« 夏侯淵の行軍 | メイン | 結城丈二に見るカッコいい登場人物 »

カテゴリーへ
三国志小説作品目録
三国志小説論:エントリー一覧
ブログランキング・にほんブログ村へ

2006年05月31日

擬似漢文調

僕の文章を「詰屈聱牙」と評する人があるが、この評価文それ自体が「詰屈聱牙(若しくは「佶屈聱牙」)」である(笑)
僕の文がその様であるという事は無い。
(環境に因っては、「詰屈ゴウ牙」の「ゴウ」の字が表示されぬか?)
「日本語を勘違いしている」という感想も、日本語を勘違いしている人のものであろう。

現在の最新作は→こちら

この様な感想・評価の元は、僕の作品がやまと言葉を用いず、三国志の重厚な雰囲気を作り出す為に、あえて漢語を使っている部分があるからだろう。
格調のポイントとなるのは、擬似漢文調である。漢文の読み下しの様な平坦な表現では物語として綴り難いし、格調を求めても文語体では現代文としての読み易さを損なう事もある。飽くまで贋の漢文読み下しでなければならない。

僕の作品、「わが三国志 第三部 張遼離憂(ネット未公開作品)」の中の次の一文は、原文となる漢籍があるので最もわかりやすいだろう(この部分は一度孫策詔呂範弈棋局図四十三子からというエントリーでも使いましたね)。

(前略)再び孫権が叛いた。(中略)この頃、太医の診療で、前将軍張遼の疾も小康を得る。この為張遼も、征東大将軍曹休と共に艦隊を率い、長江沿岸の海陵に出撃した。合肥での大敗北を想い、孫権は甚だこれを怖れて諸将に命じる。
「張遼病むと雖、慎んでこれと当るべからざるなり」
と。
傷弓の鳥、古瘡未だ癒えずして、驚心未だ去らざるなり。弦音を聞いて飛ばんとし、古瘡が為に羽ばたく事適わず、徒地に隕ちるのみ。
張遼の来襲を知った海陵の水軍は全軍総崩れとなった。張遼、洞浦において呂範を破る。(中略)さすれど張遼の病篤く、竟に江都に薨去する。情の薄きで知られた魏文帝も、この為涕泫した。諡して剛侯と云う。家督は子の張虎が嗣いだ。
これは「魏書 張樂于張徐伝第十七」にある、
孫權復叛、帝遣遼乗舟、与曹休至海陵、臨江。権甚憚焉、敕諸将
「張遼雖病、不可當也、慎之」
是歳、遼与諸将破権呂範。遼病篤、遂薨于江都。帝為流涕、諡曰剛侯。子虎嗣。
が元である。
又、独自のルールに書いたが、「わが三国志 第一部 陳宮離落(ネット未公開作品)」には、次ぎの様な科白がある。
「玄徳は布の弟なり。弟、諸君に困しめられる為、故に来たりてこれを救う。布、性として、争うを喜ばず。唯、闘いを解くを喜ぶのみ」
と。
併し淮南の将は無論、納得をしない。そこで呂布は軍候に命じ、轅門から百五十歩離れた位置に一隻の戟を挙げさせ、一つ提案をした。
「諸君。布が戟の胡を射るを観よ。一発にして当らば、双方陣を解きて去られよ。当らずば両家の軍、留まりて闘いを決すべし」
これは「魏書 呂布臧洪伝第七」や「後漢書 卷七十五 劉焉袁術呂布列伝第六十五」に見られるものであるが、無論単純な読み下しでは無い。
白沢図の、
「藍田生玉と云うのは、真、虚偽に非ざるなり」と、彼の父に謂い讃された。
も、本来は
謂瑾曰「藍田生玉、真不虚也」
である。
見ていただいてわかる様に、そのままではあるが、当然、漢文の読み下しでは無い。
飽くまでも、それらしさがだいじなのであって、実際の読み下し文では作品として物足りないであろう。

擬似漢文調(漢文脈)にするのには、もう一つの利点がある。
それは文章がすっきりとするという事だ。音読した時のリズムも軽やかになる。

投稿者 strap : 2006年05月31日 16:03

ホームページ制作・ビジネスブログ(商用ブログ)構築|福岡・大牟田