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2007年08月23日

事実は小説よりも奇なり

広く使われるタイトルの言葉は、イギリスの詩人、ジョージ・ゴードン・バイロンの言葉なのだそうだ。
実際三国志を読んでいると、「(連戦で手勢が少ない筈の)エン州牧曹操が、100万の青州黄巾賊を破った」等、記述を疑いたくなる様な事柄は多い。

これは本来、「現実では時として凄いドラマが起る」という意味の言葉であろうが、「小説ではドラマチックな演出をやり過ぎると、逆に陳腐になってしまう」という意味にも取れる。
そんな事を、2007年夏の甲子園決勝を見て思った。

試合のあまりにもドラマチックな、鳥肌を立たせる、土壇場での、大大大逆転についてはここでは書かぬが、しかしこの試合の八回は凄かった。絶望的な点差の中、走者が出て以降会場全体が、否、日本全体が、佐賀北を応援したその「ドラマを求め」た気持ちは矢張り良くわかる。大会史上初の決勝での逆転満塁本塁打(決勝戦での満塁本塁打は佐賀商以来、13年ぶり2度目なのだそうだ)を、古豪から普通の公立高校の学生が放つと言うのも物語性があるし、絶望的とも謂える点差を諦める事無くひっくり返したという事も劇的である。「ドラマを求め」られた事に対し、平成生まれの球児達はプレーで応えてくれたのだ。

しかしもしこれが、事実ではなく、フィクション、物語として見せられたのならば、我々は果たしてこんなにも感動したであろうか?
それが書籍ならば恐らく、壁か床に叩きつけたであろう。
あまりにも都合が良く、あまりにも劇的過ぎて、逆に陳腐ですらあると感じただろう。リアリティが無い。
まぁ、だからこそ、現実で見せられると、心高ぶらせられる訳であるが。

この試合を見て、フィクションというのは、「いきなりの大逆転」という、現実には起こりえる事でも書けない分野である事を再認識した。
大逆転を決めたいのならば、事前の伏線が重要なのであろう。

投稿者 strap : 2007年08月23日 16:39

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