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2008年05月11日
こんな設定で良いのかねえ
僕の三国志小説から、「神仙」や「仙術」、「験力」、「悉地」のオリジナルな使用です。語りは廖淳(後の廖化)。
それぞれの用語ですが、本来の意味とは全く異なるので、信じてしまうと大恥かきますw
神仙の持つ法術の力の源を、専門用語で験力と言う。例えば俺は、『調和』の験力を用いて作られた改造人間で、祝融は恐らく『熱』と『仙骨』の験力で創られた兵器であろうし、閃止偃月刀は『安定』の験力で作られているだろう。験力には『交換』だとか『法』だとかと幾門か種類が有り、特殊な場合を除いてこの験力を保有している者を神仙と呼称する。多くの験力を所有している神仙程力が強く、又同じ験力を重ねて持っている者程、その験力に成熟している事になる。通常の神仙はこの験力を一顆から三顆程所持して居り、五顆も験力を持つのは可也高位の神仙という事になる。但し、素性によっては例外的に神仙では無く、別の名称を与える場合もある。
一方、験力に因って生み出される法術の作用の内、恒久的に作用を及ぼす仕組みの事を、悉地と呼び、それぞれの験力に沿った現象を起こす。神仙の力というのは多くの場合、物品に固定化された悉地の事を指し、この道具を使う能力や、それを造り出す力が殆どである。予め準備をしない簡易法術等は、神仙達も滅多に使用しない。無論、俺達改造人間の特殊能力も、験力によって生み出された悉地の内の一つであり、その験力の持ち主が開発に関わっていたという事になる。つまり、俺は『調和』の験力を用いて作られた改造人間である訳であるから、熒惑星には『調和』の験力を持った奴が最低一人はいるという事になるだろう。
験力という語の意味を知れば、「多大な験力」という言葉がとんでもない事態を指している事が解る。
験力の内でも『仙骨』だけは特殊で、これは全ての験力の代用を出来る万能験力だ。そして仙術とは、この万能の験力である『仙骨』を用いた法術の総称である。詰まり敵に『仙骨』の験力を持つ者が一人はいるという事だろう。
仙術は万能である代わりに、他の法術に較べ力が極端に弱いと云う。例えば、『移動』の験力を一顆持つ者は日に七万里を優に進む事が出来るが、これを『仙骨』一顆で代用すれば、一万四千里が精一杯という事らしい。詰まり仙術は、本来他の験力の代用品でしか無いのである。尤も、験力は種類が多く、万能であるという事は矢張り有る意味強い。その為この験力は神仙の間でも特別視されて居り、『仙骨』の験力を持った神仙を特別に仙家と云い区別する。逆に『仙骨』を持たない者を神君と云い、神君と仙家を総称して神仙と云う訳である。
無論仙術を使える仙家自体は特別だが、仙術に仍る悉地が他の悉地に性能で劣る事は疑い様も無い事実だ。
「却説、二門以上の験力を持った神仙を至人と云い、単門の神仙とは差別化されているのですが、菩薬祈韋博士は至人では無く、単門神仙です。それで菩薬祈韋博士は神仙の社会では低級の神仙なのですね」
「しかし、博士は『仙骨』を唯一重ねて持つ神仙というだけでは無く、三顆も重複させて持っていた『仙骨』の大家だったのです」
「例えば、『移動』の験力を一顆持つ者は日に七万里を優に進む事が出来ますが、これを『仙骨』一顆で代用すれば、一万四千里が精一杯。しかし『仙骨』三顆なら、十万里から十一万里……」
「『移動』の験力を二顆なら六百二十四億五千六百七十六万二千里……」
投稿者 strap : 2008年05月11日 16:14
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