2005年05月20日
swのキャラで三国志
ついに昨日(現地ではまだ今日)エピソードⅢが公開されました。
世間の話題はこれ一色という感じですね。
日本では七月公開ですが、今から本当に楽しみです。
swも三国志を題材にした物語も、一人の主人公がいる訳では無く、代替わりをしながら時代を描く物語です。swは一種の年代記であり、アナキン・スカイウォーカー、ルーク・スカイウォーカー、アナキン・ソロと、親族三代を中心に描いていきます。これは曹操の血族を中心に、司馬氏の一族、何代にも亘る潁川派閥と、こういった人々を表現する手法を学ぶ手本となるのではないでしょうか?クロニクルという形式の、伏線の壮大さも勉強になります。
さて、そこで紹介したいのが、知人のサイトの三国志スレッドです。三国志をスターウォーズキャラにやらせたらというマニア企画であります。是非ご参加を。
リンクたどってまで見に行くのが面倒な人の為の記述。
曹操→ランド・カルリジアン
夏侯惇→キャプテン・タイフォ
夏侯淵→キャプテン・パナカ
曹仁→チューバッカ
徐晃→ウェッジ・アンティリーズ
陳宮→アドミラル・アクバー
棗祗→R2-D2
楽進→ウィケット・W・ウォーリック
荀彧→ヌート・ガンレイ
程イク→キ=アディ=ムンディ
許チョ→ガモーリアンガード
張バク→ボス・ナス
鮑信→メイス・ウィンドゥ
孫策→ハン・ソロ
張昭→グランドモフ・ターキン
太史慈→ビッグス・ダークライター
周泰→ジャンゴ・フェット
呉国太→モン・モスマ
孫登→アナキン・スカイウォーカー(子役)
干吉→ログレイ(イウォークのマジナイ師)
劉備→パルパティーン
関羽→クワイ=ガン・ジン
張飛→オビ=ワン・ケノービ(McG)
趙雲→エンペラーロイヤルガード
黄忠→ドゥークー伯爵(ダース・ティラナス)
馬超→アナキン・スカイウォーカー
孔明→ベイル・オーガナ
孫夫人→パドメ・ネイベリー
王平→ナイン・ナン
董卓→ジャバ・ザ・ハット
李儒→ビブ・フォーチュナ
呂布→ダース・モール
赤兎馬→シス・スピーダー
張遼→ダース・ヴェイダー
徐栄→ボバ・フェット(BUL)
献帝→ルーク・スカイウォーカー
袁紹→ワトー
袁術→セブルバ
劉表→ヴァローラム元老院議長
司馬徽→ベン・ケノービ(GIN)
張角→ポグル・ザ・レッサー
祝融→レイア・オーガナ
南蛮の象→AT-AT
兀突骨→ランコア
「夏侯惇→キャプテン・タイフォ」なんかはまり役だと思いませんか?
(27日の追記)
昨日知ったのですが、スターウォーズ、暴力的だと判断され、ちびっ子の観覧には規制がついたようですね。という事は、かなり戦闘シーンは期待できそう。
アンソニー&ベイカーのコンビ、早く見たいですねぇ。
2005年06月07日
三国志と大宰帥大伴卿
万葉歌人の代表を挙げれば、誰が挙がるだろうか?
無論、額田王や、人麿、赤人等も代表的歌人であるが、憶良や家持を挙げぬ人は先ずいないだろう。
大伴旅人は、山上憶良の上官であり、大伴家持の父であり、自身も万葉集を代表する歌人である。
正三位となり都にかえるまでの四年間、大宰府に在り、父安麻呂も勤めた大宰帥という軍事の長を務めていた。一説には、藤原氏に敬遠された為の左遷という。都人にとっての九州では、酒を飲まねばならなかったのだろう(併し彼は筑紫が好きになった様で、後年筑紫の棚引く雲を思い出した作品を作っている)。
彼は天忍日命の子孫であり、名家の当主に相応しい知識人で、当時の知識人には必須であった支那の文学に深く精通していた。彼の代表作である
験無きもの念わずは、一杯の濁れる酒を飲むべく有るらしには、劉伯倫(竹林の七賢の劉伶)の影響が見られると、専門家は分析している。僕は未読だが、劉伯倫の「酒徳頌」の影響が大きいらしい。「酒を讃むる歌」と、「酒の徳を頌む」では、そのタイトルは確かに似ている気がする。
又、
古への七の賢しき人どもも、欲せりし物は酒にし有るらしと、竹林の七賢をそのまま作品に出した例もある。彼は左遷されたとはいえ、顕職にはあったから、自由に生きる(勇気がある)彼らに憧れたのかも知れない。
彼の作品がそのモチーフとした事で、、広く世に知られる様になった呉書の人物もいる。
中々に、人に非ずば酒壷に成りてしかも酒に染みなむこれが誰をモチーフにしているのか。それは一度人物紹介 鄭泉で紹介したので、二度は書かない事とする。
2005年07月28日
三国志博物館@wiki
三国志博物館館長の天草さんが、又もや新企画。紹介しておきます。
三国志博物館@wiki
近いうちに、同博物館人名辞典からのコンバートも始まると思います。参加は自由という事ですし、巨大データベースとなる事を、大いに期待したいですね。
(2006/07/16)
迷惑トラックバックを削除した際、当時飛ばし損ねていたトラックバックpingを投げた様である。
2005年10月13日
三国志と筑紫歌壇
以前、三国志と大宰帥大伴卿でも紹介したが、大伴旅人は、何らかの書物から、三国志の時代の事を知っていた様である。これは三国志自体を読んでいた、という事では無く、それを引用した書物であったり、又別の書物である可能性もある(大宰府に「三国志」や「後漢書」が収められるのは、旅人の時代より後)。旅人は、三国志のメインキャラクターに全く触れてはいないから、三国志自体は未読だったと考える方が妥当かも知れない。例えば、酒を讃むる歌十三首の内の一つである、
酒の名を 聖とおほせし 古への 大き聖の 言の宜しさという作品は、三国志魏書徐バク伝をモチーフにしているが、これも三国志の中ではあまり注目されている部分では無い。
さて、筑紫歌壇といえば、もう一人忘れてならないのが遣唐使でもあった、山上憶良である。
今回はその憶良の作品に華陀(作中は華他)について書かれた部分を発見したので、部分的に紹介する。
問題の作品は、万葉集巻五の、「山上臣億良、熊凝の為に志を述ぶる歌に和する一首併せて短歌」の内の一つ(886)にある「沈痾自哀文 山上億良作」にある。
「華他字元化、沛国ショウ人也。若有病結積沈重在、内者、刳腸取病、縫復摩膏、四五日差之(華他字は元化、沛国セウの人なり。若し病の結積沈重したるが、内に有る者在らば、腸を刳りて病を取り、縫復して膏を摩ること、四五日にして差ゆ)」尚この作品には、後ろに
「魏文の時賢を惜しむ詩に曰く……」というセンテンスがあり、憶良が曹丕の詩を読んでいた事が伺える。ちなみにこの「惜時賢詩」という曹丕の詩は(万葉集の解説によると)現存していないとの事である。
唐と交流していた時代は、多くの支那の文化が本邦に流れ込んできた。当時の知識人達は、それに触れる機会があったのだろう(若しくはそれに触れる事が出来た者を、当時の知識人と呼ぶべきかも知れない)。
2006年01月16日
呂布特集号への期待と呂布人気について
僕のこのウェブログ、「今更」というキーワードで始まる事が多いのですが‥‥‥
又もや今更です。
(最も最近にかいた「今更」はココ)
一週間以上も前の記事で恐縮ですが、コミック三国志マガジン 編集部が出師の表に因ると、同誌の次号、コミック三国志マガジン VOL.7は、呂布特集という事です。今月28日発売との事。
※該当記事:http://3594magazine.blog27.fc2.com/blog-entry-23.html
「文藝春秋」で連載中の三国志では、先月号で呂布ファミリーが舞台を降りました。これをを考えれば、実にグットタイミング。無類の呂布ファミリーファンである僕には大変嬉しい事です。
(中島敦の文体模写と文体。中島作品の文章の巧妙で、僕が中島敦の文体模写をした時も呂布のエピソードでした)。
あ、僕は呂布というよりも、陳宮や呂布ファミリーのファンなのです(汗)
呂布特集という事で、呂布ファミリーにまで話が及んで呉れるとありがたいですね。
呂布ファミリーのメンバーと言えば、陳宮を筆頭に、成廉、魏越、侯成、高順、薛蘭、李封、宋憲、魏続、張遼、陳羣、許汜、王楷、曹性。
マニアックなところでは、侯諧、劉何、趙庶、李鄒、高雅、秦宜禄、袁カン、秦誼、陳衛、李黒etcetera‥‥‥。
張バク、張超の兄弟や、蔵覇、楊奉なんかも登場するのでしょうか。期待が膨らみます。
款を通じていた陳珪、陳登、張弘や、裏切り者のカク萌なども登場するかな?
しかし近年、北方謙三氏や、宮城谷昌光氏など、呂布を陳寿の評にある様な人物に書かない作家が増えてきて、呂布は今、大変に人気がありますね。
三国志博物館集解で知られた天草さん主催の三国志討論場でも、呂布スレッドは二つ目だし、そもそも初代の呂布スレッドは、実質上の最初のスレッドでした。同サイトの人気投票スレッドでは、現在劉備や張飛、孫策、陸遜などを抑え、九位タイの様です。大変な人気ですね。
コミック三国志マガジン誌編集部も、この大人気を知って、特集を組まれたのだと思います。若しかしたら、編集部の方にもファンがあるのかも知れませんね。
まぁそういう訳で、今回のコミック三国志マガジン VOL.7には期待大です。
主力漫画である火鳳燎原は勿論気になっていますし、楽しみに待つ事にします。
しかし、コミック三国志マガジン誌のサイト、商用なんだからSEO対策を施すか、PPCでも打てば、効果が全然違うのになぁ‥‥‥と、「今更(というか、やっと)」気付いた事に対する言い訳を(汗)
2006年02月04日
「コミック三国志マガジン VOL.7」読みました
読みました。
正直な話、「呂布特集」という程には呂布がクローズアップされていなかったのでガッカリ。呂布特集ということでしたので、呂布特集号への期待と呂布人気についてなんてエントリーを作りましたが、全くの期待外れでした。
まぁ、いつもを考えれば、こんなものでしょう。期待した方が雑誌を良く理解してない、というところでしょうね(汗)
読んだ事の無い人の為に書いておくと、コミック雑誌という特性を持つ為に、三国志に関しては「少し知ってる」という程度の人向けに作られた雑誌で、まぁここから知識を得る‥‥‥という特性の雑誌ではありません。現在は純粋に漫画娯楽の為の雑誌ですね。恐らくそうしておかないと、多くの読者は付いてこれないのでしょう。三国志がブームと言っても、殆どの人は三国志も三国志演義も未読でしょうから、仕方の無い事だとは思います。
全体的に広告の分量が少なく、少なすぎて逆に物足りなさを感じます。これが三国志となんら関係の無い広告であれば不要なのですが、三国志関連の広告なら、情報収集の為にも是非載せて欲しいと思いますね。
さて、ネットの世界を見渡すと、蒼天三国志blogさんの記事の様な優れた書評がありますし、僕は一つ一つは論評しない事にします。掲載作品の目録自体は、こちら↓
※:http://3594magazine.blog27.fc2.com/blog-entry-25.html
●「今号の記事」に類される部分
「三国ゲーム志」という記事は笑った。人間知らない記事が書かれていると嬉しいものである。
他はとりたてて見るところなし。記事として無くても良い。折角の三国志専門誌なのだから、こういうところ位には、きちんとした記事を入れて戴きたいものである。
●麻保屯
魯粛を主役とする、呉関係者や事件をクローズアップする漫画。今回は淩統の話。
淩統が父淩操を罵られた事から陳勤を殺す話が描かれるが、淩操の名は出てこぬし、陳勤の名もその姓のみが書かれるのみ。
綺麗な画で、話の構成もそれなり。面白く楽しんだ。
●曹操孟徳正伝
毎度の事ながらつまらない。作品のオリジナリティは少なく、同じ様なコンセプトで書かれた他の漫画達には、明らかに劣る。雑誌内では「主力作品」という位置づけなのだろうが、現時点で「三国志の漫画」といってこれを一番に思い浮かべる人は、千人に一人もいないだろう。
話が嘘臭い。科白回しも下手。無駄に長い。
だが、劉備が箸を落とすシーンは良かった。
●三国志群雄伝 火鳳燎原
この漫画が無くなれば、この雑誌、どれ程売り上げを落とすか解らない、という程の優れた作品。司馬家の人々を主人公にすえ、新しい切り口で三国志を書いている。絵も美しいといえる程に綺麗で、読み易い。三国志を遵守しない作品で、独自の設定は多いが、それでも楽しめるところが凄い。
今回の見所は、何といっても呂布の登場。最後に顔を見せ、名を名乗る呂布のかっこ良さは圧巻。三国志ファンがもつ呂布への概念を利用したやり方で、反則的ともいえるが、素直にカッコいい。
袁当と書くべきところが袁方になっていたり(小孟の科白)、郭汜と書かれるべきところが郭図となっていたり(華雄の科白)と間違いもあるが、あまり気にならず一気に読んだ。正統派とは言えぬかも知れぬが、非常に今回も面白かった。
細かい感想は沢山ありますが、まぁこんなところでしょうか。
2006年02月21日
三国志のマイナーキャラ?
今日、
「俺、実は三国志好きなんだ」
という人と話をした。
僕:「誰が好きなんですか?」
彼:「趙子龍とか好きなんや」
僕:「おお、常山の趙子龍は人気有りますものね。他には」
彼:「マイナーな奴わかる?」
僕:「ええ、まぁ、ある程度ならば」
彼:「そうだなぁ‥‥‥馬超とか、夏侯惇とか、マイナーなキャラも俺は好きだな」
僕はビックリしてしまった(汗)
話を聞くと、他にも、夏侯淵や許チョなどがマイナーキャラと認識されている様だった。
まぁ考えてみれば、三国志を知らない人に三国志を説明する時に、馬超や夏侯淵、許チョは名を挙げないだろうから、必須の人物では無いかもしれない。しかし、三国志物語は群雄の物語であるのだから、「ファン」がこれではちょっと寂しい気もする。
世間の三国志ファンの認識というのは、こんなものなのかも知れない。
「三国志を知らない人の為に三国志を紹介する時、絶対に外せない人物」
というものを考えてみた(並びは重要順)。
曹操
献帝
劉備
諸葛亮
司馬懿
最低限であれば、こんなものであろうか。ここが先ず基本的な人物名だと思う。
司馬炎、孫権、曹丕、劉禅、呂布、関羽、張飛、董卓、袁紹、夏侯惇なども外し難いが、全く知らない人には登場人物を少しでも減らして語りたい。この十名は二戦級というところだろう。
馬良の兄弟などは、「白眉」、「泣いて馬謖を斬る」などの故事で有名だし、鄭玄は歴史の教科書に、曹植と竹林の七賢は漢文の教科書にと、それぞれ登場する様だから、このあたりまで以上に知っていれば、恐らく世間では「ファン」で通じるのだろうと思う。
2006年02月28日
第2回三国志博物館九州オフ会
好評だった第1回三国志博物館九州オフ会に続き、第2回三国志博物館九州オフ会を開催します。
日時 3月11日 18時集合
場所 福岡市中央区天神
三国志ファンの方には是非参加して戴きたいと思います。
詳しくはこちら。
尚、第1回三国志博物館九州オフ会の様子はこちら。
※http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50035467.html
2006年05月21日
「三国志」をキーワードとした地域別検索順位
http://www.google.com/trends
を使って、「三国志」という検索キーワードがどの地域で良く検索されているかを調べてみた。
三国志ファンが多数居住する地域の目安となるだろう。
以下に結果を列挙する。
1位: Hiroshima Japan
2位:Hefei Mainland China
3位:Shanghai Mainland China
4位:Chongqing Mainland China
5位:Fukuoka Japan
6位:Kyoto Japan
7位:Wuhan Mainland China
8位:Sapporo Japan
9位:Hangzhou Mainland China
10位:Nanjing Mainland China
我が国では、広島市、福岡市、京都市、札幌市などにファンが多い様である。
(しかし何故か、日本のみを選択すると、仙台市、広島市、新潟市、東京都練馬区、福岡市、東京都北区?、札幌市、京都市、岡山市、横浜市保土ヶ谷区?の順となる)
尚、「Three Kingdoms」をキーワードにした場合は、
1位: Singapore Singapore
2位:Jakarta Indonesia
3位:Bangkok Thailand
4位:Vancouver Canada
5位:Irvine, CA USA
6位:Hong Kong Hong Kong
7位:San Francisco, CA USA
8位:Seattle, WA USA
9位:Melbourne Australia
10位:Minneapolis, MN USA
と、10位以内に我が国の都市は、全く入っていない。
記述者 strap : 16:18
2006年05月22日
「更」や「時辰」とは?
三国志に仮託するという事の様な小説作法に関する話題はしていたが、最近は三国志の話題を全くしていなかったので、三国志の話題に暫く帰ろうと思う。
三国志小説で時間の経過や時刻を表現するのは難しい。
時刻を表す単位に「更」というものがある。例えば「呉書 程黄韓蔣周陳董甘淩徐潘丁伝第十」には、
至二更時、銜枚出斫敵、敵驚動、遂退と書かれている。
又僕は、自作『元譲出征』の中で、
縦隊で一時辰程進むと、楽進の部隊の奮戦が見える。と書いた。これは時間の経過を表している。
三国志平話には、
そこで夜二更(およそ午後8時~10時の間)の注として、
二更:古い時代、夜の時を計る単位。日没から日の出までを五等分にし、それぞれ「初更」、「二更」、「三更」、「四更」、「五更」とする。一つの「更」はおよそ二時間に相当する。とある。
ちくま訳では、「呉書 程黄韓蔣周陳董甘淩徐潘丁伝第十」で二更を「夜半に近づいた時刻」、「呉書呉範劉惇趙達伝第十八」では五更を「夜明け方」と説明している。
角川漢和中辞典の付録、「時刻方位表」に因ると、
初更 21時
二更 23時
三更 01時
四更 03時
五更 05時
との事なので、三国志平話の解説とは若干異なる。
又手元の辞書二種に因ると、
三更:夜の十二時。真夜中。
五更:昔の時刻の名。今の午前四時。
三更:一夜を五つに分けた三番目。子(ね)の刻。ほぼ午後十一時~午前一時。とあった。
五更:①昔、日没から日の出までを五つに分けた名。②第五更。寅(とら)の刻(こく)。午前四時、およびその前後二時間。戊夜(ぼや)。
さて、話を「時辰」に移すが、三国志平話には、
二時辰ほどの時が過ぎ、国舅が内裏より出てきたや
一時辰もたたぬうち、馬騰らはみな殺されてしまった。などといった表現が見られる。これは時間の経過を示している。注に因ると、
二時辰:古い時代の時間を計る単位。一昼夜を均等に十二に分け、その一つを一時辰とする。一時辰は現在のほぼ二時間に相当する。との事である。
小説を書く身には、ありがたい言葉である。
全く話は変わるが‥‥‥
知らぬ内にこちらのサイト
※http://blog.so-net.ne.jp/club-kimagure
で紹介して戴いていた。大変に感謝したい。
記述者 strap : 11:29
2006年07月27日
凶星の正体--その儘カノープスなんじゃないの?
調べ物の過程で思った事を書く。
表題と前半部を読んで早合点をされても困るから先に述べておくが、本サイトは「(歴史的)事実」を探求する目的で書かれている訳では決して無い。
本サイトは紛れも無く小説サイトである(小説に事実を書く義務が無い事は、散々に述べてきたので本稿では割愛する)。
三国志の時代を記す書物にも、凶星やそれに類する記述が見られる。
例えば、「捜神記」には、呉の永安年間に火星人(?)が現れ、司馬家の天下簒奪を予見した、とある。「三國時代的火星人」で検索すれば、原文は山程出ると思うので省略する。熒惑星は火星の古名であり、災禍や兵乱の兆しを示すとされた星である。
却説、本題に移ろう。
「後漢書 志第十二 天文下」に因ると、
光和中、国皇星東南角去地一二丈、如炬火(中略)其後黄巾賊張角燒州郡、朝廷遣将討平との事である。
「一二丈」は、2~5mというところであろう(一丈は大体2~3m)。大した意味は無く、「低い位置に」なのでは無いかと僕は解釈している。第一、二丈は一丈の倍である。違い過ぎる。
簡単に約すなら、光和年間に国皇星という凶星が現れて、張角率いる黄巾賊が大暴れ、という内容である。「三国志演義」はこの事件を出発点として始まる。
ではこの星は、一体何なのであろうか?
史記の「天官書第五」と、「漢書 巻二十六 天文志第六」には、
国皇星、大而赤、状類南極、所出其下起兵、兵彊、其衝不利と国皇星が説明されている。つまり、
「大きくて赤く、南極老人星に似ており、これが出たら攻撃に不利な内乱が起こる」
と書かれている訳である。
一方、似ているとされる南極老人星に関しては、やはり「史記 天官書第五」に、
(前略)曰南極老人。老人見治安、不見兵起と書かれている。「見えたら平和、見えなきゃ戦争」と、国皇星とは逆の評価である。
これって、同じ星では無いのかな?と僕は考える。二つの星には、南の空の低い位置にあると云う共通点もあるし、「国皇星」はそのまま「状類南極」なのである!二星が同一である可能性は0では無い。
言うならば、乱が起きれば、「国皇星」と呼ばれ、世が治まっていれば、「南極老人星」と言う様な。
二つが同じ星ならば、当然の事ながら「国皇星」が見えている間は「南極老人星」は見えず、「南極老人星」が見えている間は「国皇星」が見えない。
「南極老人星」は、今日我々が呼ぶところのカノープス(竜骨座の主星)である。
カノープスは本来白い星であるが、高度の低さから赤く見える(夕日や朝日と同じ原理)。大犬座の主星である天狼星に次いで明るい星であるが、その入射角の為に見え難い。精々4等星程度の明るさだとか。地上すれすれで、減光させられた星であるから、二重の意味で見え難い星であると云う。
見え難いが故に、見えれば幸運だと思われていた訳であるが、同じ理由でそれを不吉だと考える者がいたとしてもおかしくは無いと思う。
つまりは表題に戻り、以上である。
無論根拠薄弱である事は、本人重々承知している。参考程度にして戴きたい。
記述者 strap : 00:57
2006年09月20日
プラネタリウムで三国志
既にナツル備忘録さんが紹介してあるが、現在福岡県大牟田市のプラネタリウムで、「三国志 諸葛孔明の星 ~春風五丈原~」という、三国志をモチーフとしたプログラムが上映されている。
大牟田市文化会館
又同市の「大同市友好都市締結25周年記念」の一環として、中国カルタ展も上映中。
大牟田市三池カルタ・歴史資料館
参考→http://m.z-z.jp/thbbs.cgi?id=359kk&th=157&go=45-47
記述者 strap : 01:10
2006年09月27日
コナンと火鳳燎原
ヒロイックファンタジーの代表格と言えば、やはりコナンというのは、誰も異論の無い事であろう。
ファンタジー作品が好きな者ならば、先ず読んでいる小説と言っても過言では無い。
コナンは、ロバート・E・ハワードがパルプマガジンで発表したヒーローで、シュワルツネッガー主演で二度映画化がされている位ポピュラーな作品だ。日本人俳優のマコ岩松が出演している事から、本邦でも映画の方は大変な人気が有る。
さて、それらの作品群を原作としたマーヴルコミックのタイトルの一つに、「コナン・ザ・アドベンチャー」がある。
この「コナン・ザ・アドベンチャー」であるが、#9からヤマタイの盲目戦士、シマタ・カワが登場している。
さて、話は変わるが、三国志漫画である。
今三国志の漫画といえば、誰もが思い浮かべるのは矢張り陳某氏の「三國群英傳 火鳳燎原 The Ravages of Time」であろう。世界中で読まれている三国志漫画である。
この作品には、第七十回から、聴覚を失った「三船」という人物が登場する。どうやら日本人の様だ。
二つの外国人が書く三国志の時代(コナンは本当は違うが)を舞台としたコミックで、日本人の登場人物が共に不具であるというのは興味深い。
丹下左膳や座頭市、はたまた「大菩薩峠」の机竜之助といった映画のイメージから、この様なキャラクターが生み出されたのかも知れぬ。
良く良く考えてみれば、「火鳳遼原」の残兵は皆不具者か(汗)
記述者 strap : 01:01
2006年10月11日
知らない言葉
三国志関係の本や掲示板などに、
良く勘違いされている事ですが、正史は「正しい史実」という意味ではありません。などと書かれているのは度々目にしていた。
「正史」どうしで相反する記述がある事等珍しくもないし、本当にそんな勘違いをしている人がいるのかな?と、半信半疑であったが、そういう人が意外に多い事に最近気が付いた。知っている漢字が並んでいる為、知らないにも拘らず調べる事を怠って誤まった使用をしているものであろう。こういう人達は、例えば「緑蟻」や「浮蛆」を何だと思うのだろうか?実に興味深い(笑)無論「正史」は「三国志」を含め、一つも知らない人達であろう。
言葉を知らぬ事は悪い事では無いと思う。誰でも知らない言葉はある。
しかし使用には注意が必要だ。使うからには意味ぐらい調べたい。
僕も中学生の頃、「風雨の情」という言葉を知らずに人に訊ね、哂われた事がある。辞書で調べておけば良かったと思う。
後に知った事であるがこれは、楚の国の襄王(の逸話に出てくる懐王)の故事であるらしい。
妾は巫山の陽、高邱の岨に在り。旦には朝雲と為り、暮には行雨と為りて、朝朝暮暮、陽台の下におらんというもの。
2007年07月04日
夏侯惇が左目を失った事件に関する事-平話の場合
僕が三国志小説を書く時、夏侯惇が登場するシーンでは、弓箭と利き目や利き目の判定方法に書いた様に、「目」、「眼」、「眇」、「見る」、「視る」といった
言葉が自然と多くなる。それは両眼である時の夏侯惇であっても同様であり、それだけ夏侯惇の個人を表す要素としての「隻眼」に、僕が重きを置いているという事であろう。
夏侯惇,夏侯惇が左目を失った事件に関する事の中で、夏侯惇が三国志演義中でどう左目を失うかを書いたが、今回は三国志平話の場合である。ちょっと引用してみよう。
呂布発箭、正中夏侯敦左眼。夏侯敦落馬、抜箭。夏侯、「父精母血、不可棄之。」其目睛一口噉之、上馬再戦。呂布言、「此人非常人也」呂布大敗。
え~っ、とビックリする様に内容が異なる。
先ず箭を放った人物であるが、これが曹性では無く、呂布であるというところが、先ず全く違う。
そして目玉を喰らった夏侯惇を見て、「こいつタダ者じゃねぇ~」と、あの呂布が発言しているのである(平話でも呂布は、あの呂布です)。で、「呂布大敗」と。
夏侯惇、演義よりも強めに描かれているかも知れない。
記述者 strap : 00:02
2007年07月22日
廖化は二人いた?
(このエントリーは、「三国志の歴史的事実」では無く、「三国志雑談」のカテゴリーです)
三国志ファンと話をすると、
「呂布は二人いた」
とか、
「王朗は二人いた」
「張休は二人いた」
などといった話を聞く事は多い。
「関羽伝」にある建安24年の記述は、「撃破呂布軍」が衍字であると考えられているし、王朗と張休は同姓同名の別人である。
さて、こういった中で、最も「二人いた」という説を聞くのは廖化である。
しかしこの廖化は、三国志でも三国志演義を見ても、「二人いた」とする様な根拠はどこにも無い。
この「二人いた」は、三国志演義において廖化があまりにも長命である為に言われている訳であるが、同じく長命な赤莵は「赤莵は二頭いた」とは言われぬし、管寧伝には百五歳まで生きた人物の話もあるし、それ程の齟齬がある訳でもない。廖化は長生きだったと素直に解釈すれば良いのだ。
三国志演義とは違い、廖化の三国志での初登場は、関羽死後の事である。
「蜀書十五 鄧張宗楊伝第十五 宗預伝」に因ると、「為前将軍関羽主簿」と、元は関羽の主簿だった事が書かれており、一時は呉に下ったようであるが、「咸熙元年春、化、預倶内徙洛陽、道病卒」と、蜀の滅亡まで以後四十数年仕えていた事になる。年表にすると、以下の様になるだろう。
???年?月 襄陽郡?に産まれる。
219年十二月 関羽の主簿であったが、呉に捕らわれる。
221年夏? 呉を脱出し、シ帰で劉備の東征の軍に保護される。宜都太守になる。
223年二月以降 蒋エン、廖淳(廖化の本名)等数名の名を挙げ、茂才を辞退する。諸葛亮の参軍となる。
? ↑
右車将軍・假節・領并州刺史の位になり、中郷侯に封じられる?
? ↓
261年頃? 友人の宗預を訪ね、諸葛瞻への挨拶を提案するが、宗預の言葉で中止する。
262年十月 姜維の狄道侵攻を批判。
263年十一月 張翼、董ケツ等と剣閣に向かうが、鐘会に降伏。
264年春 洛陽に連行される道中で病没する。
さて、問題は生年である。
三国志演義によると、廖化は黄巾の乱に参加しているという事である。
黄巾の乱は中平元年(184年)に起った。この時10歳の計算だと、廖化は174年の生まれで、91歳で死んだ事になる。当時としてはかなり長生きな方であると謂えると思う。
さて、「蜀書 劉二牧伝第一」に、米賊の首領である張魯の母について、「少容有り」という記述がある。この「少容」というのは、年齢のわりに若く見える事を指す様であるが、これは米賊が限定的な「不老」(アンチエイジング-「遅老」若しくは「抗老」というべきか)の技術を保有していた事を指す貴重な記述であり、張魯の母がこれによって若さを保っていたという事である。
無論、実用化に至るまでには多くの実験がなされた筈であり、多くの実験体がいた筈である。
ここで、黄巾の乱の際、米賊が呼応したという事実を思い出して戴きたい。この時、一方から一方へ、技術の提供がなされたのではなかろうか?
結論を言うと、廖化は黄巾賊の不老化実験の実験体の内の一体であった。彼は黄巾賊に改造された、改造人間だったのである。
多くの実験体がもがき苦しみ死に逝く中、彼は奇跡的に生き延びたのである。この為に彼は長命であったし、季漢の滅亡までをその目にする事が出来た訳である。
黄巾賊は廖化に施した実験の予備実験として、ウェルナー症候群やプロジェリア症候群を人為的に作り出す実験も行なっており、多くの人々が殺された。多くの死の実験結果により、遅老体(抗老化体)である廖化は作られており、彼はその実験で死んでいった多くの人たちの為に、正義の為に戦ったのだ。
そして廖化は、サンジェルマン伯爵の正体でもある。
(このエントリーだけ読んだ人からは、僕は頭おかしいと思われるだろうなぁ)
2008年02月17日
劉備主従は嵐のパンテオン?
さっき気付いた事であるが、劉備主従のイメージは、グローランサ神話の嵐の神々と重なる気がする。
関羽は無論、フマクトのイメージである(嵐の神々とは義絶しているが)。
「死」と「真実」を司る神である。
嘘を嫌う死のルーンの正当所持者。
誰しも関羽のイメージと重なるのではないだろうか?
張飛は、ウロックス(ストームブル)。
「死」と「風」と「獣」のルーンを持つ荒々しい戦神である。混沌殺しの狂戦士。
渾沌という悪と日々戦っているが、少し思慮が足りない様である。
麋竺・孫乾の二名は、交易の神であるイサリーズと知識神ランカーマイを足して割った感じ。麋竺の方が財産家でも有り、イサリーズ属性が強し。簡雍は二人のイメージに死のルーンを持つ道化者、ユールマルを振りかけた感じかな。商売の神イサリーズのルーンは「移動」「調和」「伝達」。剣の賢者ランカーマイは「法」と「真実」。ユールマルは「無秩序」、「幻影」、「死」。
趙雲はどう考えても槍のイメージ……。槍と言えば火の神々ですが、オーランスの近侍エルマルなどどうでしょう?「火/天空」と「真実」のルーンを持つ神です。
劉備は……チャラーナ・アローイとかとも思うけど、やっぱ主神の盗賊オーランスだよなぁ(汗)
オマケ:
呂布はゾラーク・ゾラーンかなぁ。所持ルーンは「無秩序」、「暗黒」、「死」(イェルマリオの「火/天空」から奪った熱のルーンはどこに?)。
2009年06月09日
中国ブーム? 本屋を巡ってみて
最近いきつけの本屋さんの語学の並びで、中国語のコーナーが拡張されていました。
中国語が、ちょっとしたブームなのでしょうか。
その中に、中国語で聴く三国志なんて本がありました。
ちなみに、タイトルは「三国志」ですが、中身は「三国志演義」なので要注意!
中国語、意外に人気なのかも知れません。
事実今は、三国志ブームが理由で、中国ブームではあると思います。然程興味の無い僕でも、TV等で中国の歴史に関する話題を全く聞かない週は珍しい位です。
矢張り、(中国ブームの要因である)三国志ブームが中国語ブームの遠因なのでしょうか?
そういえば、週刊少年ジャンプでは、水滸伝の連載が始まったみたいです(パラパラとめくったら、王進という名前が見えたので気付きました。読んでませんが)。
ネットで調べてみると、戴宗が主人公なんだとか。
燕青とかの方が人気でそうですけどね。
公式サイトで第一話が読める様です(専用ブラウザーをインストールする必要が有ると書いてあります。面倒臭いので、僕はパス)。
ちなみに僕が好きなのは、神機軍師朱武と、鎮三山黄信です。
黄信と言えば、ukiぺであに興味深い記述が。
又調べてみると、小学館の「ゲッサン」という雑誌でも、「月の蛇 水滸伝異聞」という水滸伝の漫画が連載スタートしたそうです。 →公式サイト
「三国志→中国ブーム→三国志には食傷気味」
という流れで水滸伝のブームが来るのでしょうか? 同時期に二誌で連載が開始された事は、非常に興味深い事です。
已下、タイトルとは無関係な書籍の話題
まだ本屋さんに並んではいない本ですが、The Otaku Encyclopedia: An Insiders Guide to the Subculture of Cool Japanというのも気になる本。
講談社から出る様ですね。
端正・格調高い文章を味わう 中島敦も気に成る本(というか、既に入手しました)。
以前中島敦の文体模写と文体。中島作品の文章の巧妙というエントリーで、「盈虚」という作品からの引用を書きましたが、この「盈虚」など、今まで全集にしか収められていなかった作品の幾つかが収録されています(青空文庫で読めますが、僕はモニターで読むのは苦手なので。長い文章を読むと、疲れてしまいます)。
次回のエントリーは、三国志に関する話題を予定しています。
たまにはね。
2009年11月28日
水滸伝の漫画の一巻が出ていました
リボルテックヤマグチの、「ARX-8 レーバテイン」が、新装版として復刻された様です。



もう、予約無しでは買えない程人気だった商品だけに、待っていた人も多い事でしょう。
ガンハウザモードの再現だけでなく、ラムダドライバキャンセラ(妖精の羽)も付属しています。
そして、「ARX-7 アーバレスト

新旧の主役メカが揃ったところで、次は「狙い撃つぜ!(cv:三木眞一郎)」とか、「鍛え抜かれた戦士の肉体のさらなる延長なのだ(cv:じゃっくばうあーの人)
」などの機体を期待したいところですね、リボルテックには。
豆知識:TSRの第三回サブタイトルが「迷宮と竜」なのは、TSRという会社が出していた「ダンジョン&ドラゴンズ」というゲームのパロディ。
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で、本題なのですが、以前中国ブーム? 本屋を巡ってみてというエントリーで紹介した「月の蛇 水滸伝異聞」という漫画の一巻が発売されていました。

この作品、島本和彦の「アオイホノオ」のついでに連載で読んでいる漫画なのですが……いつ水滸伝になるのか、が最大の関心です。
今のところ、「梁山泊」という悪役がいるだけで、水滸伝に関する人物が(あからさまには)出てこない状態なので、ドキドキしてはいます(一応「梁山泊」のメンバーは水滸伝の好漢と同じ名前ではありますが……)。
主人公が「趙飛虎」という名前なので、三国志の「張飛」をモデルにしたあの人物に後々なるのではないか、と予想はしています。趙飛虎の武器は、三国志演義の張飛と同じ蛇矛ですから(と思ったのですが、良く考えたらその人物はもう別に出ていますね)。
今月号は、濡れ場になるのではないかというところで、戦闘が始まったのは好きな演出ではありました。
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文房具屋にいき、ペンテルが「合格祈願!三国志セール」というのをやっていると知りました。
http://www.pentel.co.jp/news/2009/090708_07.html
う~ん。
これ、もう鳥渡上手に出来なかったのかいな。
関帝廟と関羽の画が描かれているのですが……巧くやれば三国志ブームで受験生も買ったんでしょうけど、これには買いたくなる付加価値が全くない様に思います。
記述者 strap : 16:59 | コメント (0) | トラックバック
2009年12月16日
『李陵』のテーマと『三国志演義』のテーマ
二週に渡って国営放送のドラマ「坂の上の雲」について(それぞれ別のカテゴリーで)感想を書きましたが、第三回「国家鳴動」に関しては、日誌にちょろりと書くだけに留めます(もっと書くなら、西田敏行が50円札の役で出ていますね。名前だけは何度も1万円札が出てきます。現行のものをみてもそうですが、モチーフに明治期の人物は多いです)。今後書くかどうかは決めていません。
気が向いたら書くかも知れません。
とはいえ、なるべくブログの趣旨に反しない様に書いてみます。
****以下本題*******
中島敦の『李陵』を読んで僕が感じるのは、結局は『山月記』と同じテーマを書きたかったのではないかという事です。
無論、『李陵』には『李陵』独自の、『山月記』には『山月記』独自のテーマがあるのですが、しかし中島敦が最も強く、何時も思っていた事は、「自惚れの為に破滅する人」では無いかと思います。『李陵』の李陵も、『山月記』の李徴も、自分の実力以上の事に挑戦して失敗をしていますし、先ず間違いはないでしょう。これは中島敦にとって、重要な問題だったのだと、そう僕は確信をしています(中島敦自身の、原稿の預け方などに、それを思わせるところがあります)。
恐らく中島敦は、己の文才に非常な自信があったのだと思います。しかし彼のその自信は又、「臆病な自尊心」でもあったのでしょう。『狼疾記』には
彼の「臆病な自尊心」もまた、この途を選ばせたものの一つに違いない。人中に出ることをひどく恥ずかしがるくせに、自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖が、才能の不足を他人の前にも自らの前にも曝し出すかも知れない第一の生き方を自然に拒んだのでもあろう
という一文がありますが、中島敦自身、そういう「臆病な自尊心」を持ち合わせていたのだと思います。そして「臆病」である故に、自分の文才に自信を持ちながら又一方では「才能の不足」が露呈する事を恐れていたのだと思います。
と、こうは書きましたが一方、『李陵』前半部には「才気溢れる人が、充分な活躍の場を与えられぬ苦悩」というテーマが混在しているのではないかと思います(史実の李陵がどうであったか、という話ではなく、その史実がどう解釈されたか、という話です)。事実中島敦は李陵を、優れた指揮官として描いています。
二律背反している様に感じるかも知れませんが然うではありません。僕はこの作品を、「才気溢れる自惚れた人が、充分な活躍の場を与えられぬ為、無理な仕事に挑んで破滅する」物語だと思うからです。結局「臆病な自尊心」というのは、「自らを高しとする点では決して人後に落ちない性癖」を含んでいる訳で、「挑戦すれば成功するだろう」という自信と、「挑戦して失敗をすれば、破滅するだろう」という恐れの自家撞着なのだと思います。
そしてこれは又、中島敦自身の心にあった、葛藤でもあるのではないでしょうか?
自分の文才に自信があるも、それを否定されるのは恐ろしい。しかし、それを世に問いたいという欲求も強く持っている、という様な……。
そうして見ると『弟子』なども、「師である孔子が認められない事に歯噛みする、子路の物語」と読めない事もありません。
一方『三国志演義』ですが、こちらは長大な物語であり、長大であるが故に(無論別の理由もありますが)多くのテーマを含んでいます。しかしこの物語でも、諸葛亮登場部分迄の主要テーマは『李陵』と同じく、「才気溢れる人が、充分な活躍の場を与えられぬ世の厳しさ」では無いかと思います。
無位無官の劉備とそれに従う関羽や張飛は、官職に無いが為に小物と嘲られ、活躍をしても全く認められる事は有りません。彼等の事を唯一認めるのが、後に最大の敵となる曹操なのですが、この曹操にしてからが、あまり大人物という扱いを受けていません。名家に生まれた人が、その生まれのみで尊いとされ、その尊い人物に使える人が、関羽や張飛に劣るというのに、豪傑の扱いを受けています。
優れた人が全く評価されぬ事に義憤し、そしてそんな彼らが活躍する様を、人々は愛し、楽しんだのではないでしょうか。
現代日本ではピンと来る人が少ないかも知れませんが、職業選択の自由が無かった時代の庶民は、生まれのみを理由に驕る人を、真に優れたヒーローが打倒する話を好んだのではないでしょうか。
僕には、そう思えます。
****本題以上*******
偖、町は待誕節に入ってからというもの、イルミネーションでギラギラしています。日本人独特の宗教観で、切支丹の祭がそれほど宗教臭くありません(中島敦の『弟子』に出てくる儒家も、宗教団体というよりは、まるで思想集団の様です)。
教会には、「ナザレで建築業を営むヨセフさんの坊やが、厩で生まれた場面」を再現する模型があったのですが……思わず言って了いました。
「イスラエルでこんなに雪が降るものか!!!!!!」
そこにはキリスト者の人達が沢山いたのですが、僕は何故か凄く睨まれて了いました(調べてみると、稀に降る年がある様です)。