その人は大学で三国志の研究をしている人で、竹内好が翻訳した公演「魏晋の気風及び文章と薬及び酒の関係」の関係などから、別の講義のレポート課題のテーマを、魯迅に決めたのだそうです(三国志との関わりをもう少し書けば、昨今の悪役では無い曹操像は、魯迅が作ったと言っても良い)。
正直に言うと……魯迅の作品を面白いと思った事はありません。
魯迅、その作品とイデオロギーでは「我々にはピンと来ない」とか暈して書きましたが、まぁ、そういう事です(滝汗)
尤も「奔月」等は中学生の時一度読んだきりで、再読もしていませんから、ひょっとしてら‥‥‥って事はやっぱりないと思います(汗)
ただ、面白いか面白くないか、という事を基準に読む作家でも無いかもしれません。
]]>却説、何故この様な事を急に始める様になったかというと、あるサイトに触発(?)されたからです。
その有るサイトなのですが、音楽サイトなんです、実は。
動画サイトでその運営者の音楽を聴き、興味を持って見に行きました。
ある一人の若者(?)が運営しているのですが、そこで彼は凄く自画自賛してるんですね。
で、実際の曲はというと、笑っちゃう位に素人意見でも「下手」なんです。動画サイトでも可哀想に晒し者になってたんですね(汗) 屹度それなりに良い物は持ってるんでしょうけど、‥‥‥う~む。
まぁ、そういうサイトを見て、小説系のサイトを見ても、同じ様な(実力の伴なわない自己主張をした)ところは少なからずあるな~なんて事を思ったのですが、しかし良く良く考えてみれば、僕自身、あまり作品を公開してはいないんですよね。
こういうブログを書く以上、僕も作品を公開すべきだろうと、こう思った訳です。
そういう訳で、しばらくはリレー小説の一参加者として、作品を発表して行きたいと思います。
]]>関羽は無論、フマクトのイメージである(嵐の神々とは義絶しているが)。
「死」と「真実」を司る神である。
嘘を嫌う死のルーンの正当所持者。
誰しも関羽のイメージと重なるのではないだろうか?
張飛は、ウロックス(ストームブル)。
「死」と「風」と「獣」のルーンを持つ荒々しい戦神である。混沌殺しの狂戦士。
渾沌という悪と日々戦っているが、少し思慮が足りない様である。
麋竺・孫乾の二名は、交易の神であるイサリーズと知識神ランカーマイを足して割った感じ。麋竺の方が財産家でも有り、イサリーズ属性が強し。簡雍は二人のイメージに死のルーンを持つ道化者、ユールマルを振りかけた感じかな。商売の神イサリーズのルーンは「移動」「調和」「伝達」。剣の賢者ランカーマイは「法」と「真実」。ユールマルは「無秩序」、「幻影」、「死」。
趙雲はどう考えても槍のイメージ……。槍と言えば火の神々ですが、オーランスの近侍エルマルなどどうでしょう?「火/天空」と「真実」のルーンを持つ神です。
劉備は……チャラーナ・アローイとかとも思うけど、やっぱ主神の盗賊オーランスだよなぁ(汗)
オマケ:
呂布はゾラーク・ゾラーンかなぁ。所持ルーンは「無秩序」、「暗黒」、「死」(イェルマリオの「火/天空」から奪った熱のルーンはどこに?)。
麋竺・孫乾の二名は、交易の神であるイサリーズと知識神ランカーマイを足して割った感じ。
麋竺、孫乾、簡雍の三人と言えば、劉備の参謀格として三国志演義ファンには御馴染みの人物ですが、史書では蜀書の内「許麋孫簡伊秦伝」内(と、「先主伝」に二回名が出る)にしか孫乾の名は無く、しかもそこで語られているのもほんの僅か、という人物です。上奏文などにも全く名が出ないという事で、早死にをした人物だと考えられています。「先主定益州(中略)頃之卒」とも書かれていますので、劉備が益州を奪ってからすぐに死んだのでしょう。
孫乾伝は三国志中最も短く、僅か126文字しか書かれていません。これは度々短いと話題になる黄忠伝の半分位の文字数なんです。
「孫乾字公祐、北海人也」と、初めに青州は北海の出身である事が語られ、続く「先主領徐州、辟為従事」の注に「鄭玄伝云」として、鄭玄に推挙されて徐州にいた頃の劉備配下になった事が語られています。従事になった、という訳ですね。
孫乾を語る上で最も大事なポイントは、「北海人」である事だと僕は考えています。
孫乾を推した鄭玄は、劉備の師である廬植の友人であり、北海郡の出身で、この時劉備のいる徐州にいました(当時の北海相の孔融は、劉備と交流があり、又鄭玄とも交流があったので、北海の名士達が劉備を支援していた説もある。この辺りの事情は、赤龍さんの記事「外交官 孫乾」に詳しい)。
鄭玄伝に、「会黄巾寇青部、乃避地徐州、徐州牧陶謙接以師友之礼(黄巾賊が青州にくると徐州に逃れ、陶謙に師友の礼で接された)」と書かれていますが、これに従ったのかも知れません。
ここから拡大解釈をして推測をすると、鄭玄の弟子筋であり、儒官であったのかも知れません。
この後孫乾は、袁紹への使者に立ったり、劉表談話したりし、劉備の益州平定後は秉忠将軍に任じられた様です。これが最終官職ですね。
却説、孫乾は三国志演義の名場面の一つ、関羽の1000マイルマーチでも登場し、重要な役を演じます。そこまでの流れをざっと見ても
二十四回→孫乾、使者として河北に往くが、袁紹が兵を動かそうとし無い為、それを劉備にしらせる。
二十五回→(関羽が曹操に降る)
二十六回→(関羽、黄巾残党の征伐に往く)黄巾残党に身を寄せていた孫乾、劉備の噂を関羽に伝える。(関羽その後劉備の居所を知る)
二十七回→(関羽六将を斬る)孫乾、劉備が袁紹の元を離れた事を関羽に伝える。
二十八回→孫乾、以後関羽に同行し、汝南を目指す。
と、同行までにも色々と活動をしている事がわかります。
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この作品は、春秋左氏伝の昭公四年(紀元前538年)の記事(「十二月癸丑、叔孫不食、乙卯、卒」のあたり)をもとに書かれているが、最近これに気付き、あっ! と気付いてしまった。
というのもこれは、中島敦の代表作である「弟子」と同時代・同地域を扱った小説であるからだ。
叔孫豹の子である仲壬が斉に亡命のは、昭公に与えられた玉環を身に付けたからであるが、「弟子」でもこの昭公については少し触れられる。「弟子」では昭公が亡命先で死亡した事が書かれ、孔丘が昭公の次の王である定公に仕官する事が書かれているのだ。
「牛人」で書かれた物語はこう考えてみると、中島敦の得意とする儒教の記述から取材された事がわかる。春秋左氏伝が元ネタで、しかも(故に)「弟子」に極めて近い時代であった事に驚きを覚えた。
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ヒーローの物語を補強する為には、強敵の存在が不可欠であり、困難な敵を打ち破る事こそが、ヒーローの物語でヒーローをより輝かせる。
追記;これは本題とは関係の無いリュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコについて熱く語ったのが原因だろうか(涕)
]]>さてこう書くと、僕が計画系や構造系又は材料系などに弱い様な印象を受けるかも知れないが、僕は計画系には頗る強い。本当は都市計画に興味があったし、建築史にも興味があった。ただ単に、図面を引くのが嫌いで、それを主としないものを専攻したに過ぎない(計画系の教授達のガウディ賛美を嫌ったから、そちらに行かなかったというのも理由の一つではあるが)。
こういう経歴をもつ僕の目から見ると、作中で建築物の構造を理解しないままに書いている小説はプロアマ問わず多い様に思う。これは特に、建物を主な舞台として扱う推理小説に多い様に感じている。
]]>今日はある人の中編位の分量の恋愛小説を読みました。
作者は女性の様で、女子高生が主人公の物語です。
お決まりと言えばお決まりのテーマで、難病の男と悲しい過去を持った少女が偶然出会うという筋です。
それは使い古されたチープな筋で、ありえない偶然が重なり、有り得ない程の障害が重なります。
又、作文のルールなども守られてはいない作品でした。
結論:しかしこの作品の作者には素直に拍手せざるを得ません。見せ方が巧みなんですね。早くプロとして活躍して欲しいと思います。
]]>却説、第三回を書く前に、第三回と第四回の間に入る幕間劇を書きました(三日もかかって)。
その部分をちょっぴり公開して見ます。
「近接防御火器系統」は「CIWS(Close In Weapon System)」を和訳したものです。
全翼機のアスペクト比は「B-2」とほぼ同じですが、全幅はその倍以上(オリバー・ハザード・ペリー級の全長位)あります。二乗三乗の法則から、質量に対し翼面積が小さい事は明らかですが、そこは悪の組織の科学力と大目に見てください。
モデルは上記の航空機、軍艦の他に「パップラドンカルメ」、「オケアノス」などです。
艦種は「作戦指揮仕様型亜音速万能空中戦艦」。CIWSの極冠(polar cap)という名称や、主砲の奥林帕斯山(オクリンパツスザン Olympus Mons 火星にある山の名)から解かる様に、火星がモチーフです。艦名瑪爾斯(マジス Mars)はローマ神話の戦神で火星の名の由来で、火群は「ほのむれ」、つまり「ほのお」(司馬炎)を指しています。
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]]>驚くべき事であるが、この漫画の主人公は登場時から最終回まで、ずっと「最強の存在」である。
体重が軽いと言うハンデはあるが、しかしその体重差をものともしない圧倒的な技術力を持っている。ライバル達が強くなったとしても、それを上回る強さを持っている。ブランクがあろうが全く関係の無い強さを持っている。寝技は苦手であるという描写もされるが、それは飽くまでも立ち技と比較しての話であって、その寝技も通常の一流選手を遙かに凌駕する強さを持っている。
柔道漫画であるが、そこでは主人公が技術的に成長する過程は全く描かれない。その分主人公の友人達が成長する物語を書く事によって、成長のパートを補っている。
却説、こう強すぎては主人公はピンチにならないのか?
実はそうではない。
この様に強過ぎる主人公もピンチになる。
そうでなければ盛り上がらない。
この主人公、実にメンタルが弱いのだ。
鳥渡した事で試合に集中できなくなってしまう。
そして怪我をしたりと、技術的に劣るライバル達のレベルに降りていく訳である。
こうやって見ていると、矢張りキャラクターに弱点が無いのはいかんなぁと、改めて感じさせられる。ウルトラマンも3分間しか戦えないからこそ、ハラハラするのだ。魔戒騎士なら99.9秒だ。危ない目をしたケイシー・ライバック兵曹にですら「優しさ」という大きな弱点がある。不死身のジークフリートにも、菩提樹の葉が張り付いていたと言う設定がある事はご存知の通りだ。
これは主人公側だけに限らない。
例えば主人公の敵やライバルも、「(技術的に)圧倒的に強い」という設定ならば、弱点を設けていた方が良い。でなければ、「主人公の方が(技術的に)強い」という勝ち方をせざるをえず、実に味気ないのだ。例えば「技術で劣る主人公がメンタル面で勝った」の方が、カタルシスがある。
吸血鬼に多くの弱点がある事はご承知の通り。
これは物語を扱うどのジャンルにも言える事だろう。
まぁ、「(技術的に)最強の存在」という物自体を僕自身は書く心算は無いが、しかし物語りはピンチがあるからこそ面白く仕上がるというものだろう。そしてそのピンチ(若しくはチャンス)は、「最強の存在」に弱点がある事によって生まれる。
ついでにニコニコから懐かしい映像をw
本書いてたのは結城凱の生みの親とも言うべき井上敏樹なんだよね。
ナポレオンはトランプのゲームであるが、それがネット上で気軽に楽しめる。
僕はそれを楽しんでいる訳だ。
詳しくはナポレオン~ラヴァート大決戦~を見ていただきたい。
さて、僕のツーロンは散々たる有り様であった。
どちらかと言えばウェリントン役の方が得意らしい。
あまり良くは無いが以下に戦績を記す。
(2008/04/07現在)
さて、その事について考えていたのですが、人間経験の無い事を描写するのは苦手だなぁという事です。描写というよりも想像、でしょうか。
例えば自分の生爪を一つ剥がれる所を創造してみましょう。これはそれの痛みを類推できるので、想像しただけで、顔を苦痛に歪めてしまいます。考えただけで、本当に痛いです。
では、片腕が切り落とされる所はどうでしょう?
これがさっぱり痛くないんですね。
腕を落されて痛いと感じれるかどうか、という事はさて措いて、意識がはっきりしている状態で腕が斬られた場合、相当に痛い事は理解できます。大量の失血の為に寒くなるかも知れません。それはわかります。しかし、その痛みや苦しみが、全く現実味が無いんですよね。
これは、腕を落される事に類推できる様な怪我を負っていない事が原因だと思います。
想像にこれ程の差があるのならば、僕は腕を落される痛みよりも屹度、生爪を剥がれる痛みの方を巧く描写できるのでしょうね(事実やってみて、そうだったと自己判断した)。
この様に、経験というのは描写力の為の材料としても、大事な事なんだと理解しました。
かといって、大怪我の痛さを巧く描写する為に怪我を経験したいとは思いませんが。
話をしていてわかりましたが、僕がブログに書いている内容は、指導書に書いてある事ばかりの様です。
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