三国志小説論
 三国志小説作品目録
 三国志小説論:エントリー一覧
 ブログランキング・にほんブログ村へ

2005年05月01日

弓箭と利き目

最近僕がお世話になっている掲示板(三国志討論場)で、弓に関する話題が多くでます。

掲示板にはクドクドしくは書きませんでしたが、やはり弓の話をする時、利き手、利き足、そして「利き目」の話題を外す事はできないでしょう。

何故弓に利き目が重要か?
話は長くなりますので、僕の作品から引用します。

以下、右利であるにも拘らず、弦を左手に持ち弓を弾き分ける者がいる事についての陳宮と夏侯惇の会話。

「しかし公台。利き目が在るは理解した。だがこれと弓矢の技術はどう関わる」
「単眼で暫く生活をしてみますと、視野が狭くなること以外にも不具合が生じます」
「公台、それは何だ? 」
夏侯惇は興味深かげに質問した。
「実は距離感覚が失われてしまうのです。深視力の喪失と言いましょうか」
「何故だ、公台? 何故距離感が無くなる」
「はい。人は両眼で物を視認しますが、左右の目は瞼一つ分、離れております。どうやら動物はこれで、対象を見る際、見え方のずれを利用して、己と対象との距離を測っている様なのです」
「それは本当か、公台? 」
「鼻の頭に指を置けば、指は二つに見えます」
夏侯惇は鼻の先に食指を立て、両目で視た。
「確かに。確かに像は二つある。しかし本当にこれで、距離を測っているのか? 」
夏侯惇は、納得する様な顔を見せながらも、尚陳宮を疑う様な目で見た。
「では暫く片目を閉じて、何かを掴んでみて下さい」
こう陳宮が提案すると、左目を瞑って両手を振り、
「確かに長さが良くわからぬ」
と夏侯惇は言い、
「理解した」
と頷いた。
「では話を戻しましょう」
陳宮は微笑み続ける。
「ですが、この様に像が二つあっては、射兵で狙うには難しい。距離を測るに適しても、方向を定めるには甚だ不都合なのです。像と像とが互いに邪魔しあい、巧くは狙えない。それでその様な場合、片方の像を我々は、無意識の内に遮断している様なのです」
「成る程」
「そして我々は、心理的に遮断されぬ一方の目を、利き目と定義しました」
「しかし何故、左を利く者は左で弦を弾く」
「まあそれは、弓を構えたところを思い出せば、自ずとわかりますよ」
夏侯惇は立ち上がり、弓を弾く形をとった。陳宮は机上の縄を取り上げ伸ばし、その右の頬に、箭柄に見立てたそれを当てる。
「口の辺りを通り、上下にずれてはいますが、箭の飛ぶ道筋と、右目の視線はほぼ同軸です。それに対し、左目とは目標物に対し、角度があり過ぎるのが分かるでしょう。視線は箭の延長線と交差しており、とても狙えたものではありません。左目を瞑っても的は狙えますが、右を瞑れば的は狙えませんね? 」
「ああ、無理だ」
「校尉は右目利きですからこのやり方で良いのですが、左目利きの者はこれでは狙えません」
「そうだな」
夏侯惇も頷く。
「故に彼等は、右に弓を持ち、左に弦を弾くのですよ」
現代の銃でも、構える時手を優先するか、目を優先するかならば、目を優先させる事が多いようです。
尤も多くの小銃は、槓桿(ボルトハンドル)は右手で操作しやすい設計になっていますし、排莢は、右側が外側という事を前提に設計されています(短銃も同様です)。

利き目の簡単な測定方法はまた後日。

投稿者 strap : 10:28 | コメント (0)

利き目の判定方法

弓箭と利き目の続き

簡単な判定方法も記しておきましょう。
と言っても、書くのが面倒なので、作品からコピペします。

以下利き目判別方法。夏侯惇と陳宮の会話から。

「公台、鶻突を申すな。俺は常に事物は、両の眼で視ておるぞ。利き目などという物が、真実実在するものか。少なくとも俺にはその様な事は無いぞ」
「その様な事は、無い筈です」
「いや、ある! 」
陳宮の言葉に夏侯惇は、強情に反対した。
「仕方ありません。では、理解して戴く為に、検査をしてみましょう。宜しいですか? 」
陳宮の問いに夏侯惇は頷き応じた。
「では校尉、一寸片目を閉じて下さい」
「こうか」
と夏侯惇は左目を瞑った。
「出来ますね。ならば検査致しましょう。指で環を作り、両目を開けた儘、一つの物を環の中に囲い見て下さい」
夏侯惇は右の拇指と食指で輪を作り、窓の外を見て、小鳥か何かを目標にして囲った。
「では、左右の眸を交互に閉じ、どちらの目で見た時、環の中に目標を捕らえているかを教えて下さい」
夏侯惇は目を交互に瞬かせ、
「右だ」
と言った。
「目標を変えてもう一度」
「右だ」
「左手で環を作りもう一度」
「右だ」
「ならば校尉は、仮に左目を失っても弓は弾けますよ。利き目は右です」
こんな感じで識別してみてください。

盲夏侯も、両目の頃はあったのよ(笑)

投稿者 strap : 23:31 | コメント (0)

2005年06月16日

夏侯淵の騎馬

夏侯淵は疾速の用兵を得意とし、 常に敵の不意を突いた為、「典軍校尉夏侯淵、三日五百、六日一千」と、軍中では語られていました。恐らく騎馬隊を率いるのが抜群に巧かったのでしょう。
そんな夏侯淵の用兵とは、具体的には一体、どの様なものだったのでしょうか?

馬を戦いに使うに利点を挙げるならば、主なものは、以下四点だと考えます。。

・長距離を短時間で移動(戦略レベル)
・戦場での素早い機動(作戦レベル)
・戦闘における、大質量の物体の移動という威圧効果(戦術レベル)
・非騎乗者に対する高さ等の有利(武術レベル)
(似ているようですが、一番目とと二番目は、全く別の事柄です。例えるならば、驢馬とチーターはどっちが速く動けるかという問題です。大食いと早食いが似て異なる様に、質が全く違いますね)
一般的には、騎馬を扱うというと、作戦レベル、戦術レベルでの勇ましさばかりが思われますが、夏侯淵を評価した言葉にこれらは全く挙げられません。彼を評した言葉はただ、戦略レベルである素早い長距離移動能力です。
恐らく突撃をする様な騎馬戦術は不得手とした位なのでは無いでしょうか?

 というのも、夏侯淵タイプは、例えるならばマラソンランナーのタイプで、配下には瞬発力の速筋よりも、遅筋を要求する様な場面が多かったと考えられるからです。又、当時の馬には鐙が無く、人馬共に体力を消耗した様です。夏侯淵という人は、休息のタイミングをとるのが抜群に上手かったのだと推測します。


僕自身は自作でこう書きました。

戦略としての騎兵の利点は、長距離を急行する事が出来る事にある。飃疾で知られた夏侯淵は、この能力に特に優れていた。速駆けは馬も騎手も大きく体力を消耗するが、夏侯淵はその休息の取り方が実に巧みなのだ。信じられぬ強行軍を、難無くこなしてみせる。併し馳走を得意とする彼も、戦術としての騎馬の利点を生かす事には不得手であった。戦術としての騎兵の利点とは、大質量の物体を突入させる事による打撃である。
夏侯淵の左翼の目的は、迂回機動をし、後方若しくは側面から攻撃を加える事にある。だがそれは陳宮の見た所、明らかに失敗していた。というのも、前校が左にずれて薄くなり、中央の曹仁が随分と敵陣深くまで突入した様だったからだ。これは敵が夏侯淵を防ごうと、前校を延翼し防いだからであると、陳宮は推論する。恐らく敵右校も側面防禦の為、そこで堅く護っている事であろう。今、前校全体が左側に動きつつあった。敵左校は前面の防御に出てくる構えだ。陳宮はこの動きを封じる手を打たなければならなかった。
僕の小説では数少ない、夏侯淵の話題でした。

投稿者 strap : 23:29 | コメント (2)

2006年05月28日

夏侯淵の行軍

夏侯淵の騎馬というエントリーで以前僕は、裴松之が魏書に引く

淵為将赴急疾、常出敵之不意、故軍中為之語曰「典軍校尉夏侯淵、三日五百、六日一千」
から、
恐らく騎馬隊を率いるのが抜群に巧かったのでしょう。
と書きました。
しかし三国志には、本文にも注にも、典軍校尉夏侯淵の麾下が騎兵主体であったなどとは、何処にも書かれておりません。
今回は、僕が夏侯淵の麾下を騎馬主体と考えた根拠を示したいと思います。

参考:三国志と馬

先ず、現代の騎兵について述べたいと思います。

一般に騎兵の普通行軍速度は、7.5km/h程度と考えられています。
又一日行程は、普通行軍に於いては約8時間です。
つまり現代の騎兵は、約60km/dで普通行軍をする計算になります。三日なら180km、360kmの計算ですね。
一方、現代の機械化されていない歩兵の普通行軍速度は、4km/h程度、一日の行軍は約8時間です。つまり、約32km/dで普通行軍をしている計算です。三日なら96km、六日なら192kmの計算です。

さて、では夏侯淵が行軍していた距離はと言うと‥‥‥
1里≒414.72mとするならば、500里は約207km、1000里は約414kmです(一里≒434.16mならば、500里は約217km、1000里は約434kmです)。
これが歩兵の普通行軍の速度と較べ、余りにも大きい数字である事がわかると思います。一日十二時間の強行軍を三日続けても、144km、500里(約207km)には遠く及びません。

無論、「三日五百、六日一千」は誇張された数字であり、キリの好い数字を選んだものであり、若しかしたら語呂や字面を考慮されたものかも知れません。併し、鐙がある現代の軍馬を用いた行軍を上回る数字で讃えられている事から考えても、先ず騎兵主体だったと考えて良いのでは無いかと、想像します。

投稿者 strap : 01:34

ホームページ制作・ビジネスブログ(商用ブログ)構築|福岡・大牟田