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2007年12月31日

僕が便利な言葉を使わない理由

そろそろ帰省ラッシュも落ち着いて来た頃だろう。

今日大きな荷物を持つ人々を見て、感じた事であるが、
「故郷に帰る」
と、
「実家に帰る」
は、同義である場合が少なくない事は、容易に予想できる。だがしかし、そう発した言葉を聞いた側には、大きなイメージの違いが生じる事になる。
これは、三軒先にあっても「実家に帰る」は使えるが、その場合「故郷に帰る」が使えないからであろう。又指し示す空間が広い為、「故郷に帰る」には何か特別な感情が篭もっている様でもある。そういう理由で、発した人の気持ちとは別に、受け取った方は「実家に帰る」の方を軽々しく受け取る傾向にある様に思う。
勿論「実家」と言うのを「生まれ育った家」と言う意味では無く、「両親(若しくは親、又は財産の主な相続者)が住んでいる家」と間違った意味で使う人も多い昨今であるから、その人の中での「実家」がその人の「故郷」に無い事もあるという事実が、僕の(又は多くの人の)感じるニュアンスに微妙に作用しているのかも知れない。

同じ事を指し示している筈が、そのニュアンスにおいて全く違う印象を(少なくとも僕に、恐らくは多くの人に)与える事は多々ある様に思う。

唐突ではあるが、日本語には「人間界」という言葉がある。大辞林には、「天上界などに対して、人間の住むこの世界。人界。」という意味の言葉であると書かれている。他の辞書を用いても同じ様な意味が書かれている事だろう。
これはある種の小説にとっては大変に便利な言葉で、この語一つを使う事に因って「人間界」以外の世界がある事を簡単に暗示する事が出来るし、又現世を現世側以外から指す時(天界側から下界を指す場合など)に重宝する。人間が使う言葉は当然の事ながら、人間が生きている空間で使用される事を前提にしているので、「現世」だとか「此岸」だとか、人間の生活空間の事は「こちら側」という呼称で本来済んでしまうのである。であるから、「こちら側」を「こちら側」以外から指し示す言葉の発明は、(ある種の)小説にとっては素晴らしい発明であるとも言える訳である。
この語を用いる事によって、その場でくどくどしく世界観を説明する手間が大きく省ける(後回しに出来る)というのが、大きな利点ではあるまいか。

さて、三国志小説であるが、この中にも多く「異界」にも属す人物が登場する。
少し例を挙げると、烏角、于吉、南華老仙(荘子)、夢梅居士、抱朴子等が主だったところであろう。

僕も作中、烏角を重要な役どころで用いているのであるが、ここで「人間界」に相当する言葉を言わせる必要があった。そこで神仙の世界が存在する事を説明するつもりも無かったし、僕にとってもこの言葉は非常に魅力的であった。是非に使いたいと思った訳である。
しかし僕は、「人間界」と書こうとした時酷い違和感があったので、結局別の語を用いる事とした。

「人間界」は本来仏教に由来する言葉で、仏教の世界観を背負った言葉であった筈だが、現在は便利な言葉であるが故に、気軽に用いられ過ぎているというのが現状である。作品の創り込みが甘い国内の商業小説 -トールキンの世界観(中つ国)を劣化した様な粗悪な模倣小説- で多用される事が決定的で、僕には安易な、重厚さを伴なわない用語に感じられて仕方なかったのだ。又こう書けば、後々「人間界」以外の世界の事をきちんと書かねば成らないようなきがしたので止めた。ドラマは飽くまでも人の世で動いている訳であって、人の世以外の事を説明するつもりは毛頭無かったのだ(ビックバンについては書いたけど)。

結局僕は「人間界」に変わる言葉として、「人間(じんかんorにんげん)」(若しくは「人の世」)の語を用いた(尤も、現在用いられている「人間界」はヒューマニズム的観点から現世を捉えた言葉 -「人間を中心としたこの世界」という程度の意味- であるのに対し、「人間」は人間社会の事を指す言葉なので、全く同じ意味だとは考えてはいないが、ほぼ同じものを指すものと考えている。結局人間社会が成立しない場所は、異界であるという考え方があるからだ)。

「人間」と「人間界」の二つは、僕の中でもほぼ同じものを指す言葉であるが、僕の中では全く印象が異なる。一方は神仙の言葉として相応しい重みを持ち、一方は世界観自体を軽々しくしてしまう様な、作品の根幹を腐らせる様な、作品にそぐわない言葉である。少なくない人々の中でもそうなのではないだろうか? どちらも日常で使う言葉では無いが、「人間」の方に普段使わない読み方が使われているという事が、僕には神仙の語として相応しく感じられたのかも知れない。
(先に述べた様に、本来「人間界」という言葉自体は軽い言葉では無いし、インスタントな使い方さえしなければ、そういうイメージを伴なわぬ事は充分承知してはいる)

こういった理由で「人間界」の語を避けたのである。
本来「自然界」という言葉は「人間界」と対に成る言葉であるが、これを代用品にしても良い気はする。

 

ここからは完全な余談であるが(今までも余談みたいなものでしたが)、三国志小説で使いにくい言葉に又「武将」という言葉がある。
勿論「武将」という言葉自体はおかしくないのであるが、世の中には(史実を題材にしたゲームの影響らしいが)「歴史上の人物(もしくは、歴史物の登場人物)」という意味で用いる人が思ったより多い為、「武将」を指す言葉は、「武将」以外の言葉を捜して当てる方がよりニュアンスが伝わり易いと思う。世間では「武将」という言葉の指す範囲が広くなっている為、「武将」と書いた時「武将」をイメージできない人が多くいる現実がこの語を使いづらくさせている様に思う。


(追記)
こう書いていると、「支那」という言葉を差別語にしようと躍起になってる人々の気持ちが何と無く理解できた気がした。無論「支那」というのは場所を指す語であって、本来そこに住まう人々への侮蔑の意味を含んではおらぬし、逆に尊敬の念をこめて書かれていた時代もある言葉である。

記述者 strap : 2007年12月31日 20:28

コメント

「武将」って言葉の氾濫には、わしも少々頭を痛めることがありますよ。
戦国系のコミュニティで「好きな戦国武将は?」という人気投票があって、「武将じゃなきゃあかんのかい!」と思ったりもしました。
戦国史博物館にも「知られていない武将を教えてたもれ」というスレがあったと思いますが、なぜに武将に拘るのかといつも疑問に思います。

と言うか本来の意味での「武将」以外の例えば文化人等に世間はあまり興味がないらしいのも事実なんですけどね。

記述者 しす : 2008年01月11日 17:22

「武将」と書かれた時困るのは、「(本来の意味での)武将」という意味で話すべきなのか、「歴史上の人物」という意味でとるべきか、という事ですよね(汗)
と、ここでは「(本来の意味での)武将」と書きましたが、本来「武将」という単語自体が、定義の曖昧な言葉である様に感じます。
無理に定義するなら、「近代化していない武装組織の、士官に相当する指揮を担う者」という感じでしょうか。
では、「近代化」とは何で、「士官に相当する」とは何なのか?
定義しようとすれば、又その定義する言葉の定義で又揉めそうですし、武将という単語は極力避けるのが望ましいのかも知れません。

記述者 ストラップ : 2008年01月13日 00:14

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三国志」は、西晋の陳寿が記した歴史書で、三世紀(つまり三国志の時代に近い年代)に書かれた、正史のうちの一つです(正史は「二十四史」と言う様に、複数存在します。「後漢書」や「晋書」も正史の内の一つです)。この訳本では、裴松之という人によって付けられた注釈も、同時に収められています。
尚「正史」とは、「正しい歴史」という意味ではなく、「ある国家によって認められた歴史書」の事で、三国志は正史の中でも特に評価は高い部類に含まれます。紀伝体という記述方法で書かれており、三国志は本紀(皇帝の伝記と、その治世の記録の事)と列伝のみで書かれています。
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