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2007年05月07日

崔烈の経歴:孔彪碑

今回は三国志で御馴染みの崔烈について書きます。
「武帝紀」でははじめの方に「続漢書曰」と、注で太尉であった事が紹介されていますし、諸葛亮の友人である崔州平の父としても良く知られた人物です。「虞傅蓋臧列伝第四十八」では辺章韓遂作乱の時の事として、

司徒の崔烈以為宜ろしく、涼州を棄つべしと。詔して公卿百官を会するや、烈は堅く先の義を執る。(傅)燮、言をはげまして曰く「司徒を斬らば、天下乃ち安んぜん」
と、傅燮に殺されかけた人物です。息子の鈞に、「論者はその銅臭(銭の臭い)を嫌うのでしょう」なんて言われるエピソードも、良く知られていると思います。
本紀の記述を引用して経歴を探ると、
(中平二年)三月、廷尉崔烈を司徒と為す
(中平四年)夏四月(中略)太尉張温免じ、司徒崔烈を太尉と為す
(中平四年)十一月、太尉崔烈罷め、大司農曹崇を太尉と為す
(初平三年)六月(中略)城門校尉崔烈(中略)戦没し(後略)
とありますが、あまり詳しくは無いです(見落としあったらすいません)。
列伝(崔駰列伝第四十二)にも歴位郡守九卿という程度でしか書かれていません。
しかし、崔烈の経歴の手掛かりを見つけました。

山東省に『漢故博陵太守孔府君碑』とタイトルの付いた碑が現存しています。
これは霊帝が元服した年である建寧四年の七月に立てられたもので、

君諱彪,字元上,孔子十九世之孫,穎川君之元子也
と書き出されています。

拓本の写真を見たのですが、痛みが激しい為、僕には判読できませんでしたが、解説書をもとに簡単に書きます。

この孔彪ですが、尚事待郎→治書御史→博陵太守を歴任した後下邳相となり、最終官職は河東太守。四十九歳で没。
孔彪は歴史書に名前の出てくる人物ではありませんが、その名は永寿二年造立の碑に

尚事待郎魯孔彪元上 三千
建寧元年刻の碑に
河東太守孔彪元上
と見える様です。

ここで不思議な事があります。
最終官職が河東太守であるのに、何故『漢故博陵太守孔府君碑』と碑は題されているのか?
しかし実は、不思議でもなんでもありません。
それはこの碑が、博陵の故吏によって立てられたからなのです。

この碑の碑陰には、故吏の名が多く刻まれているのですが、その筆頭に「故吏,司徒掾」として、崔烈の名があるそうです。
崔烈という人は、博陵郡の役人と司徒掾を経験している様です。

投稿者 strap : 2007年05月07日 23:03

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