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2008年02月22日

牛人 (と「弟子」)

牛人というのは、昭和十七年七月に政界往来にて発表された、中島敦の短編小説で、彼には珍しいホラー小説である。無論、ホラー小説と位置付けているのは僕だけかも知れないし、事実(小説としてでは無く)ホラー小説として評価するならば、未熟な作品ではある。
しかしこれはやはり、豎牛という怪人の恐ろしさをその父である叔孫豹が体験する一種の復讐劇であると理解するべきであると思うし、恐怖体験が書かれた小説であると考えるべきであろう。


この作品は、春秋左氏伝の昭公四年(紀元前538年)の記事(「十二月癸丑、叔孫不食、乙卯、卒」のあたり)をもとに書かれているが、最近これに気付き、あっ! と気付いてしまった。

というのもこれは、中島敦の代表作である「弟子」と同時代・同地域を扱った小説であるからだ。

叔孫豹の子である仲壬が斉に亡命のは、昭公に与えられた玉環を身に付けたからであるが、「弟子」でもこの昭公については少し触れられる。「弟子」では昭公が亡命先で死亡した事が書かれ、孔丘が昭公の次の王である定公に仕官する事が書かれているのだ。

「牛人」で書かれた物語はこう考えてみると、中島敦の得意とする儒教の記述から取材された事がわかる。春秋左氏伝が元ネタで、しかも(故に)「弟子」に極めて近い時代であった事に驚きを覚えた。

却説、今久しぶりに「弟子」を読んでいるのだが、どうやら中島敦には、儒教が宗教であるという認識が欠けていたか、(当時の日本では思想と考えられていたので)それを匂わせなかった。
この物語がもし宗教人の物語として描かれていたなら、印象は随分と違ったものになったと思う。

尚、「弟子」を何と読むか、という問題であるが、

子路が他の所ではあくまで人の下風に立つを潔しとしない独立不羈の男であり、一諾千金の快男児であるだけに、碌々たる凡弟子然(ぼんていしぜん)として孔子の前に侍っている姿は人々に確かに奇異な感じを与えた

と、作中にルビがあるので、「デシ」ではなく、「テイシ」と発音すべきだと僕は考えている。

投稿者 strap : 2008年02月22日 22:20

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