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2007年09月12日

「悟浄歎異 沙門悟浄の手記」にある矛盾

奕旨と囲棋賦の違いについて書こうと考えていたが、後日にする。

「悟浄歎異 沙門悟浄の手記」を再読していて、おや? と思う事があったので、記しておく。
中島敦という人は、人間の内面描写には力を入れた様だが、こういう事には頓着しない性格だったのかもしれない。

先ず中島敦は悟浄に、

俺は、悟空の文盲なことを知っている。かつて天上で弼馬温なる馬方の役に任ぜられながら、弼馬温の字も知らなければ、役目の内容も知らないでいたほど、無学なことをよく知っている。しかし、俺は、悟空の(力と調和された)智慧と判断の高さとを何ものにも優して高く買う。
と、孫行者の事を語らせています。
元の「西遊記」に、孫行者が文盲であるという記述は無かったと思いますので、これは中島敦の作品中で付加されたものだと僕は考えています。しかしこの設定(「知識は無いが智慧は有る」という性質)が有る為、頭でっかちの悟浄が孫行者と己とを対比する構造が生まれています。これは知識(文字)が人の思考を阻害するという「文字禍」等で何度も語られた内容であり、「悟浄出世」のメインテーマからの引継ぎでありますから、中島敦の中で非常にウエイトの高い問題であると考えられます。元々悟浄という哲学者は、この様な事を語る為に借用されたキャラクターですから、行動的な孫行者を文盲とする設定は、必然的誇張であった様に思えます。

しかし、西遊記には孫行者が五行山に囚われる切欠となる、有名なシーンがあります。「悟浄歎異 沙門悟浄の手記」自体から引用してみましょう。

そのころ、悟空は自分の力の限界を知らなかった。彼が藕糸歩雲の履を穿き鎖子黄金の甲を着け、東海竜王から奪った一万三千五百斤の如意金箍棒を揮って闘うところ、天上にも天下にもこれに敵する者がないのである。列仙の集まる蟠桃会を擾がし、その罰として閉じ込められた八卦炉をも打破って飛出すや、天上界も狭しとばかり荒れ狂うた。群がる天兵を打倒し薙ぎ倒し、三十六員の雷将を率いた討手の大将祐聖真君を相手に、霊霄殿の前に戦うこと半日余り。そのときちょうど、迦葉・阿難の二尊者を連れた釈迦牟尼如来がそこを通りかかり、悟空の前に立ち塞がって闘いを停めたもうた。悟空が怫然として喰ってかかる。如来が笑いながら言う。「たいそう威張っているようだが、いったい、お前はいかなる道を修しえたというのか?」悟空曰く「東勝神州傲来国華果山に石卵より生まれたるこの俺の力を知らぬとは、さてさて愚かなやつ。俺はすでに不老長生の法を修し畢り、雲に乗り風に御し一瞬に十万八千里を行く者だ。」如来曰く、「大きなことを言うものではない。十万八千里はおろかわが掌に上って、さて、その外へ飛出すことすらできまいに。」「何を!」と腹を立てた悟空は、いきなり如来の掌の上に跳り上がった。「俺は通力によって八十万里を飛行するのに、なんじの掌の外に飛出せまいとは何事だ!」言いも終わらずきん斗雲に打乗ってたちまち二、三十万里も来たかと思われるころ、赤く大いなる五本の柱を見た。渠はこの柱のもとに立寄り、真中の一本に、斉天大聖到此一遊と墨くろぐろと書きしるした。さてふたたび雲に乗って如来の掌に飛帰り、得々として言った。

書いた文字を「せいてんたいせいここにいちゆうす」と下し読みするか、「せいてんたいせいとうしいちゆう」と読むかは好みですが……こんな事書いたら文盲って事にはなりませんよね。

投稿者 strap : 2007年09月12日 15:23

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