« ナポレオン | メイン | こんな設定で良いのかねえ »

カテゴリーへ
三国志小説作品目録
三国志小説論:エントリー一覧
ブログランキング・にほんブログ村へ

2008年04月11日

「D&D」の影響

ゲームデザイナーである井上純弌氏が自身のブログであるBLOG希有馬屋で述べられている様に、現在の(一部の)娯楽小説はゲームデザイナーであるゲイリー・ガイギャックス氏が生み出したゲーム「D&D」、及びそれを始祖とするRPGというゲームジャンルの影響を、多分に受けている。
井上氏は今から僕が述べる事よりも「広い意味」で述べられている訳であるが、僕はここで登場人物の作法についてのみに限って(しかも否定的に)発言をしよう。

僕は度々「荒野の七人」という映画を「史上最高のアクション映画」と言うが、この映画の優れた部分の一つにスキルで登場人物を表現していないという事があげられると思う。主人公が七人もいるというのに、何か特殊な事が出来るとか、何かが得意だとかといった事で個性が表現されていないのだ。
確かにブーツホルツは「未熟」というスキル不足があるが、これは彼の「(いい意味での)怖さを知らない事」、「無謀な事」、「夢を持っている事」、「情熱や正義感がある事」という個性の為に必要な属性で、彼は六人の若い頃の姿と同じなのであるから、「未熟な人」なのでは無く、「若い頃を思い出させる人」なのである。
又、コバーンの役はナイフ投げを得意とするが、これはオマケみたいなものだろう。
つまり七人もいる主人公達は、持ってる武器や、得意技などで個性を与えられている訳ではなく、その性格によって、明確に分けられている訳である。
もし凡庸な人が七人のガンマンを書いたらどうなるであろうか? 「二挺拳銃使い」、「徂撃の名手」、「馬上撃ちの達人」、「早撃ち名人」などといった人々になっていたのではないだろうか?

僕は「特技」や「武器」で登場人物にお手軽に個性を与える手法を、「サイボーグ009形式」と独自に命名している(もっとも「サイボーグ009」自体はお手軽では無いが、こう言った方がわかりやすいので)。

却説、現在の一部の娯楽小説には、この「サイボーグ009形式」で登場人物の個性を作ったものは数多く存在する様だ。それらは役割分担と呼ばれ、「剣に秀でた者」、「魔術が使える者」といった「スキル」で個性を表すやり方である。
無論こういうやり方は、過去の作品にも多く有ったのだが、僕は本邦の今のそれは、RPGというゲームジャンルの影響だと考えている訳だ。

RPGというゲームでは、戦闘で活躍する場を奪い合わないように、なるべく異なった特技を持つ登場人物を想像する。「D&D」でいえば、「戦士」、「魔法使い」、「僧侶」、「盗賊」、「エルフ」、「ドワーフ」、「ハーフリング」の七つにキャラクターが分類され、「戦士」以外は通常そのゲームで2人以上いる事は無い。これはゲームであるという特性上、ある程度仕方の無い事であった。
ところがこのシステムをそのまま小説に持ち込んだ人達がいるんですね。代表的な作品はドラゴンランスシリーズであろうか。
そして本邦でも多くの劣化した類似作品が作られ、今に至る訳である。それらの作品は明確に、「D&D」以降のゲームの影響下にあると言ってよい。
これらは「指揮」、「支援火器」、「通信」、「衛生」の様な分隊での役割分担に似てはいるが、実はそうではなく、ただ手本(ドラゴンランスシリーズや、RPG)の前例に倣っているだけの、構成でしかない。前例を模倣しただけのそれは、「役割分担」よりも「諸兵科混合」に近い様な気がする。

これらの作品は、安易にそれらの手法(サイボーグ009形式)を取り入れた作品であるが為に、うすっぺらいのである。登場人物はどれも類型的で、特徴が無く、どこかで見た事のある人物ばかりになってしまった訳だ。
スキルによって登場人物を区別するというやり方は、安易であるが故に、人の個性を失わせてしまう。

投稿者 strap : 2008年04月11日 00:47

コメント

ホームページ制作・ビジネスブログ(商用ブログ)構築|福岡・大牟田