三国志小説論
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2005年08月17日

英雄と名将の立つ風景 目次

英雄と名将の立つ風景 全八回

第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
第七回
第八回

第0回

 
 
 
名将に関しては→夏侯惇小説
他の作品を読む→作品目録

投稿者 strap : 14:39

2005年08月19日

英雄と名将の立つ風景 第0回

魔人だ。
重い攻撃を受け続ける鮑忠はそう感じた。
奴は魔人に違いない。
一騎打ちの相手である華雄は、魔界の空気を纏うかの様な気迫に、人を喰らう様な禍々しく恐ろしい表情をしている。その姿は人にあらざる事を象徴するかの様に妖しく、おどろおどろしい。虎の体に狼の腰、豹の頭に猿の臂。奴は本当に魔人なのでは無いかと鮑忠は疑う。呼吸障害の為その呼吸は荒く、苦しそうな音を立てるが、それが逆に男の不気味さを際立たせる。
それは正に、人にあらざる者の形相だった。永劫の闇より這い出してきた、魔界の住人の強さだった。
石突での突きを流せば、右から斬りつけてくる。右の攻撃を防げば、その直後に左からの打撃が襲う。戟の両端を使った華雄の攻撃は速い上に予測不能で、しかも重い。手綱を持つ事無く、股のみを使って黒鹿毛を自在に操る。百戦錬磨の鮑忠も、この様に強い相手は初めてだった。怖ろしい程に手強いと舌を捲く。なんという強力であろう!
早鐘を打つ様な速度で、右から左からと、打突斬撃が繰り出され、鮑忠は対応に追われる。一撃一撃が重く、鋭く、その為手が痺れる。しかも攻撃が変則的で、通常の武術の型を大きくはみ出しており、防ぐのが大変に難しい。叩き落とした突きが変幻自在の変化を見せ、思わぬ所から攻撃を仕掛けられる。「見えざる手」の異名は伊達では無い。無論、鮑忠であるから対応出来ているのであって、並みの者ならもう落馬していようという勢いであった。
華雄の攻撃は、音楽的とすら感じる程の凄まじさで鮑忠を追う。鮑忠も必死に防ぐが、それは無様なものでは無く、華雄のあまりに速い攻撃の為に華麗ですらあった。二人が演じる攻防のそれは、舞いを踏むかの様に艶かしく、美しい。それは妖しくも不吉な舞踏だった。
鮑忠は必死に防ぎつつも、攻撃の機会を窺う。隙を見せぬ程の華雄の攻撃。しかしそれを受けつつも勝利を諦めず、慎重に勝機を探す。端からは防戦一方に回っている様に思えても、決して鮑忠は攻撃をしていない訳では無かった。その重圧、魔人の如き強さを誇る華雄とて感じている筈である。そんな時、華雄が大きく戟を振り被った。
一瞬の隙を突くべく、鮑忠は素早く突きを入れる。僅かな傷さえ付ければ良い。僅かにでも傷付ける事が出来たならば、この速度は鈍る筈だ。そう考える鮑忠はこの一瞬に賭け、電光石火の一撃を放った。
それと同時に、華雄は長大な戟を振るう。
それは一瞬の出来事だった。
本来であれば、鮑忠の攻撃が華雄に小さな傷と、大きな隙を作った筈である。
しかし。
華雄の攻撃は、速いに過ぎた。
鮑忠の予想を超えて速かった。
しなやかな筋肉が、華雄に俊敏な動きを与えていた。
鮑忠の首は戟に跳ね上げられ、高く宙を舞う。
薄れる意識の中鮑忠は、揺れ落ちながら馬に跨る己の体を眺めた。


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投稿者 strap : 02:45

2005年08月20日

英雄と名将の立つ風景 第一回

時代は好い方向に動いていると、孫堅は思う。
俺の時代がやってきたなと、北叟笑む。爽やかな風が孫堅を撫でた。
これ迄は家柄が幅を利かせる時代だった。しかし今は違う。董卓が涼州の兵を用いて都を占拠してからこっち、有力者は武力ある人を重用し始めている。孫堅自身が、名門である袁家の麾下にあり、その剣の役を担っていた。苦しむ人々には申し訳無いが、何進に董卓入洛を奨めた袁紹や逢紀、荀攸等といった人々には、感謝してもしきれ無い。又、孫堅は以前董卓を斬れと、張温に進言した事があったが、これが聞き入れられなかった事を改めて感謝した。この時張温がその不遜な態度の為にこれを斬っていたならば、今の状況は無い。
董卓の入洛以降、天下は大いに乱れている。確かにこれ迄も、黄巾を捲いた妖賊の蜂起を発端として、辺章の乱等、漢の弱体化を示す叛乱は多かったし、孫堅自身もそれらの鎮圧に関わっている。しかし、今回のこれは大きく違うと思う。都自体が、董卓に牛耳られ、帝迄もが自由に廃され、そして又立てられているのだ。そう考えると、もう漢帝国もお仕舞いだなと、嬉しくなってしまう。乱世が来るぞと、喜んでしまう。無論、真に嬉しいのは実力がものを言う時代の到来であって、世が乱れる事自体では無い。しかし乱世が来なければ、孫堅の様な低い家柄の者が大きく飛躍する事など、到底出来はし無いのだ。だから苦しむ市井の人には悪いと思いつつも、時代の変貌を喜ばずにはいられない。世が乱れれば自分は、長沙太守などという低い身分に甘んじる必要も無いのだ。
孫堅は、己の用兵に絶大の自信があった。又兵法に自信があった。配下の将に自信があったし、養う兵にも自信があった。そして何より、自身の勇気に自信があった。個人的な武術では、袁術配下の兪渉に一歩譲るかも知れないが、しかし戦闘というものは兵を変幻自在に操る事こそが大事なのだ。それに関する機知と指揮は、誰にも負けぬとの自負が孫堅には強くある。孫堅はその武力を背景に、諸将と肩を並べる様な勢力となる事を望んでいる非常な野心家であった。今は袁術の補給に頼っているが、行く行くは己の支配地を持ち、大勢力になるという野望がそこには燃えている。
孫堅は未だ充分に若々しい男だった。今、夢と希望に燃えている。若々しい大志がそこにはあった。
現在袁紹を盟主として、諸将が董卓を囲んではいるが、これは只の見せ掛けに過ぎないと孫堅は思う。皆、董卓憎しの姿勢を取ってはいるがその実、涼州兵の恐ろしさの為だろう、戦闘をする意思などは何処にも感じられる事は無い。又、皆乱世の到来を予感しているから、自身の軍からは一兵も出したくは無いのである。戦力温存の為、折角戦闘の経験を積む機会であるというのに、誰も動こうとはしない。袁術にしても、今回積極的に孫堅を用いるのは、盟主として立つ従兄の袁紹に対抗しての事に他ならないのだ。力を見せ付ける事に因って、諸将にどちらが真に盟主に相応しいかを問おうという訳である。若し袁術が盟主の立場であったならばこの様な事は絶対に無かった筈で、じっと温和しく、ただ姿だけは悠々と、構えるのみであっただろう。孫堅は袁術を、「元来その器では無い」と軽蔑しているが、「自身が盟主になるべき」という勘違いがなければ今の積極性は無い訳であるから、この勘違いは歓迎していたし、孫堅自身焚き付けてもいた程だった。
孫堅は考える。
今は己を諸将に売り込む好機である、と。ここで大きな功績を挙げれば、孫堅も後々大きな基盤を持つ事に繋がる。そして漢への忠誠を声高々に謳えば、諸将への信頼を得る事も出来るだろう。これから来るのは乱世なのだ。一定の戦力と信頼さえ勝ち取ってしまえば、後は自身の才覚で何とでもなる。袁術は確かに大きな勢力であるし、これを内から喰らうのも悪くは無い。しかし袁術に拘る必要は感じていなかった。袁術で無くても、もっと良い条件で喰わせてくれる者があれば、そちらに乗り換えても良いと思う。無論、大きな手柄を立て、より大きな袁術の信頼を勝ち得たならば、よりその勢力を手中に収め易くなるというものだろう。
「明日が楽しみですな」
部下の程普が言う。確かに楽しみだと思う。
孫堅の軍は現在梁の東部に集結させ、攻撃間近であった。その数は、袁術に借りた兵も含めて一万余りに膨れあがっている。先ずこの数があれば、力押しで敵を圧倒出来るだろうと、孫堅は考えていた。汜水の関では今頃兪渉が一騎打ちに勝利して、大いに士気を上げている頃だろう。こちらも敵に大打撃を与え、戦況を大きくひっくり返そうと、そういうやる気に溢れている。
「うむ。世間では恐れられている様だが、董卓の軍など恐れる程のものでは無い。我が軍は今回兵数もあるし、明日は蹂躙するつもりでやってやろう」
孫堅が不敵に笑うのに、程普は大笑して頷いた。孫堅は辺章の乱の際、董卓の軍が敗走した事実を知っている。その顔には余裕が見て取れた。明日は孫堅の武名を天下に轟かせる事が出来ると、何も心配する事無く、本気でそう考えているのだ。部下達も皆同じ思いであるから、孫堅、或いは程普と同様の表情をした。士気は高い。
唯一人、祖茂という悲観的な男が、
「敵は寡兵と雖も油断は禁物ですぞ」
と忠告をする。
だが孫堅は、
「こちらには大軍がある。戦とは、兵数と勢いでするもの。杞憂であるよ」
と闊達に笑い、それを全く相手にしなかった。

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2005年08月21日

英雄と名将の立つ風景 第二回

連合軍の調整役を担う陳琳は溜め息を吐いた。
袁術の養う青綬が、僅か四千の兵の夜襲を受け、無残に潰走したというのだ。そこには一万の兵が集結していたし、袁術の口振りでは大そうな用兵家であったから、袁紹を始め、諸将は皆この別軍に大いに期待していた。故に、これを皆に伝えるのは気が重い。特に又袁術の面子を潰す事になるかと思うと、陳琳は胃が締め付けられる様に痛んだ。先日、既に袁術は一つ恥を掻いている。
袁術はこの対董卓連合軍中、現在最も戦力を提供している男だ。名門の出であるという誇りから自尊心が非常に強く、その自尊心が今の立場に不満を抱かせている。陳琳が考えるに、盟主と成れなかったその屈辱が、彼を必死にさせている訳だが、しかし諸軍にとってそれは有難い事ではある。袁術は、配下の驍将兪渉を投入し、敵の華雄を斬り、己の武名を高めようと目論んでいた。
汜水の関を守る部将、魔人の如き華雄に関しては、正確な情報が伝わっていない。元々董卓の将兵は謎に包まれていたし、今は勝手な任官がなされているから、敵将の官位など解り様も無いのだ。こういった敵は、「不可視の手」の様なもので、実に心許無いと思う。年齢、字が解らぬどころか、「都督の華雄」であるとか、「都尉の葉雄」であるとかと、情報が錯綜しており、連合軍の諜報能力の低さを露呈させている。判っているのは、身の丈九尺の関西人であるという事と、胸の古い矢傷の為、呼吸障害があるという事のみであった。その容貌は、虎の体に狼の腰、豹頭にして猿の臂と評されている。済北国の相鮑信には、鮑韜、鮑忠という二人の弟があったが、この内武勇に秀でた鮑忠も、兪渉より先にこの華雄に一騎打ちを挑み、そして敗れていた。
袁術配下兪渉は、武人としての誉れ高く、その武勇は天下第一とされていた。この男が華雄に一騎打ちを挑むという事が決定した時、陣内ではもう皆華雄の首を取った気になって前祝まで行なった。しかし、にもかかわらず、その男が三合持たず、あっさりと落馬した。この時の諸将、特に袁術の慌てぶりといったら、とても見ていられるものではなかった。華雄は予想を大きく上回って強く、兪渉は噂に違い弱かった。
これで袁術の立場は急激に弱くなった。兪渉の天下第一は虚名であったと、衆に知られた形となったからだ。そして人々は、矢張り最も強いのは、袁紹配下の顔良と文醜であると噂をする事になった。だから今回袁術は、孫堅に非常な期待をしていたのである。それが敗れた事を発表するのは何度考えても気が重い。自分の能力の限界を超えている様な気がした。
「今将軍には皇威が有り、全ての兵権を掌握されています。正に虎が闊歩する様な勢いがあり、軍は編成の大小を問わず将軍の意の儘であります。しかし今、外から人を招き、足元に大軍を呼び寄せれば、必ず収集が付かず、ただ動乱のきっかけを作るのみです」
陳琳がそう忠告したにも拘らず、何進は袁紹等の奨めに従い董卓を招聘した。であるから陳琳には、今の大乱は袁紹にもその一因があると思えて仕方が無い。にも拘らず、今この連合の盟主は袁紹であり、己はその袁紹の主簿に納まっている。皮肉なものだと自嘲した。
その様な男が盟主であったから、当然の事ながら連合軍の纏まりは薄い。圧倒的多数であるにも拘らず、その数の優位を活かせずに負け続けている。一方敵を見てみると実に手強い。董卓子飼いの四大冦、弟の董旻、従弟の董承、娘婿の牛信、郎中令の李儒を始め、白袍の李粛、玄菟の徐栄、八健将を率いる呂布と、その人材の豊富さには驚かされる。しかもそれらが董卓の指揮の下に、一致団結して乱れぬ軍事行動をしているのだ。こちらは三方から囲むが、今袁術配下の孫堅が陽人で敗れ、虎牢、汜水の両関は天険の要塞であり、攻めあぐねている。数は揃えたとて、名を連ねる事のみを目的とした士気の低い連合軍には、到底勝ち目は無いと、そう軍事の専門家では無い陳琳にも思える。
敵は少ないといっても、実戦経験豊富な精兵であるし、こちらは士気が低い上に疲労している。だから敵が一騎打ちを望んでくるのは、連合軍側としても歓迎だった。しかし敵が強過ぎて、誰も対抗できない。肝心の猛者がいないのである。ここで誰かが一騎打ちで華雄を討てば、流れは大きく変わるかもしれぬのにと、陳琳は思う。こう考えると、陳琳の思考は空想に迄及ぶ。誰を当てれば、華雄に勝つ事が出来るであろうか?
顔良と文醜の二人は、袁紹の空名がその名を吊り上げているだけで、凡将である事を陳琳は知っている。世間が言う様な評判とは異なり、頼りになる男達では全く無い。実の伴なわぬ名だけの将だ。では一体誰が良いというのだろう。
そう考え先ず第一に思い当たったのは、冀州牧韓馥の配下、潘鳳であろうか。潘鳳であれば、或いは勝てるかも知れぬと思う。その振るう大斧は、見る者を圧倒し、そしてその大斧で絶てぬ物は何も無い。この男を出せば、必ず勝てると、陳琳は確信した。他に探すならば、奮武将軍曹操の司馬、夏侯惇と、徐州刺史陶謙配下の歩隊将曹豹位であろう。この三人以外には見当たらないと思う。恐らく他の者が考えても、顔良と文醜を除けばこうなるだろう。
どちらにせよ、敵が挑んでくる以上、華雄は一騎打ちで斬らなければならない。勝てば沈滞した士気が上がるやも知れぬし、敵の士気を挫く事が出来るだろう。各地で負け続けなのだから、この辺りで一度勝たねば士気はそろそろ崩壊しかねぬと、戦に馴染みの無い陳琳ですらも考えた。

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投稿者 strap : 02:58

2005年08月22日

英雄と名将の立つ風景 第三回

「又情けない顔をして」
と、簡雍は叱ったが、関羽の気持ちは良く解る。
これまで転戦を重ね、苦しい戦いを何度も凌いできた。だのに、誰も劉備主従を認めてくれ様とはしないのだ。簡雍が見るところ、関羽はその義弟張飛と並び、比類を見ない程の豪傑である。にも拘らず、誰も認めてくれ無いというのでは、腐る気持ちも良く解る。袁術配下の兪渉等や、袁紹配下の顔良、文醜が、名門に仕えるというだけの理由で持て囃され、関羽の様に真に優れたものは誰も顧みるものがいない。その不公平は簡雍にも残念な事だった。
冀州牧韓馥の配下、潘鳳が華雄に斬られたとの報が届いた時、簡雍の主である劉備は悔しそうな顔をして、関羽と張飛に頭を下げた。
「自分に力さえあれば、お前達に行かせてやれるのに」
と。
涙を流す劉備を見て、関羽と張飛の方が逆に恐縮してしまう。しかしそれと、「自分達が行けば華雄など簡単に斬れるのに」という思いは別である。事実、関羽の見たところ華雄は確かに強いが、適わぬという程の相手では決して無いとそう言う。ならば。
ならば、連合軍の為にも関羽が華雄を斬るべきだと、簡雍は思った。この男達の薄幸を嘆じるよりも、先ずは目の前の男の類稀な才を活かさせるが先と、そう強く己の仕事を意識する。
真面目に過ぎる関羽では思いもしない非常識を、簡雍は述べた。
「と言っても、この儘うつうつとしていても始まりません。明日も華雄は必ずや一騎打ちを望むでしょう。少々不躾ですが、この時自ら名乗りを上げなさい」
簡雍の言葉に関羽は驚き見る。
「驚く事は無いでしょう。諸将がこちらを知らぬならば、こちらが自ら立ち、自分の存在を主張すべきです。こういう時は当たり前の事をしていてもいけません。常識を棄てて事に臨むべきなのですよ」
それにはやはり、関羽は反論をした。
「しかしそれで巧くはいかぬぞ。連中はこの有事を前に、未だ官位や家柄で人を判断する」
「そうでしょうな」
「そうでしょうな、ではいかぬではないか。策があるから言ったのだろうに!」
関羽が怒気を孕ませ始める。この人は頭が固く、常識的だという事が一番の欠点だと思いながら、簡雍は鹿爪らしくこう言った。
「無論、策が無ければこの様な事は申しません」
「それは如何なる策であろうか?」
関羽は訊ねる。
「何、簡単な事です。予め有力者に実力を見せ、根回しをしておけば、名乗った時に推してくれます」
「しかしそんな銭が何処にある?」
関羽は訝しげに聞く。
「金はありません。だから実力を見せるのです。この戦いに熱心に取り組んでいる者ならば、是非にあの華雄を排除したいでしょうし、我々と利害関係が成立します」
こう言うと、関羽は納得した様に頷いた。そして暫く考えた後
「では袁術に?」
と問う。
「いいえ。袁術に口添えさせる事は、多くの理由で駄目でしょう」
「その理由とは?」
「袁術は熱心に取り組んではいますが、それは本心ではありません。飽くまでも己の実力を示したいから戦っているのであって、彼には手柄を立てるのが誰でも良いという訳ではないのです。又、門閥意識の殊更強い男。我々が無位無官である時点で話を聞く様な男では無いでしょう。それに彼には我々の実力を測る物差しはありませんし、第一既に発言に重きを置かれてはいません」
簡雍の応えに、関羽は戸惑った様だった。
「では誰に売り込むというのだ」
それに簡雍は笑いながら問いで返す。
「今、連合軍の主力は何処とお考えかな?」
関羽は即座に
「少なくとも袁紹では無いな。無論袁術でも無い」
と返した。
簡雍はじっと頷く。
「冀州刺史韓馥、予州刺史孔伷、兗州刺史劉岱、河内郡太守王匡、東郡太守喬瑁、山陽太守袁遺、北海太守孔融、徐州刺史陶謙、西涼太守馬騰、上党太守張楊。どなたも熱心では無い。ならば、陳留太守、広陵太守の張兄弟。それに済北相の鮑信。この三名の率いる兵こそが中核ではなかろうか。この三軍は士気も錬度も申し分無い」
流石であると、簡雍は感心をする。しかし良く考えてみれば、関羽は軍事に直接携わっているのだから、簡雍よりも良く見えて当たり前なのだと思いなおした。そういう事を一瞬で考えた後に、
「如何にもそうです」
と頷く。そして関羽の顔をじっと見つめて微笑んだ。
「ではこの三名の何れかに?」
関羽はしかし訝しげに聞く。それで簡雍も
「いえ、違います」
ときっぱり否定する。その後
「では?」
と問われたので、もう少し話すべきかな、と思い、続きを述べた。
「この三軍は確かに例外的に精強です。しかし三将には戦略的判断も、作戦的見地からの思考も何も無い。将兵は精悍でも広い視野の用兵が無い。そこには、黒幕と共有する政治的思想があるだけなのです」
「黒幕か」
「はい、黒幕」
「黒幕。それは‥‥‥三名を束ねるとお前が言うそれは、奮武将軍曹操の事だな?」
関羽の問いに簡雍は頷き答える。
「ご明察です」
「確かに奮武将軍が中核である三名の中心であるといえるし、それに連合軍の中枢であるとも言える。袁紹にも強く出る事が出来る人物だし、今の有り様を本気で嘆いている男だ。しかし」
「しかし?」
「しかし、奮武将軍自身は連合軍の中枢であるが故に多忙だ。それにどう、それがしの実力を見せ付ける? その様な隙はあるまい!」
こう言われてつい、簡雍は笑ってしまった。解っている様で、関羽は肝心のところを解ってい無いのだと可笑しくなってしまう。
「何を笑われるか!」
そう関羽が怒気を発するので、珍しく顔を引き締め真面目な顔を作り、簡雍は静かに言った。
「曹操自身に売り込む必要はありますまい。曹操が片腕と頼りにしている大鷲がありましょう。あの男なら、こちらの実力を理解出来る技量も持ち合わせて居ります故に」

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2005年08月23日

英雄と名将の立つ風景 第四回

汜水の関は難攻不落。両軍は睨み合った儘、膠着状態に入っている。
連合軍は士気の低さと堅固な要塞の為に攻めに攻めれず、又董卓軍はその寡兵の為に連合軍を蹴散らす事が出来ない。
それで董卓軍は武将の華雄を立たせ、一騎打ちを挑んでいた。
一騎打ちは兵を温存したい連合軍側将官にも好都合だったが、華雄を斬れる者がいない。連合軍側は既に三人、華雄の為に討ち取られていた。
それで諸軍はじっと動かず、汜水の関を見つめる事しか出来なかった。
「しかし退屈だなぁ」
と、伸びながら夏侯惇が述べる。
「こう、何時までもじっと睨み合っていたのでは、その内、頭の上に小鳥が巣を作って、子を産み育てるぞ。そしたら俺は、雛の世話をして過ごさなきゃならなくなるじゃないか。厭だ、厭だ。あぁ、早く出番は無いものか」
司馬の役目である夏侯惇は、棗祗と同じく曹操の配下である。二人はあとどれ位敵との対峙が可能なのか、自軍の糧食を確認、そして計算していた。切り詰めて三月というところだろうか。
「そう睨むなよ。確かに退屈という割にはお前にばかり算数をさせてしまったが」
棗祗には睨んだつもりは無かったが、夏侯惇には計算を全て任せた引け目からそう見えたのであろう。棗祗には、それが本来の自分の仕事だという認識があるので、その様な事は全く気にならない。それに、曹操はその政治力の為に連合軍の中枢にいる訳であって、兵数に因るものでは決して無い。曹操の下には僅か五千の歩卒しかおらぬのだ。棗祗の能力からすれば、その程度の計算を煩雑だと感じる筈が無かった。
「しかし、睨み合ったまま飯を喰うだけというのは、本当にたまらんな。何とか雲梯でも用いて攻めぬ事には仕様がないぞ」
雲梯とは、古の時代、宋を攻める際に楚王が魯の公輸班に開発させた「要塞戦攻略用の梯子車」を指す。魏の禽滑釐の分類に因ると、この様な攻撃方法を「梯」という。
「しかし今攻めても巧くはいきますまい」
「そうなのだ。だからこうして見ているだけなのだ。実につまらんなぁ」
「先ずは、全軍の士気を上げる材料が必要ですね。華雄を斬る外無いでしょう」
棗祗が分析しても矢張りここは、華雄を斬る以外には無い。
「無いよなぁ。で、誰が斬る?」
夏侯惇が質問で返す。
「夏侯司馬では?」
「俺か? 俺には無理だ。三十合程度は持つかもしれんが、やはり駄目だな。悔しいが俺が斬られて終わりだよ」
夏侯惇の勇猛は良く知られた事実である。武芸に優れた陳宮が全く適わぬと、自信を喪失して劣等感に苛まされる程なのだ。棗祗に夏侯惇より強い者など想像もつかなかった。つまり棗祗は、ここで華雄の本当の強さを始めて知った事になる。「では華雄より強いとされる、呂布やその配下の八人は如何程か」と、棗祗は想像の及ばぬ事を承知で思った。
「第一俺に斬れるならば、早い段階でとっくに斬ってるよ」
と、夏侯惇は苦笑する。確かにこの男はそんな勿体ぶる様な男ではないなと、棗祗も納得をした。明日は顔良か文醜のどちらかが斬られるかも知れぬと、棗祗は思う。二人は行けば、確実に斬られるだろう。それも簡単にだ。簡単に斬られれば又士気は低下する。何か手立ては無いかと、棗祗は思う。
「何処かに斬ってくれる者は居らんかな」
「司馬が斬れぬと謂われるならば、居らぬでしょうな。最早こちらに猛者として名を知られるのは夏侯元讓しか居らぬのですから。実に困ったものです」
棗祗は落胆した様に答えた。しかし夏侯惇はこれに、溌剌とした調子で反論する。
「何を言うか。俺もおまえも、昨日までは無名だったでは無いか。お前の行政手腕は天下第一と皆が買うところではあるが、それとて埋もれていたのだ。今日無名の男が、無能故に無名とは限るまい。明日は英雄となるかも知れぬぞ!」
この様な事を言う時、棗祗は夏侯惇に「名将」としての資質を感じてしまう。猛将や智将といった言葉では包容しきれ無い、王の元で将を統べる将としての、大きな素質を感じさせられる。
「そうですな。そうでしたとも。確かに未だ無名の者が居るやも知れませんな」
「おう。公台も言っておったぞ。官に常貴無くして、民に終賎無く、能有らば則ち之を挙げ、無能則ち之を下す。人が終賎であるという事を推奨してはならん」
「しかし、今からこれを見つけるというのも難儀ですぞ」
こう聞くと、夏侯惇は
「うーむ」
と唸ってしまう。するとそこへ
「夏侯司馬に至急お伝えしたい事が」
と、伍長が走り寄って来た。夏侯惇は緩んだ顔を引き締めなおす。その両眼は鷲の様に鋭くなる。
「うむ、手短に述べよ」
「はっ。実は陣に男が侵入し、夏侯司馬と話がしたいと申して居るのです。劉備配下の軍候で、大切な話があると」
「追い返せば良いでは無いか。何故一々報告に来る!」
夏侯惇は怒号を発したが、伍長は
「それが、九尺二寸の大男で、棍を持っているのであります。本人、自分なら華雄を斬れると豪語しておりますれば、やはり先に夏侯司馬のお耳に入れておくべきかと判断致しました故に」
と、言い訳する。
「持っているという事は、構えている訳では無いのか?」
「はい。確かに一端を地に付けて持っているだけなのです。しかしその容貌は神眉鳳目。血色が良く、肌は薫棗の様な色で、見事な鬚髯の持ち主です。我等風情が迂闊に打ち込める隙はありません」
伍長は弱々しく理由を説明する。それでも夏侯惇は、
「結局のところは一人。囲んで数人で打ち掛かれば済む事であろう!」
と一喝する。
無論、夏侯惇の一連の叱責は正しい。一人の侵入者を一々夏侯惇が相手するべきでは無いのだ。本来は現場で対応して然るべきの事柄でしか無い。
しかし今は華雄対策が思い浮かばず、普段は冷静な棗祗でさえも切羽詰った状態になっていた。
それで棗祗は、
「これこそ明日の英雄やも知れませぬぞ。確か司馬は退屈されておりませんでしたか? この伍長がたった一人をこれ程に迄恐れるのです。先ずはこの男を試験する事から始めては如何でしょうか?」
と提案してしまう。
夏侯惇はしばらく考えると、
「おう、そういえばそうだったな。では今回だけは、俺が話を聞く事にしよう」
と、棗祗の顔を立てる為に言った。伍長の表情には安堵の気持ちが表れている様に、棗祗には感じられた。

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2005年08月24日

英雄と名将の立つ風景 第五回

陣内で面白い見世物が始まったらしい。夏侯惇と侵入者が武術の腕比べをしているという。
それを聞いた秦邵は事の真相を確かめ様と、門へと急いだ。垣根を作る衛兵達に、
「開けよ」
と命令し、己の為の特等席を作り出す。
そこには確かに夏侯惇と、真っ黒い衣服の大男が、棍を構えて向かい合っていた。黒服の男は地に円を描き、その中央に立っている。円の径は八尺程であろうか。どうやらそこから出ずに夏侯惇の相手をするという事らしい。夏侯惇の武術に優れた事を知る秦邵には、とんでも無い勘違いか傲慢に思えてしまう。
黒い衣服の大男は、長い鬚髯を生やし、顔は血色が良く少し赤い。その衣服から身分高くない事は容易に想像できるが、しかしその肉体はそれに反して逞しい。引き締まった長身の美しさは、夏侯惇にも匹敵する程に素晴らしかった。
夏侯惇は棍を両手で持ち、右足を前に、突きにも打撃にも、そして払いにも使える構えをみせている。それに対して男は、体の中心線に沿う様に棍をただ右手に持ち、杖の様に突いているだけであった。そのまま暫くはお互いを探る様に見詰め合っていた様である。見ている者がじっと汗ばむ様な緊張が場を既に支配していた。
仕掛けたのは無論、夏侯惇の方だった。
しかし。
四度打てば四度受け、三度突けば、三度躱わす。その回避の見事の為、夏侯惇の双眸に火が灯る。
多くの兵が見守る中、二人は静かに、目を合わせている。瞬きせず、互いに攻撃の為の呼吸を相手に読ませない。とは言え、姿勢は圧倒的に男の方が楽ではあるし、攻撃をするには夏侯惇の方が有利である。夏侯惇が攻撃する拍子を皆、固唾を呑んでじっと待った。
微風が吹いた時、不意に、夏侯惇が男に鋭き一撃を刺す。秦邵ははっとしたが、男は顔色も変えず、垂直に立てた棍を少し倒し、無造作とも思える動作でそれを己の左に払った。尚も容赦無く夏侯惇は突きを繰り出す。男はそれも澄ました顔で棍の傾きを変え、一撃目と同じ様に己の左側に払った。棍を再度外に払われた夏侯惇は、その力の儘にそれを右肩に担ぎ、そして直ぐ様腰を回して薙ぐ様に打つ。棍は大きくしなり、風を切る音が大きく響く。しかし男は素早く左側に半歩踏み出ると、棍に逆手で左手を添え、やはり垂直に立てた儘それを受けた。踏み込みが無い分、又男が打ち込まれる棍の作用点をずらした分、夏侯惇の打ち込みの威力は弱い。とは言え、男の棍がたわむ程に、その攻撃は強烈だった。夏侯惇がその受けられた衝撃から来る痺れに耐えていると、男は右手を素早く棍から離し、右足を踏み出しながら夏侯惇の胸を電光の様な速さで掴む。そして掴んだかと思うと、今出した足を引き、一気に引き倒した。
場では、見る人誰もが息を止めた。土埃が舞った。
今足元を見ると、男は矢張り、描いた円を出ていない。
男の実力は本物であった。夏侯惇が油断した訳では無い。夏侯惇の自尊心を考えれば、「円を出ず」という約束も、恐らくは二人の間で取り決められた事ではあるまい。男が実力を示すが為に、己に制限を造り、勝手に手加減をしたに過ぎぬだろう。男の実力は、夏侯惇にですら手加減せねばならぬ程のものだったのだ。その強さ、正に絶するを超えるものである。
しかし秦邵には、男の卓抜とした技術を見せられて尚、というより寧ろ逆に、男が無名である理由が解った様な気がした。男の実力が本物に過ぎ、「凄い」を過ぎるのだ。その実力故に動きが僅かで、戦場では却って目立たぬ。戦場を多く知る秦邵には、それが名を挙げる事が難しい動きであると感じられた。
男の武術は、強いが故に無駄が少なく、無駄な動作が少ないが故に地味である。これでは如何に戦場で斬ったとて目立たぬし、第一この強さが解る大将は少なかろうと思う。男の実直な性格を映したものか、派手さが全く無い。
とは言え、この男なら華雄を斬れると、これを目撃した者全てが感じた筈だった。無論、秦邵とて同様である。
「如何?」
と男が問うた。
夏侯惇は受身の為に大きな衝撃を受けてはいない。埃を払いながら
「参ったな」
と笑い、立ち上がると、
「名は?」
と、問いを返す。男は、
「平原令劉玄徳の配下、解県の関羽。字は雲長」
と応えた。
「馬は?」
と再度問うと、男は自信ある表情で力強く頷いた。


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2005年08月25日

英雄と名将の立つ風景 第六回

斬れる者が居らぬのだから、華雄を討つ事に拘るべきでは無い。
華雄は昔の戦いで気管をやられているらしく、いつも苦しそうに咳をしている様な男である。しかしそれでも武勇に優れ、今の連合軍では誰も相手をする事が出来ない。「見えざる手」と渾名される程にその動きは奇抜であり、変則的であり、そして素早い。故に、華雄を斬る事に、固執すべきでは無いのだ。
弟を斬られて以来、そう司隷校尉鮑宣八世の孫、鮑信は考えていた。弟の鮑忠に勝る者は、夏侯惇以外に思い浮かばないし、その夏侯惇でも良くて五分というところだろうと思う。陶謙配下の歩隊将曹豹も強いが、夏侯惇には劣る。又、顔良、文醜と世間では騒ぐが、これはとんでもない話である。この虚名だけの二人を態々と斬らせて、徒に敵の士気を上げるのも莫迦な話だ。
さて、今日も汜水関の前では華雄が勝負を求めて声を張り上げている。鮑信達は相も変わらず軍議を開き、対応を協議していた。
鮑信としては実に莫迦莫迦しいと思う。何故、斬れもせぬ華雄を斬る事を話し合うのか。斬れるのならば斬るのが一番良いが、斬れぬのだから他の方策を協議すべきでは無いかとそう思う。諸将の言いは現実的では無いとこう思う。
しかし、鮑信がその戦略眼を頼みにする曹操までが、何故か華雄を斬るべきだと頑強にそう主張するので、鮑信は何も言わずただただ目を閉じて、群議を聞くのみであった。
誰を出すべきかで長い事話をしているが、魔人の如き華雄の強さが解った今、諸将皆、部下を向かわせたくは無い。その為醜い擦り合いが続く。鮑信は苛々と募る怒りをそのままじっと耐え、静かにそれを聞き続けた。
その見苦しい擦り合いを見かねて、部下である王朗が、
「この度はそれがしが行きましょうか」
と鮑信にこっそりと言う。しかし鮑信としては冗談ではないという気持ちだ。
王朗は突撃戦術に優れた指揮官である。この様な所で殺すのはあまりにも惜しい。第一、鮑信は既に弟の鮑忠を失っているのである。何故、今又己が部下を差し出さねばならぬのか、という気持ちがやはりある。
それで、
「気持ちは嬉しいが、お前が臨んでも勝てる相手では無い。お前を活用する場所は別にある。今お前をここで失うのは余りに惜しい」
と諭し、
「今は黙って控えて居れ」
と謂った。
それを隣に座っていた曹操も聞いていたらしく、
「王朗。今日はちゃんと用意してある。安心して下がっていて良い」
と笑う。鮑信が訝しげに見ると、その司馬の夏侯惇が、
「心配ご無用」
と、真面目な表情で頷いた。
とは言え、場は全く収拾がつきそうにない。
「どうする、孟徳」
それで、鮑信は曹操を見る。すると曹操は、
「そろそろかな」
と言って口髭を撫でた。
その時。
その時、場の末席から大きな笑い声が聞こえた。
「貴様、何が可笑しい!」
袁紹の叱責が、末席の男に飛ぶ。その男は劉備という男の後ろに控えていた。
真っ黒い戎衣に身を包んだ髯の美しい大男である。筋骨逞しく、一見して腕に覚えのある者と解る。
「華雄の如きを斬れぬと右往左往。これを嗤わずして何を嗤いまする。それがしが参れば華雄の素っ首など、直ぐにでも落として来てご覧にいれますものを」
男は自信に満ちた顔でそう答えた。慌てる劉備の後に同じく控える二人の男も、同様に自信に満ちた顔をし、劉備を宥めている。
「控えよ下郎!」
「我等が華雄に遅れを取ると申すか!」
顔良と文醜の二人が怒号を上げるが、しかしこれには曹操が応えた。
「貴様ら二人では役不足であるから、誰も貴様らに行ってくれなどとは言わなかっただろうに」
「孟徳、貴様口が過ぎるぞ!」
と袁紹が立ち上がる。
「過ぎたらどうなると言うんだ。貴殿にはどうせ何も出来まいて」
曹操はしかし悠然と挑発を続ける。それで袁紹は、
「顔良、文醜。奮武将軍を取り押さえよ!」
と興奮して叫んだ。曹操の言葉は、袁紹を本気で怒らせてしまっている。鮑信は心配に曹操を見上げるが、しかし曹操は
「大丈夫だ」
と小声で述べた。
曹操を捕らえようと、二人の大男が向かってくる。この二人の前に、夏侯惇が素早く、しかし悠然と立ち塞がった。
夏侯惇は殴りかかってくる文醜の右手を内から左手で掴み、外側上方に捻じり上げると腰を少し落とし、短く振った右拳を文醜の左脇腹に叩き込んだ。振りは短くても夏侯惇は剛腕である。文醜は、鉤状に折れ曲がりながら僅かに宙に浮き、その儘額から地に崩れる。
夏侯惇はそれが地に完全に崩れる前に一歩進み、驚く顔良の双肩に左右の手を置く。そして後に倒れぬ様に確りと掴んで、引き倒しながら顔面に鋭く頭突きを放った。
軍議を開く天幕は広いと雖も、暴れるには多少狭い。そこには中央に僅かな空間があるに過ぎないのだ。しかし夏侯惇はそれを考慮して、しかも簡単に二将を沈黙させてしまった。並大抵の力量では無い。今、一方はうずくまった儘嘔吐を続けているし、一方は半ば失神した儘鼻血を垂れ流している。鮑信は改めて夏侯惇の強さを認識する事になった。そしてこの時になってやっと気づいた事であるが、曹操の部下達は皆、夏侯惇を信じて冷静な眼で座っていた。曹操の配下それぞれにある信頼関係の、強い事に気付き、改めて曹操を尊敬し直した。
二人の失態を見て、袁紹がわなわなと震える。場は水を打った様に静かになった。誰も曹操を咎める者は無い。
「もう宜しいかな?」
と曹操が嘲笑う様に言った。袁紹は悔しそうに押し黙り着席する。
「話を元に戻すが、誰が往くか決まらぬところにこの男は名乗りを上げたのだ」
と、末席の男を見る。そして一度全体を見渡して話を続けた。
「往かせてみれば良いではないか。此奴一人斬られたところでこちらは痛くも痒くも無い。本当にこの男が大言通りの仕事をしたならば、それはそれで好都合というものだ」
一同は静まり返った。
「良し、決まりだな」
と曹操が言う。そして
「お主、名は?」
と、男に曹操が名を問うた。
「劉玄徳の一軍候、解県の関羽」
男が名乗り、立ち上がる。
「先ずは一杯呑んで往かれよ」
と、曹操が燗を飲ませようと勧めると、男は
「それは、華雄を斬った後の祝杯と致したい」
と言う。そしてその儘偃月刀を掴んで外に出た。

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2005年08月26日

英雄と名将の立つ風景 第七回

冥府の王だ。
眺め見る劉艾はそう感じた。
奴は冥府の王に違いない。
一騎打ちを求むと叫ぶ華雄の前に、一人の大男が現れた。男は冥界の空気を纏うかの様な漆黒の戎衣に、血塗ぬられた様な真っ赤な顔。鬚は人にあらざる事を象徴する様に妖しく、仰々しい迄に長い。その禍々しさを、劉艾は思う。
それは正に、冥界を統べる王者の人相だった。永劫の闇より這い出してきた冥王の姿だった。
男は華雄の前に立つと、長大な偃月刀を振るう。
死の舞踏。
それは一瞬の風だった。
王は偃月刀で地に落ちたものを掬い上げ、身を翻す。
劉艾達は見送るより外無かった。


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2005年08月27日

英雄と名将の立つ風景 第八回

「敵は絶大な信頼のある華雄が斬られ、意気消沈する筈だ。ここを好機と捉え、今総攻撃に出るべきであろう!」
と曹操は主張するが、袁紹は曹操を、そして関羽を信用してはいない。曹操に
「あの汚ならしい弓手が華雄の首を取れると、本気でそう思っているのか! 弓手如きに斬れるものなら、苦労はせん」
と言い睨む。それで曹操は、
「あの男に華雄が斬れる事は保障しよう。若し斬れねば、俺が貴殿の家来となっても構わん」
と哂い挑発する。広陵太守張超は、そんな約束をして良いものかと、曹操を心配に思った。
「孟徳。貴様、その言葉忘れるなよ!」
と袁紹が激高すれば曹操は、
「忘れぬよ」
と不敵に嗤う。夏侯惇が
「加えて、我等一同、皆従い、袁将軍にお仕え致しましょう」
と言うと、曹操の後ろに控える者皆が一様に頷いた。この曹操の自信は何なのかと、張超は益々心配に感じた。それは隣に座る鮑信も同様らしく、
「総攻撃には賛同するが無謀だ。華雄を斬れる筈が無い」
と、心配そうな目をして小声で張超に言う。しかし鮑信の意見に賛同すれば、曹操が賭けに負ける様な気がして、張超は
「未だ判らんさ」
と言った。無論、部下に聞かれれば士気に関わるという事も配慮した上での発言である。
それに、そこまで言わねば袁紹は矢張り動くまいとも考えるし、仕方の無い事かとも感じている。
「良かろう。孟徳、貴様がそこまで言うのなら、総攻撃をしてやろう。各々方、異存は無いな」
と、袁紹は場を見渡す。袁術は既に発言力を失っているし、場に袁紹の考えに反対出来る者など一人も無い。
場に発言の無い事を形式的に確かめた後に袁紹は、
「なら、あの弓手が万が一にでも首を下げて還って来た時は、総攻撃を致すとしよう。但し負けていれば奮武将軍、貴様は一生俺の子分だ」
と、意地悪く曹操を見る。曹操は気にもせずに腰を下ろした。袁紹は陳琳の書いた文章を確認し、
「では総攻撃の計画の前に、あの弓手の戦いぶりを見に行こうではないか」
と提案する。すると、
「弓手とはそれがしの事かな」
と声がした。
張超が天幕の出入り口に目を向けると、そこに立っていたのは先程出て行ったばかりの関羽である。一同は唖然とし、袁紹はそれに気付いて大笑いをした。これに一番慌てたのは曹操だったであろう。夏侯惇も驚愕して、思わず立ち上がっていた。
「おい、弓手。恐れを為して逃げ帰ってきたか。大言を吐きながら、華雄は斬れなんだか」
と、莫迦にした調子で袁紹が嗤う。すると関羽は
「逃げてはおらぬさ」
と短く言い、
「ご所望のものはこれであろう」
と、手に持った毛だらけの球体を袁紹に向けて投げた。
それは孤を描いて袁紹の胸に向かってゆっくりと飛ぶ。液体を散らせながら飛ぶそれは、袁紹の両腕の中にすっぽりと入った。袁紹はその球体を訝しげに見る。と、
「ぎゃぁぁぁー」
と情けない悲鳴を上げ、それを払い前に落とした。
ごろりと転がったその黒い球体を良く見れば、人の首だ。確かに華雄の首級だった。
華雄の首は切り口を下にし、瞼を半開きにして床に立つ。その切り口が鮮やかである事を表す様に、その首は一度立った後、一切揺らがなかった。
「その様に落とされては人相が変わる。華雄のものと、早速検分して戴きたい」
と、憮然とした表情で関羽は言う。
検分するまでも無かった。
曹操の絶大な自信の根拠が今、やっとはっきりと張超にも理解できた。関羽という男は、桁違いに強い男だったのだ! 華雄の首をじっと見つめ、
「長く見積もっても、十合打ち合って居るまい。往復の時を加味すれば速過ぎる」
と、鮑信が息荒く言った。張超も頷く。恐らくは一合も刃を交えては居らぬのでは無いかとさえ思う。
諸将が余りの早業に驚き口を開けている中、関羽は悠々と進み、曹操の前に立つ。
そして、
「宜しければ、約束の祝杯を所望したい」
と静かに言った。声を無くしていた曹操もやっと気付き、
「お、於乎。祝杯であったな」
と、震える声で言う。曹操も余りにも早い決着は予想外だったと見えて、関羽のその強さを巧く把握できていない様であった。
鮑信が興奮を隠さずに張超に言う。
「我等は今、計らずも英雄の誕生に立ち会っているのかも知れんぞ」
それで張超は鮑信に答えた。
「これからは恐らく良い時代にはなるまい。しかしだからこそ、実力ある者が用いられる機会も増えよう。あの関雲長という男の存在は未だ、その時代を象徴しているに過ぎないよ」
張超が思うに、家柄のみを誇りにする人々は今後、必ずや淘汰される。これからは戦争の上手下手がものを言う、実力主義の世界がきっと開かれる筈だと思う。今まで低い身分の為に鬱々としていた人々も、その力を発揮できる時代が来るだろう。
「だから、良い時代にしようという一層の努力が必要なのだな。そして。では、強い郡を作る為にすべき事は、先ず何であろうかと、そう俺は時々考えるんだ」
張超は爽やかにそう謂った。関羽と言う男の、尋常では無い強さに因る勝利が、今迄伏せっていた張超の気持ちに、新鮮な風を通したかの様であった。自然と、これから来る戦乱の時代への不安を、何故か希望の夜明けの様に思ってしまっている。
「それは、貧富に拘らず賢者を迎え、貴賎に囚われず勇者を招く事だな?」
「うむ。今後はそういう時代だろうな」
「あそこで盟主面している男の立場も、二十年後は判らんぞ」
張超は「我々もな」という言葉を呑み、鮑信の言葉に微笑む。
総攻撃後の物資の不足を考え、張超は広陵に残してきた袁綏へ出す書簡の用意をさせた。



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投稿者 strap : 00:21

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