「1200」なんかも、多い。バリエーションの内であろう。
]]>このゲームは沢山のカードがある事が売りなのですが、僕が一番好きなのは、精霊柱『オエステ』ちゃんです。後ろでパンチしてるおっさんもセットで良い! 壁紙もこちらにあります。
却説、そんな精霊柱『オエステ』ちゃんを、ユーフィリアさんに書いて戴きました!
それが、ユーフィリアさんのブログに掲載されています。
本当にありがとうございました。
と、他人のブログを一つ紹介して終わるというのもナンなので、戦跡がわかる形でファイル晒し。
]]>以前から遊んでいるオンラインカードゲームの「オレが考えた最強の設定コンテスト」の話です。然も最優秀では無いので、カード化もされません(涕)
受賞したのは(多分直ぐに分明ると思いますが)「クロスオーヴァー賞」です。作品タイトルは、「拠点防衛用小型無人亜音速空中戦闘艦『パラディン・ラルト』」といいます。
ありがたい話だと思って、素直に喜んでおります。
偖、どんな設定を送ったかは、前述の跳び先に譲りますが、まあ「プロジェクトX」みたいな設定ですね(ジャッキー・チェンの映画は「プロジェクトA
」若しくは「スパルタンX
」)。
応募した際の電子書簡には、
今回の応募内容は、以前国営放送で放送していました「プロジェクトX」っぽい設定を作りたくて、メカ物です。と書いていました。「非ネームドユニット」というのは、(物語の中ではエキストラ的役割でしかない、無名であるという設定の)ゲームの駒(カード)の種別を表しています。
非ネームドユニット達が頑張った内容にしてみました。
又アルテイルは、戦争や戦役を扱いながらヒーロー物としての色が強いので、今回はあえてミリタリー物っぽい感じです。
已下、自作解説。
艦種の仰々しさは、「幻の発掘戦艦」ことΝ-ノーチラス号(ヱクセリヲン)の「第四世代型超光速恒星間航行用超弩級万能宇宙戦艦」を意識しました。
あんまり長過ぎると不適かなあと思い、加減した長さに抑えています。
艦名はドイッチュラント級装甲艦(俗に言うポケット戦艦)の「アドミラル・シェーア」や「アドミラル・グラーフ・シュペー」等を意識して、「役職名+人名」みたいな感じにしました。「ラルト」という言葉は短すぎて、「シャルンホルスト」とか「ビスマルク」の様な人名のみのタイプでは、ちょいと艦種に対して味気ないかなあという感じでしたので(あ、ラルトさんというのは、アルテイルというゲームで最も人気の高い、然も超レアカードで、ゲームのストーリー中では故人なのです。パラディーンというのは、カードの横文字表記がそういう役名なんです。ラルトさんについては公式サイトのこちらで解説しています。左手に剣を持っている事が、「復活した鋼の弓兵」が恐らく左利きである事と符合する様に思いました)。
「撃墜される事によるモラール(士気)の低下を恐れ、積極的に実戦投入される事はなかった。」という一文も、先に書いたドイッチュラント級装甲艦の一隻を意識しています。ネームシップの「ドイッチュラント」は、撃沈される事による戦意の低下を懸念され、「リュッツォウ」に改名されており、この故事を参考にした形です(ポケット戦艦好きなんですよ。History BatonというエントリーのThe battle I remainedには、ラプラタ沖海戦のみを挙げています)。「モラール」というのはmoraleと綴り、moralの事ではありません。
あと、近接戦闘で「クラスター爆弾を散布する」みたいなのを想定していたのに、書き忘れていました(泪)
講評に書いてありますが、慥かに他の作品とは毛色が違い過ぎましたね。遉にこれで最優秀を狙うというのが間違いだったかも知れません。
でもスタッフ賞の中にも、ハッとさせられるものがありますから、その奇異さが逆に良かったのかも知れませんが。
自作解説上記迄。
あ、ゲーム中で使っている名前を変更していた為、運営スタッフには混乱をさせてしまったかもしれません。今月の頭に改名したんですよ。
という訳で、新しい名前を告げました。
茶室でご一緒した、マグネシアさんも受賞されたそうです。
おめでとうございます。
マグネシアさんのページはこちら→アルテイル無課金道!
**********
アルテイルは、月額無料で(も)遊べるオンラインカードゲームです。
最近過疎ってきてるので、新しい人が増えてくれると嬉しいです。
アルテイル公式
http://www.alteil.jp/
車を駐車する
眼下に見下ろす
なんてやってしまいたくなります。
プロの書いた文章でも
味方の僚機
過半数を超える
不快感を感じた
なんて文章を見た事がありますね。
世間で見られる重複表現の中には、「星の降る夜」や「元旦の朝」の様に故意に狙った技術的なものもあるとは思いますが(永六輔の「見上げてごらん夜の星を」も、特殊な状況下でなければ見上げぬ限り星は見えませんし、又夜にしか星は通常見えませんから、人によっては重言と見るのではないでしょうか?)、然うでなければ、なるべくなくしたい物です。
気にしすぎて、文章を崩す事は恐いのですけどね。
却説、とはいえ僕はそういう重言に対してわりと肝要なのですが、最近どうしても許せない重言を発見してしまいました。
それが
インチキ霊媒師
です。
インチキじゃない霊媒師がいるかよ、呆け!
という感じですね。
同様に、インチキじゃない占い師も存在しませんし、インチキじゃない超能力者もいません。
この様な重言こそが、霊媒師なるものの存在を認め、犯罪を助長する事にも繋がるのだと思います。
偖。昔読んだ漫画に、「女のおばさん」という重言を書いているギャグがありましたが、昨今では「男のおばさん」もいるようです。
注意したいですね。
********
ゲッサンで連載中の水滸伝ですが、青慈にも何か秘密がある様ですね。
]]>****以下本題*******
中島敦の『李陵』を読んで僕が感じるのは、結局は『山月記』と同じテーマを書きたかったのではないかという事です。
無論、『李陵』には『李陵』独自の、『山月記』には『山月記』独自のテーマがあるのですが、しかし中島敦が最も強く、何時も思っていた事は、「自惚れの為に破滅する人」では無いかと思います。『李陵』の李陵も、『山月記』の李徴も、自分の実力以上の事に挑戦して失敗をしていますし、先ず間違いはないでしょう。これは中島敦にとって、重要な問題だったのだと、そう僕は確信をしています(中島敦自身の、原稿の預け方などに、それを思わせるところがあります)。
恐らく中島敦は、己の文才に非常な自信があったのだと思います。しかし彼のその自信は又、「臆病な自尊心」でもあったのでしょう。『狼疾記』には
彼の「臆病な自尊心」もまた、この途を選ばせたものの一つに違いない。人中に出ることをひどく恥ずかしがるくせに、自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖が、才能の不足を他人の前にも自らの前にも曝し出すかも知れない第一の生き方を自然に拒んだのでもあろう
と、こうは書きましたが一方、『李陵』前半部には「才気溢れる人が、充分な活躍の場を与えられぬ苦悩」というテーマが混在しているのではないかと思います(史実の李陵がどうであったか、という話ではなく、その史実がどう解釈されたか、という話です)。事実中島敦は李陵を、優れた指揮官として描いています。
二律背反している様に感じるかも知れませんが然うではありません。僕はこの作品を、「才気溢れる自惚れた人が、充分な活躍の場を与えられぬ為、無理な仕事に挑んで破滅する」物語だと思うからです。結局「臆病な自尊心」というのは、「自らを高しとする点では決して人後に落ちない性癖」を含んでいる訳で、「挑戦すれば成功するだろう」という自信と、「挑戦して失敗をすれば、破滅するだろう」という恐れの自家撞着なのだと思います。
そしてこれは又、中島敦自身の心にあった、葛藤でもあるのではないでしょうか?
自分の文才に自信があるも、それを否定されるのは恐ろしい。しかし、それを世に問いたいという欲求も強く持っている、という様な……。
そうして見ると『弟子』なども、「師である孔子が認められない事に歯噛みする、子路の物語」と読めない事もありません。
一方『三国志演義』ですが、こちらは長大な物語であり、長大であるが故に(無論別の理由もありますが)多くのテーマを含んでいます。しかしこの物語でも、諸葛亮登場部分迄の主要テーマは『李陵』と同じく、「才気溢れる人が、充分な活躍の場を与えられぬ世の厳しさ」では無いかと思います。
無位無官の劉備とそれに従う関羽や張飛は、官職に無いが為に小物と嘲られ、活躍をしても全く認められる事は有りません。彼等の事を唯一認めるのが、後に最大の敵となる曹操なのですが、この曹操にしてからが、あまり大人物という扱いを受けていません。名家に生まれた人が、その生まれのみで尊いとされ、その尊い人物に使える人が、関羽や張飛に劣るというのに、豪傑の扱いを受けています。
優れた人が全く評価されぬ事に義憤し、そしてそんな彼らが活躍する様を、人々は愛し、楽しんだのではないでしょうか。
現代日本ではピンと来る人が少ないかも知れませんが、職業選択の自由が無かった時代の庶民は、生まれのみを理由に驕る人を、真に優れたヒーローが打倒する話を好んだのではないでしょうか。
僕には、そう思えます。
****本題以上*******
偖、町は待誕節に入ってからというもの、イルミネーションでギラギラしています。日本人独特の宗教観で、切支丹の祭がそれほど宗教臭くありません(中島敦の『弟子』に出てくる儒家も、宗教団体というよりは、まるで思想集団の様です)。
教会には、「ナザレで建築業を営むヨセフさんの坊やが、厩で生まれた場面」を再現する模型があったのですが……思わず言って了いました。
「イスラエルでこんなに雪が降るものか!!!!!!」
そこにはキリスト者の人達が沢山いたのですが、僕は何故か凄く睨まれて了いました(調べてみると、稀に降る年がある様です)。
いや、吃驚了した。
吃驚した。
僕は(北九州市立松本清張記念館に往きましたというエントリーで少し名前を出しましたが)、山田美妙という作家が好きなのですが、登場人物の一人として、この山田美妙が登場了した。
そして、何だか最近見た貌だな~なんて考えていたら、朝何気なく見た、仮面ライダー(センターマン)の役者でした。あの、忍者刑事シャドウマルの声で「ジョーカー」とか言う、wと書いてダブルユーと読む仮面ライダーです。
そのドラマで「霧彦さん」という、マスオさん的役柄の人でした。ただ、そのドラマではカツオくんとフネさんのポジションが無く、波平、サザエ、マスオ、ワカメ、タマで生活しています。ちなみに波平さん的役柄は、水滸伝で一清道人を演じた寺田農です(個人的には『元禄繚乱』の奥野将監や、角川映画の犬村大角ですけど。尚、サザエさん一家がモデルですよ、という意味でか「波平→リュウベエ」、「サザエ→サエコ」、「ワカメ→ワカナ」と、役名はかなり似せています)。
しかし、いやはや吃驚了した。
山田美妙が出るとは思いませんでしたし、ジャリ番の(新人)俳優が出るとも思いませんでしたから。
却説、他にも明治の有名人が沢山ですね。
クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケルという人は、関が原の戦いの布陣図を見て「西軍の圧勝」と言った人です。「戦術的優位が戦略的敗北を覆す事が難しい」という例え話の時によくこの事が取り上げられ、「西軍が戦術的に優れていた」事の証明に名前が良く使われています。
三国志の周倉を説明する際僕は、「関羽の配下で、広瀬中佐の杉野兵曹長的ポジションですよ」なんて分かり易く言うのですが、広瀬中佐も出ていましたね。
然う言えば以前、将軍というエントリーで、代表的な将軍の一番最初に、児玉源太郎をあげていました。日露戦争の将軍達は皆著名ですが、児玉と乃木の両名は今も人気がありますね。
(まだドラマには出ていない人物ですが、)乃木将軍は、夏目漱石の「こころ」にも先生が死ぬあたりで名前が出てた様に記憶します。又森鴎外の「阿部一族」は、乃木の殉死に影響を受けて書かれた作品だそうです(しかしこのドラマの影響で、「天才軍師、秋山真之」と同じ位「乃木将軍は無能」ってイメージが定着しそうで恐いです)。
偖、肝心のドラマの感想は書きません。
裄丈を計るシーンだとか、置手紙を読むシーンが特に良かったですね。
胸が熱くなるドラマです。
併し最近気付いたのですが、もっくん主演の大河ドラマに、なんでダチョウ倶楽部は出なくなったんでしょうか?
最近三国志の話題を全く書いていませんね。
次回は、必ず三国志関連の記事を書きます。
僕の学生時代の卒業研究のテーマの一つに、瀋陽の都市計画を研究するものがあった(瀋陽は日露戦争当時奉天と呼ばれ、奉天会戦は日露戦争最後の会戦である)。つまりは、もともと興味があったテーマであるし、僕自身は過剰に評価している可能性がある。しかしその事を差し引いても、このドラマの魅力には、たっぷりとお釣りがくるだろう。
もっくんといえば、「バロー・ギャングBC」や「ラッフルズホテル」を見た事あるが、最早その頃のイメージではなく、今では堂々とした役者である(「Shall we ダンス? 」でも然う思ったが、あれは出番がホンの少しだったので……)。青年の役でもまだ遜色がないのは、役者としての力量だろう。
高橋是清役の西田敏行には、是非今又、天蓬元帥を演じて欲しいと思える力強さがあり、ちらりと出ただけなのが勿体無くも感じる。松たか子はそんなに好きな女優さんではないのだが……それでも可愛らしく感じた。
役者だけではなく、衣装の汚し具合だとか、町の見せ方だとか、安っぽさがなくて、リアリティがある。司馬遼太郎の世界が、そのまま映像になった様だ。
しかしこのドラマ、素晴らしい出来であるが故に、懸念がなくはない。
世の中には、ドラマがフィクションであるという事を、理解していない人もいるのだ。
益々「天才軍師、秋山真之」などという虚構が広まりはしまいか?
然う寸考して、「日露海戦の」と題し2007/02/27(火)に書いた自身の日記を思い出した。
短文なので、全文引用してみる。
真の主役は、嶋村速雄と海兵七期の面々である。秋山の役割は小さく、語り継がれる多くの事はフィクションや他人の手柄に過ぎない。
日本海海戦時の連合艦隊戦策(連隊機密第二六号)も、本来嶋村の仕事である。無論これは、秋山の才を否定するものでは無い。
ただ、「軍事の天才秋山」というのは、少々評価が過ぎる様である。
勿論「日露海戦」の話題であるから、ここでいう「秋山」は「秋山真之」を指す。
このあたりの話は、『坂の上の雲』の真実という本に詳しい。著者は、元防衛省防衛研究所戦史部主任研究官。与太なんぞではないので、是非読んで戴きたい。
と、司馬遼太郎が嘘を作品に書いた事を述べたが、これは司馬遼太郎を非難しての事ではない。
寧ろ逆に、卓抜した技を褒め称えるものである。
彼は坂本竜馬や新撰組の一般的なイメージもつくりあげたが、それはそれだけ作品にリアリティがあった、という事だろう(現代人の持つそれらのイメージは、俗に言う「司馬史観」によって作られた虚構であるが、その事を知らぬ人は多い)。
小説というのは抑々フィクションなのであるから(無論TVドラマも)、それに騙される(というか、史実と信じる)方が愚かというべきだ。嘘とか本当とかは先ず抜きに、その物語を楽しめば良いのである。
本当にサリエリがモーツアルトを殺したのか? それと映画「アマデウス」の評価は、全く別の問題なのである。
尚「嶋村」は、「島村」と表記される事が多い様だ。僕の持つ資料でも、多くが「島村」と書いている。興味を持たれた方は、検索の際「島村速雄」でぐぐってもらいたい。今回のドラマでは、舘ひろしが演じるのだそうだ。
楽しみに待ちたい。
何、ゾル大佐のコスプレしてるんすか!
と、今回は半ば仮面ライダーネタです。
偖、ポケモンに、カメックスというのがいるらしい。
それがこれです。

これのモデルって、おなじみカメバズーカじゃないんですかね?
「貴様にこのトーキョーの平和は乱させん(キリッ」「それが私達の任務だ(メガネクイッ」と決める本郷と一文字に対し、「ばかめ!」とか親父ギャグを言っちゃうカメバズーカが、迚もお茶目さんです。
然う言えば、こんなのもいましたね。


なんでこんな事を書くのかというと、僕も作品(三国志小説)で亀に大砲乗せちゃったんですよ(汗)
僕の場合は少し、大悪獣ギロンが混ざっていますけど。
矢張り、亀と筒の組み合わせは、しっくりと馴染みます。
鳥渡だけ引用。




新旧の主役メカが揃ったところで、次は「狙い撃つぜ!(cv:三木眞一郎)」とか、「鍛え抜かれた戦士の肉体のさらなる延長なのだ(cv:じゃっくばうあーの人)
」などの機体を期待したいところですね、リボルテックには。
豆知識:TSRの第三回サブタイトルが「迷宮と竜」なのは、TSRという会社が出していた「ダンジョン&ドラゴンズ」というゲームのパロディ。
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で、本題なのですが、以前中国ブーム? 本屋を巡ってみてというエントリーで紹介した「月の蛇 水滸伝異聞」という漫画の一巻が発売されていました。

この作品、島本和彦の「アオイホノオ」のついでに連載で読んでいる漫画なのですが……いつ水滸伝になるのか、が最大の関心です。
今のところ、「梁山泊」という悪役がいるだけで、水滸伝に関する人物が(あからさまには)出てこない状態なので、ドキドキしてはいます(一応「梁山泊」のメンバーは水滸伝の好漢と同じ名前ではありますが……)。
主人公が「趙飛虎」という名前なので、三国志の「張飛」をモデルにしたあの人物に後々なるのではないか、と予想はしています。趙飛虎の武器は、三国志演義の張飛と同じ蛇矛ですから(と思ったのですが、良く考えたらその人物はもう別に出ていますね)。
今月号は、濡れ場になるのではないかというところで、戦闘が始まったのは好きな演出ではありました。
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文房具屋にいき、ペンテルが「合格祈願!三国志セール」というのをやっていると知りました。
http://www.pentel.co.jp/news/2009/090708_07.html
う~ん。
これ、もう鳥渡上手に出来なかったのかいな。
関帝廟と関羽の画が描かれているのですが……巧くやれば三国志ブームで受験生も買ったんでしょうけど、これには買いたくなる付加価値が全くない様に思います。

シンケンブルーの名前上のモチーフは、人間国宝吉村雄輝の、長男なんじゃないかなあ? と。
シンケンブルーが「池波 流ノ介」
吉村雄輝の倅が「池畑 慎之介」
似ていますよね?
上方舞は、日本舞踊であって、歌舞伎ではありませんが、どこか歌舞伎風の匂いのする舞踏らしいですから、可能性はあると考えています(知らない人の為に解説しておきますと、シンケンブルーは何故か侍なのに歌舞伎役者出身なのです。ちなみに、父親も侍にして歌舞伎役者です)。
逆に日本舞踊だとあまりにもまんまなので、「伝統芸能」という大まかな括りにカテゴライズされる歌舞伎に変更されたのかも知れません。
如何なものでしょう?
ちなみに、今日の放送は見ていません。
シンケンブルーの勇士が見れる動画(ニコニコ動画)はこちら。
カナダ☆レモンと爆破☆ヅラ、有機VS人参やイージー☆レモンも良いけど、基本はやっぱりこれだね。って、もう古いか。

しかしこの番組、毎週寿司喰ってる様ですが……子供が寿司喰いたいとか言い出したら大変だな(汗)
]]>僕はそんな三国志研究者の様な生活はしていません。
飽くまでも三国志は、三国志小説を書く為の資料です。
普段は関係の無い本を読んでいます。
と、言ってもあんまり文学は読まないのですが……鳥渡時間があったので、ホラー小説を腹いっぱい読んでみました(といっても、僅か三冊で腹いっぱいです)。
以前、ホラーの書ける男は特殊だ!なんてエントリーを書きましたが、これは書けるとか書けないとかじゃないですね。
何が面白いのか、さっぱりわかんねぇ!
怪談が恐いと思われているのは解かるんですが……ホラー小説の場合フィクションとはっきりしてる上に、音で脅かす訳でも、気味の悪い物を見せられる訳でもない。全く恐くないんですね。
良く良く考えてみれば、男でホラーが好きという話は聞いた事ないです。
本当に、何が恐いのかを理解できない。
「へー」、で終わりです。
しつこいようですが、全く恐さを感じない。
人気の作家ばかりを読んだので、恐らく作家の力量不足では無いのだと思います。
カドが立つといけないので何を読んだかは書きませんが、女性向けのジャンルなんだなぁと、改めて思いました。
最近セロトニントランスポーターという蛋白質が話題ですが、屹度僕自身は沢山持ってると思います。