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2009年12月16日
『李陵』のテーマと『三国志演義』のテーマ
二週に渡って国営放送のドラマ「坂の上の雲」について(それぞれ別のカテゴリーで)感想を書きましたが、第三回「国家鳴動」に関しては、日誌にちょろりと書くだけに留めます(もっと書くなら、西田敏行が50円札の役で出ていますね。名前だけは何度も1万円札が出てきます。現行のものをみてもそうですが、モチーフに明治期の人物は多いです)。今後書くかどうかは決めていません。
気が向いたら書くかも知れません。
とはいえ、なるべくブログの趣旨に反しない様に書いてみます。
****以下本題*******
中島敦の『李陵』を読んで僕が感じるのは、結局は『山月記』と同じテーマを書きたかったのではないかという事です。
無論、『李陵』には『李陵』独自の、『山月記』には『山月記』独自のテーマがあるのですが、しかし中島敦が最も強く、何時も思っていた事は、「自惚れの為に破滅する人」では無いかと思います。『李陵』の李陵も、『山月記』の李徴も、自分の実力以上の事に挑戦して失敗をしていますし、先ず間違いはないでしょう。これは中島敦にとって、重要な問題だったのだと、そう僕は確信をしています(中島敦自身の、原稿の預け方などに、それを思わせるところがあります)。
恐らく中島敦は、己の文才に非常な自信があったのだと思います。しかし彼のその自信は又、「臆病な自尊心」でもあったのでしょう。『狼疾記』には
彼の「臆病な自尊心」もまた、この途を選ばせたものの一つに違いない。人中に出ることをひどく恥ずかしがるくせに、自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖が、才能の不足を他人の前にも自らの前にも曝し出すかも知れない第一の生き方を自然に拒んだのでもあろう
という一文がありますが、中島敦自身、そういう「臆病な自尊心」を持ち合わせていたのだと思います。そして「臆病」である故に、自分の文才に自信を持ちながら又一方では「才能の不足」が露呈する事を恐れていたのだと思います。
と、こうは書きましたが一方、『李陵』前半部には「才気溢れる人が、充分な活躍の場を与えられぬ苦悩」というテーマが混在しているのではないかと思います(史実の李陵がどうであったか、という話ではなく、その史実がどう解釈されたか、という話です)。事実中島敦は李陵を、優れた指揮官として描いています。
二律背反している様に感じるかも知れませんが然うではありません。僕はこの作品を、「才気溢れる自惚れた人が、充分な活躍の場を与えられぬ為、無理な仕事に挑んで破滅する」物語だと思うからです。結局「臆病な自尊心」というのは、「自らを高しとする点では決して人後に落ちない性癖」を含んでいる訳で、「挑戦すれば成功するだろう」という自信と、「挑戦して失敗をすれば、破滅するだろう」という恐れの自家撞着なのだと思います。
そしてこれは又、中島敦自身の心にあった、葛藤でもあるのではないでしょうか?
自分の文才に自信があるも、それを否定されるのは恐ろしい。しかし、それを世に問いたいという欲求も強く持っている、という様な……。
そうして見ると『弟子』なども、「師である孔子が認められない事に歯噛みする、子路の物語」と読めない事もありません。
一方『三国志演義』ですが、こちらは長大な物語であり、長大であるが故に(無論別の理由もありますが)多くのテーマを含んでいます。しかしこの物語でも、諸葛亮登場部分迄の主要テーマは『李陵』と同じく、「才気溢れる人が、充分な活躍の場を与えられぬ世の厳しさ」では無いかと思います。
無位無官の劉備とそれに従う関羽や張飛は、官職に無いが為に小物と嘲られ、活躍をしても全く認められる事は有りません。彼等の事を唯一認めるのが、後に最大の敵となる曹操なのですが、この曹操にしてからが、あまり大人物という扱いを受けていません。名家に生まれた人が、その生まれのみで尊いとされ、その尊い人物に使える人が、関羽や張飛に劣るというのに、豪傑の扱いを受けています。
優れた人が全く評価されぬ事に義憤し、そしてそんな彼らが活躍する様を、人々は愛し、楽しんだのではないでしょうか。
現代日本ではピンと来る人が少ないかも知れませんが、職業選択の自由が無かった時代の庶民は、生まれのみを理由に驕る人を、真に優れたヒーローが打倒する話を好んだのではないでしょうか。
僕には、そう思えます。
****本題以上*******
偖、町は待誕節に入ってからというもの、イルミネーションでギラギラしています。日本人独特の宗教観で、切支丹の祭がそれほど宗教臭くありません(中島敦の『弟子』に出てくる儒家も、宗教団体というよりは、まるで思想集団の様です)。
教会には、「ナザレで建築業を営むヨセフさんの坊やが、厩で生まれた場面」を再現する模型があったのですが……思わず言って了いました。
「イスラエルでこんなに雪が降るものか!!!!!!」
そこにはキリスト者の人達が沢山いたのですが、僕は何故か凄く睨まれて了いました(調べてみると、稀に降る年がある様です)。
記述者 strap : 2009年12月16日 04:26
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いわずと知れた、三国志漫画の最高峰です。香港人の陳某氏が香港・台湾の雑誌で連載をしており、世界的な人気が有ります(これはその日本語翻訳版です)。
主人公は司馬懿と燎原火(趙雲)で、三国志物語を大胆なアレンジで描いているところが人気の少年漫画です。史実とは年齢が合わない等、大幅に改変された設定や追加されたキャラクターも沢山いますが、それが気にならない(というよりも、寧ろそこが良い)程面白い漫画だと思います。
三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
ちくまの全訳三国志の文庫版を、セットで売っています。「三国志」は、西晋の陳寿が記した歴史書で、三世紀(つまり三国志の時代に近い年代)に書かれた、正史のうちの一つです(正史は「二十四史」と言う様に、複数存在します。「後漢書」や「晋書」も正史の内の一つです)。この訳本では、裴松之という人によって付けられた注釈も、同時に収められています。
尚「正史」とは、「正しい歴史」という意味ではなく、「ある国家によって認められた歴史書」の事で、三国志は正史の中でも特に評価は高い部類に含まれます。紀伝体という記述方法で書かれており、三国志は本紀(皇帝の伝記と、その治世の記録の事)と列伝のみで書かれています。
主役とも言える曹操の事は、主に魏書の「武帝紀第一」という部分に書かれています。曹操の息子の曹丕が「文帝紀第二」、孫の曹叡が「明帝紀第三」、そしてそれに続く「三少帝紀第四」の四つの部分が、「本紀」の部分です。
三国志演義の主役である劉備は、蜀書の「先主伝第二」、諸葛亮は「諸葛亮伝第五」、関羽や張飛は「関張馬黄趙伝第六」という列伝部分に納められています。
「魏志倭人伝」と俗にいう文章は、魏書(魏志)の「烏丸鮮卑東夷伝第三十」という場所に収められています。
三国志演義は三国志演義で面白いのですが、そのモチーフとなった史実を知る為には、先ず三国志を読むのが良いと思います。
読み易い文庫版で、入門用に最適ですよ。