2005年05月03日
魯迅、その作品とイデオロギー
三国志関連文学の研究者としても名高い文学者魯迅の代表作と言えば、「吶喊」に収められた次の三篇であると思います。
狂人日記しかし、我々(少なくとも僕)が読む時、「故郷」を除く二編は、その作品の良さがピンと来ません。翻訳によるものでは無いと思います。
故郷
阿Q正伝
「吶喊」は、そのタイトルが象徴的に表すように、政治的思想を色濃く持った作品集です。
いえ、魯迅作品は全て、大なり小なり、そういうファクターを持っているのかも知れません。魯迅は、上海に左翼作家連盟を結成し、国民政府の文化弾圧に抵抗した人です。彼の運動が中国解放運動に大きく影響を与えた事は、良く知られた事実だと思います(特に彼が改革者として曹操の評価を再考した事は、革命に大きな影響を齎しました)。魯迅は、弟である周作人と共に、イデオロギー色の強い作家といえるのでは無いでしょうか?
この代表作とされる「狂人日記」、「阿Q正伝」の二編は、当時の民国の人々に特に大きな影響を与えた作品なのです。
元来、現代の、しかも異国に住む我々に向けられた作品ではありません。
彼の卓抜した人間描写も、当時の情勢を知らぬ我々には、引き込む程の力を持っていない気がします。
故に、我々にはピンと来ないのかも知れませんね。
文章の技術などではなく、そのテーマ故に、我々にはその「代表作」と言われる程の良さが感じられないのでしょう。
しかし「故郷」という作品は、「望郷故の幻想」という普遍のテーマを描いた秀作です。彼の文学的センスは、疑うようなものではありません。
2005年05月04日
非攻(1)
(魯迅作品全般に関しては、作品とイデオロギーを参照の事)
魯迅の短編集に、「故事新編」というタイトルのものがあります。魯鈍の魯に、迅速の迅を組み合わせてペンネームとする魯迅らしいタイトルだと思います。故事をモチーフに、現代の指針を示す作品集という意味なのでしょう。
その内の一篇が「非攻」です。
主役の墨テキは、墨子と呼ばれ、司馬遷の史記に、
思うに墨テキは宋の大夫であり、城を守り防御する術に長けており、費用を節約する説をとなえた。あるいは孔子と同時代の人だといい、あるいはその後代の人だというとある人物で、都市防衛のエキスパートです。
彼の率いた墨家集団は、三代目鋸子の孟勝の時代、楚の軍に采邑を陥落させてしまい、集団自決をした事で有名です。
「墨子」は、十論と言われる基本思想を初めとした思想部分、防城方法を記した軍事部分、墨子の伝記の三つに大別されます。このうち墨子の伝記部分は、「耕柱第四十六」「貴義第四十七」「公孟第四十八」「魯問第四十九」「公輸五十」があり、魯迅の非攻は、「公輸五十」をモチーフとしています。
非攻(2)
(非攻(1)の続き)
さて、その墨子「公輸第五十」は、墨子の伝記的部分の中でも、特に物語要素の強いパーツです。
ここでは「第五十一(実際は五十一は紛失しているので、「備城門第五十二」)」以降に続く、軍事を解説した部分の導入部であり、禽滑釐の率いる門弟三百人が宋に配置されているなど、技術書としての信憑性を高める為に挿入された部分です。
そのあらすじを見てみましょう。
あらすじ
斉にいた墨子は、楚が宋を攻める事を知り、それを止めさせるべく楚へと向かう。魯迅が忠実に物語を再構築している事が判ると思います。
雲梯(攻城用梯子車)の開発者である魯班、楚王を論破し、墨子は非攻を説く。
この後、魯班に卓上模擬攻城戦を挑まれるも、墨子は簡単にそれを防いだ。
諦めきれない魯班は墨子を脅すが、墨子は既に門弟が宋で防衛の準備を始めている事を伝え、魯班を断念させる。こうして宋は危機を免れたが、墨子は帰路の中、宋で雨宿りをしている最中、間諜と怪しまれ追い払われた。
「非攻」という作品は、そのタイトルを十論の一である「非攻(「非攻上第十七」「非攻中第十八」「非攻下第十九」)からとっており、墨子の思想を通して民国人に、抗日の為に行動する事を説いた作品です。しかし我々が読む時は、その「故事を題材」というオブラートの為、純粋な物語として楽しむ事が出来ます。
墨家は、平和主義者の集団であり、その為に弁論の術に長けていました。又、平和の維持の為には武力を持たねばならぬ事を知る現実主義者の集団で、防衛技術の研鑽だけでなく、防衛の為には合理的な手法を用いなければならない事を説きました。葬儀の為に金銭を使う事や、先祖への過剰な崇拝を非難した事も、その合理主義故でしょう。
どこかで聞いたような集団ではありませんか?
陳倉城攻防戦に続く。
記述者 strap : 11:51
2005年07月23日
魯迅「故郷」
僕の部屋に、奇妙なCDが一枚ある。ロシア語で歌われたザ・ビートルズのCDだ。
といっても、ドイツ語で歌われた「抱きしめたい」の様に、ザ・ビートルズ自身の演奏によるものでは無く、ロシア人によるザ・ビートルズのカバーCDである。1994年に発売されたものであるようだ。ロシア語が堪能な親友によると、本邦には恐らく数枚しか入ってきてはいないという、貴重なCDだという。その情報の真偽はさだかではないが、珍しいものである事には間違いないだろう。「MEL CD 60 00628」と、番号が打たれている(「メロディカ」というレコード会社から出されている。同社はソビエト連邦時代、ソビエト連邦唯一の企業であったそうだ)。バーコードの番号は、「4600317006281」。興味のある人は調べてみてほしい。全15曲であるが、前期から後期までを幅広くコピーしたCDで、ザ・ビートルズファンの友人にもなかなかの好評であった。
さて、このCDを聞いても、「フチェラー」が「昨日」という意味である事しか判らなかったロシア語の出来ない僕であるが、改めてザ・ビートルズの楽曲というものを再認識させられた。ザ・ビートルズの音楽の魅力は、演奏技術などよりも、その曲自身の持つ美しさに依存している事は、多くの人が唱えるところであるが、僕もそれをやっと認識した訳である。このザ・ビートルズのカバーCDに納められた曲の内では特に、「エリナ・リグビー」と、「イン・マイ・ライフ」が素晴らしい。
ザ・ビートルズの「イン・マイ・ライフ」は、望郷、というか、昔を懐かしんだジョン・レノン(尤もポールは自身の作品と主張)の手による楽曲で、そのメロディラインの美しさは、ザ・ビートルズの楽曲中でも一、二を争うものだと僕は評価している。原曲では、ジョージ・マーティンによる中間部のピアノソロが随分と印象的な作品で、ラバー・ソウルに収録されている。
「イン・マイ・ライフ」で歌われているテーマは、楽しかった思い出達であり、その懐かしさを優しく表現したザ・ビートルズの名曲の一つである。昔を懐かしむ気持ちを持つ事は、万国の人に共通の気持ちであろうから、世界中で親しまれる曲でありえるのだろう。
さて、これと同じテーマで書かれた短編小説が、魯迅作品にも存在する。尤も魯迅作品であるから、美しくも無ければ、優しさも無く、主人公は現在の故郷を知り、残酷にも思い出に幻滅させられてしまう。魯迅は、「思い出の美しさは飽くまでも個人の胸の中にだけある」という事を表現したかったのだろう。
主人公である魯迅は、二千余里を隔てて二十余年も離れていた故郷に帰郷する。
主人公である魯迅は先ず冒頭で、故郷の風景に幻滅するが、これは始まりに過ぎなかった。子供の頃親しく遊んだ使用人の息子閏土は、現在主人公の家の使用人であり、気軽に声をかけてはくれない。幼い頃美人と評判だった豆腐西施という女は、実に醜陋で厭な女である。そして閏土は、主人公の食器を盗む程に、生活が逼迫していた。
恐らく主人公である魯迅は、閏土が食器を欲しいといえば、気にもせずにあげたであろう。実際、欲しいものがあれば言えと謂っているのである。にも関わらず閏土は藁灰など農家である自身の家には沢山あるものを貰い、その灰に食器を隠して盗み出そうとした。盗みを働いたこともさる事ながら、閏土がそのプライドの為に、己に本当に欲しいものを言わなかった事に、主人公である魯迅は落胆するのである(わざわざ書いているのがその証左であろう)。二十余年の歳月は、主人公である魯迅が想う程に短くはなかったという事だろうか。この事件により、魯迅の故郷への幻滅は、決定的なものとなった。
魯迅の「故郷」は、過去を過剰に美化した自分に気付く静かな短編小説で、魯迅作品中でも一、二を争うものだと僕は評価している。最後の離郷のシーンが随分と印象的な作品で、吶喊という作品集に収められている。
「故郷」で書かれているテーマは、楽しかった思い出達への決別であり、その幻滅を静かに表現した魯迅の代表作である。ちょうどそれは、幼い頃に恋した女性との対面の様なもので、恐らくは想像してた程にその人は美しくは無い、といった事に似ているだろう。思い出への幻滅は、万国の人に共通する経験でありえるだろうからこの作品は、世界中で親しまれる作品でありえるのだと僕は思う。
2008年02月14日
魯迅作品について
先日
「魯迅の作品って面白いんですか? ストラップさん魯迅好きで沢山読んでるんでしょ?」
と聞かれてしまった。
こういう質問は困る(汗)
その人は大学で三国志の研究をしている人で、竹内好が翻訳した公演「魏晋の気風及び文章と薬及び酒の関係」の関係などから、別の講義のレポート課題のテーマを、魯迅に決めたのだそうです(三国志との関わりをもう少し書けば、昨今の悪役では無い曹操像は、魯迅が作ったと言っても良い)。
正直に言うと……魯迅の作品を面白いと思った事はありません。
魯迅、その作品とイデオロギーでは「我々にはピンと来ない」とか暈して書きましたが、まぁ、そういう事です(滝汗)
尤も「奔月」等は中学生の時一度読んだきりで、再読もしていませんから、ひょっとしてら‥‥‥って事はやっぱりないと思います(汗)
ただ、面白いか面白くないか、という事を基準に読む作家でも無いかもしれません。
2010年05月28日
華文学と五月
先日の日曜日、三国志仲間の諸葛蘭さんと福岡市天神でお会いしました。
二人で本屋に往き、三国志や西遊記、魯迅などの書籍を見ながら話をしました。諸葛蘭さんは将棋がご趣味という事で、将棋の話などもしたのですが、話は日本女子プロ将棋協会が開発したどうぶつしょうぎにまで及び、実際に児童書コーナーまで見に行きました。
(このブログを読んでいる方は、僕が大のゲーム好きという事はご存知だと思いますが)このゲームはシンプルでありながら中々面白そうです。
公式サイトもあるようですよ。
→どうぶつしょうぎ official website |LPSA|
偖々。二人で安いのに美味しい天麩羅を食べに行ったのですが、蘭さんは最近誕生日だったのだそうです。
僕「その日は何の記念日なんですか?」
蘭さん「調べていません」
僕「犬養首相が殺された日とか?」
蘭さん「いや、それは五一五事件ですから、五月十五日で違います」
なんて遣り取りをしました(実際の蘭さんの誕生日は、然程興味が無いので忘れて了いました。すみません)。
で、蘭さんに「五一五」なんて単語を出されて気付いたのですが、五月は「五XX」と呼ばれる日が多いように感じます。
僕は以前、魯迅を「イデオロギー色の強い作家」と評しましたが、「政治的」であるというのは、当時の民国の読書階級の特徴かも知れません。
詩文を極度に重要視した科挙制度の廃止から、白話小説が文化として本格化する訳ですが(明の時代に書かれた「三国志演義」なども白話小説ですが、作者が本名を隠したり、まだ詩文の形式から脱却しきれていないところがある等、未だ未成熟なところがありました)、当時の文化人達は、(政治形態のみならず)文体をも旧態としたものから脱却しようとしていた様です。ですから当時の中華民国の文化人・読書階級は皆、政治的だったのは仕方の無い事でしょう。
又政治的理由の為に、(自覚していたかは疑問ですが)文筆家達は古い文化(詩文)を極端に嫌ったのだと思います。
中国文学の研究家である魚返善雄氏は、「新中国小説集」の中で、この様に述べています(引用に際し、旧字は新字に改める)。
新中国の出発が民国二年(大正二年)で、民国八年の「五・四」までがいはば「文化革命前期」、民国八年から民国十四年の「五・卅」までが「文化革命後期」、民国十四年から民国二十年の「九・一八」までが「革命文学期」、民国二十年から民国二十六年の「七・七」までが「国防文学期」――かりにかういふ分けかたをしてみれば、民国の文学はおよそ六年を周期として激動をくり返してゐることになる。
こう改めて指摘されてみると、慥かに六年おきに事件が起こっており、面白いですね。尚、「九・一八」というのは満州事変の事です。「七・七」は七七事変、つまり盧溝橋事件(というよりも、直接支那事変の事かも知れません)を指します。
却説。「五四運動」は、1919年。
「五卅事件」は、1925年の出来事です。
魯迅の作品を当てはめてみると、
1918 04 「狂人日記」発表
1919 05 「五四運動」
1921 05 「故郷」発表
1921 10 「阿Q正伝」連載開始
1925 05 「五卅事件」
という事になり、代表作ともいえる三作はこの年代に書かれた事になります。
つまり、魯迅の作品を知る為には、「五四運動」と「五卅事件」は知っておくべき事件だと言えるのではないでしょうか?
興味のある方には自身で調べて戴くとして、ここでは概要を書いておきます。
五四運動
パリ講和会議において「日本がドイツから奪った山東省の権益」が国際的に承認されると、五月四日に北京で数千人の学生が大暴れ了した。親日派の人々のお家が焼かれたりした様です。これが次第に上海等民国全土に広がり、労働者階級や商人までがストライキを起こす事になりました。
この時宣伝に用いられたのが白話で、一気に広まった様です。翌年、民国政府の教育部は各省の小学校に指令し、それまでの「国文(文語)」を「語体文(口語体)」に改めました。又併せて、西洋式の句読点を用いる様になります。
五卅事件
上海にある日本資本の綿紡績会社の問題を発端として、5月30日、大規模なデモが行なわれます。当時の上海は租界で、各国が入っていた訳ですが、英国の警官が発砲し、死傷者がでました。これを切欠に、ゼネストが始まります。
蒋介石率いる国民革命軍の台頭が始まる一因とも言われています。
この事件を発端として始まる反帝国主義運動を、五卅運動と言います。
魯迅が活躍した時代の、二つの事件を紹介しましたが、然う言えば魯迅が拘わる華文学の歴史にはもう一つ、五月にまつわる事がありました。
魯迅は北京の「文学研究会」系の作家です。この「文学研究会」と論戦を繰り広げる文学団体が上海の「創造社」で、1922年の5月に組織されています。
五月というと、中島敦の誕生日ばかりに気を取られがちですが、魯迅と五月も中々に関係性がありますね。「故郷」の発表も五月ですし。
蘭さんと会った日は生憎の雨で、ウインドブレイカー風のレインコートを着ていたのですが、それをレインコートだと見抜ける人はこれまで皆無でした。天麩羅屋のおばちゃんに「合羽」と言われた時は、嬉しかったなあ。
追記:僕が騙され易いだけかも知れませんが……清純派アイドル王心凌の「非処女暴露事件」は衝撃的でした。