三国志小説論
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2005年05月07日

建安三年、追撃戦 (1) 概要

僕は、曹操を後退戦の名手だと考えていますし、荀彧を軍事に暗かったと考えています。

又、小説を書く時は、戯志才、陳宮、婁圭、徐庶などを戦術、戦略に優れた人として描きますが、歴史を確りと分析すれば、賈クの戦術眼、作戦立案、戦略などは、衆に秀でたものです。
実際の戦闘の詳細が判らぬ「三国志」の記述から「戦術(戦略では無い)的」な部分を抜き出し比べれば、この追撃戦での賈クこそ、戦術に最も秀でた人物となるのではないでしょうか?
以下本題。

三国志「武帝紀」と、「賈ク伝」を合わせて張繍の追撃戦(曹操の後退戦)を読むと、戦術に関して言えば、

賈ク>曹操>張繍>苟イク

という事がはっきりといえると思います。特に苟荀彧は詳細なメールをもらいながら、全く曹操の意図するところに気付いていません。軍事に疎い証拠でしょう。

さて、曹操が荀彧に宛てた手紙は、実は既に曹操の後退戦の才能が描かれています。
「武帝紀」の記述では、安衆以後の華々しさを書く訳ですが、曹操のその卓抜した技量を現しているのは、安衆までの後退であると僕は思いますね。

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2005年05月08日

建安三年、追撃戦 (2) 状況

建安三年、追撃戦の続き)

さてこの時、曹操はどういう状態だったのでしょうか?

「武帝紀」には、

三月に曹操は張繍を穣に包囲した。
しかし五月には劉表が張繍に援軍を出し、後方からの支援を絶つ。
又、田豊が袁紹に「許(曹操の本拠地)を急襲すべし」と進言した情報を入手。
これ故曹操は張繍への包囲を説いた。
この為、張繍の軍は追撃をしてきた。
という内容が書かれています。

「賈ク伝」に因れば、張繍は世辞が半分と見ても、かなりの武勇の持ち主として描かれています。
その張繍が、精兵を率いて追撃を開始しました。
追撃と後退(離脱及び離隔)では、当然追撃に分があります。
ピンチと言っても良いでしょう。

これを「計画後退」として逆襲まで考えるのが、曹操を後退戦の大家であると僕が考える所以です。

投稿者 strap : 18:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月09日

建安三年、追撃戦 (3) 手紙

建安三年、追撃戦の続き)

三国志には、

繍の兵来たりて追い、公の軍、進むことを得ず、営を連ねて稍前む
とあります。
さて、三国志がお手元に無い方の為に、曹操から荀彧への手紙を写します。
これは短い文章ですが、曹操の状況と合せれて良く読めば、曹操の非常に優れた指揮が理解出来る文章です。

この手紙を受け取りながら、
「前に以って必ず賊を破るると策せしは何ぞや」
と聞く荀彧は、やはり軍事に暗かったのでしょうね。

以下引用

賊来たりて吾を追い、日に行く事数里と雖も、吾之に策するに、安衆に至りて繍を破ること必せり

投稿者 strap : 00:01 | コメント (0) | トラックバック

建安三年、追撃戦 (4) 後退

建安三年、追撃戦の続き)

賊来たりて吾を追い、日に行く事数里と雖も、吾之に策するに、安衆に至りて繍を破ること必せり
ここでは追撃を遅らせながら、戦力を維持する事)を伴いながら後退している事がわかります。ゆっくりと下がりながら、敵の急襲を防いでいる訳ですね。遅滞行動が大変に難しい事は承知のとおりです。
モラール(morale=軍隊の士気)の下がりやすい後退でモラールを維持する事こそ、曹操の卓越した指揮を表現しています。
又、同じ部隊が常に追撃部隊と対峙していては、長期的後退では疲労しますから、入れ替えながら後退しています。つまり、逐次後退では無く、より高度な交互後退を指揮している訳ですね。
又、張繍軍の追撃は、平行追撃(相手の退却路に平行する道を利用した追撃)では無く、正面追撃であった事も推測できます。
ここで判るのは次の事です。

・曹操が戦力を温存していた事。
・交互後退を指揮していた事。
・敵が何らかの理由で平行追撃(迂回)が出来なかった事。
・(上記より)戦線が直線化し、前線が僅かになる事
・安衆への計画的後退だった事。

派手ではありませんが、安衆までに後退戦の難しさが充分に要求されています。
しかし安衆以後も、曹操の後退戦の実力が発揮されます。

投稿者 strap : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月14日

建安三年、追撃戦 (5) 離隔前夜

建安三年、追撃戦

曹操がそういうルートを選定したのか、元々そういう道だったのか(張繍軍には賈クが居ますから、可能ならば必ず行った筈です)、曹操軍は張繍の軍から平行追撃(や迂回による側面攻撃)を受ける事無く、安衆へと無事後退しました。いえ、ここまでは後退したと言うよりも、引き釣り込んだと見た方が正しいかもしれません。曹操はここで一度逆襲を試みた後に、一気に離脱を図る事に決めています。
曹操の凄い所は、
・敵の精鋭からの後退を長期に渡って実行した事。
・遅滞行動によって戦力を温存させながら後退している事。
・交互後退をさせられる程、軍規が整っている事。
・長期の後退戦を行っているにも拘らず、兵のモラールが高かった事。
・急ぎの後退であったにも拘らず、無事に撤退する為慌てて逃げていない事。
などがあげられると思います。

さて、この時曹操は離脱用のトンネルを掘っています。
恐らく土は防塁として積まれ、防御の構えを擬似的に作り、張繍軍の目を欺いたのでは無いでしょうか?大量の土を隠さねばなりませんし、隠すならばこの方法が一番良いと想像します。つまり、抗戦の構えを一度見せ、離脱開始を見誤らせたと。
これが攻撃の部隊を隠す為の時間となりました。

投稿者 strap : 00:43 | コメント (0) | トラックバック

建安三年、追撃戦 (6) 書簡の内容

順番が前後しますが、曹操の手紙を読み解いてみましょう。
実際の後退戦は、建安三年、追撃戦 (4) 後退建安三年、追撃戦 (5) 離隔前夜を参照下さい。

賊来たりて吾を追い、日に行く事数里と雖も、吾之に策するに、安衆に至りて繍を破ること必せり

が日本語訳ですが、先ず曹操は、「安衆に到着すれば、張繍の軍を必ず破る」と言っているのです。つまり口説くいう様に、これだけで計画撤退である事と、長期の後退戦であるにも拘らず、兵のモラールが保たれている事がわかります。
後に荀彧は、
前に以って賊の必ず破るると策しとは、何ぞや
と問いますが、これは荀彧が世間のイメージの様には、軍事に通じた人ではなかった事を現しているのではないでしょうか?彼は他の戦場にいた記録もありませんし、僕は逆に疎かったのではないかとすら考えています。

曹操はこれまで見た様に、後退戦のオーソリティであり、張繍の追撃を避わしながら撤退しています。
これ程の戦上手が、「必ず勝つ」という訳ですから、彼我の戦力差を計算した上で、策が有効と判断したのでしょう。後退戦で逆襲を仕掛ける手など、基本的には一つしかありません。

まぁという訳で、曹操は安衆から撤退するさい、セオリー通りに行動し、そして一旦離隔に成功します。
ここで曹操軍がとった行動は、現代戦でも用いられる、教範通りの見本的撤退です。曹操という人は、基本にも忠実だったのでしょうね。

投稿者 strap : 23:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月21日

建安三年、追撃戦 (7)逆襲の準備

建安三年、追撃戦参照)

さて、曹操は逆襲に向けて入念な下準備をした様です。
先ずは、

夜に険をうがちて地道をとおし、悉く輜重を過ごす。
とあります。
夜に準備を始めるのは暗視装置やレーダーが発達した現在であっても矢張り上等手段で、敵に覚られてはならない作業は、霧の日や夜陰に紛れた行動が推奨されます。この場合、撤退の時期を隠す事によって逆襲の為の時間を作ったのですね。
又、輜重を先に通すのも、撤退先の常套手段です。
物資などを運搬する輜重輸卒は足が遅く、これに歩みを合せれば、離脱が巧くいきません。
離脱は引く時のタイミングと速度が重要ですから、ここに足の遅い輜重が混じっていれば上手くいかないのです。
ではどうやって補給を受けるのでしょうか?
これも実はスムーズに行くのです。
後退の際、物資をあずかる部隊は先行し、後退しながら道に物資を必要量だけ集積していきます。
こうする事によって、後退してくる部隊が順次、その物資を必要分だけセルフで補給し、より素早い撤退が可能となります。
つまり補給の為の部隊を先に行かせる事は、二重の意味で撤退速度を上げている訳です。
曹操という人物は、撤退戦を本当に熟知していたのでしょうね。

この後、

奇兵を設く
と続き、
明けると、賊は公が遁げたと為して謂い、軍を悉して来たりて追う

と続きます。
「奇兵」は伏撃の為に隠す残地部隊を指し、「賊」は張繍、「公」は曹公を指します。つまり、張繍は曹操軍の見事な隠密行動に日が明けるまで気づかず、曹操が逃げたと兵を纏めて追撃を再開しました。ここでも敵に情報を与えなかった曹操の見事さが現れています。
そして、全てが整ったここからが、曹操軍の見せ場でした。

投稿者 strap : 11:19 | コメント (2) | トラックバック

2005年06月10日

建安三年、追撃戦(8)

さて、今回は最終回ですので、主役の登場です。

曹操は一時安衆で(擬似的な)抵抗の構えを見せますが、結局は張繍に気づかれぬ様に離脱をしました。
精兵を抱えた張繍は、曹操の抵抗の構えを時間稼ぎと気付き、追撃に移ろうとします。それを一度諌めたのが賈詡でした。賈詡は、曹操の策を見抜いていたのです。

併し結局、張繍軍は曹操を追撃し、周到に仕組まれた罠に掛かってしまいます。
ここでの賈詡の献策は秀を極めます。

促更追之、更戦必勝
何と、敗軍の張繍に対し、直ぐに追えば必ず勝つと言うのです!!

事実張繍が少ない兵で追撃をすると、曹操軍に大きな被害を与える事ができました。
後に賈詡は謂います。
「将軍は強いが、曹操程ではない。曹操は負けて退いているのでは無く、事情があって退いているのだから、罠もある。だから追えば負けるといいました。併し、一度負けてやれば敵は脆くなります。だから攻めさせたのです」
僕は史料に残る軍事行動から考えるに、この賈詡は三国志中、最も戦術に優れた人物だと評価しています。曹操の後退の手際が鮮やか過ぎるだけに、それを上回る知恵者として賈詡は輝いていると感じます。

尚、張繍の追撃は、一度負けた兵を急に再編成したものでしたから、物資の不足などがあったのでしょう。曹操軍に決定的な打撃を与えるまでにはいきませんでした。

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