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2006年07月04日
風呂敷
世間では、
風呂敷はたたみ方よりも広げ方の方が重要という考えが多数派の様である。無論ここで言う「風呂敷」は、「物を包む事に用いる方形の布」という意味では無い。「風呂敷を広げる」の「大言壮語を吐く」という意味から派生した、「物語をどんどん発展させる。話を大きくする」という意味の使い方である。
つまり「広げ方」というのは物語の発展を指し、「畳み方」というのは物語の収拾を付ける作業である。謎が謎を呼ぶ展開から、謎が謎の儘終わる。そんな物語を持て囃す人は多い。
話を盛り上げる為には多少の矛盾にも目を瞑る。「行き当たりばったり」でも娯楽性が高ければok。そんな作品や作家が現代では支持されている。現代は、「娯楽性」にこそ作品の価値があるのだ。これは小説に限った事では無い。
僕自身の感想から言うと、こういう考え方はどうも好みでは無い。
確かに物語はダイナミックな展開をするし、スリリングにはなると思う。
しかし僕は、整合性を忘れてはならぬと思うし、最後には収拾すべきだと考える。
「娯楽性至上主義」を悪いとは思わぬし、むしろ娯楽性は追うべきだと思う。
しかし僕はそういった「(それに因る効果を狙った訳では無い)半端な終わり方」というのは好きになれ無いし、あまり面白いとも思わない。整合性の無い物語など、理屈っぽい僕には耐えられ無い。
人間が真面目過ぎるのだろうか。
投稿者 strap : 2006年07月04日 00:25