2006年05月28日
夏侯淵の行軍
夏侯淵の騎馬というエントリーで以前僕は、裴松之が魏書に引く
淵為将赴急疾、常出敵之不意、故軍中為之語曰「典軍校尉夏侯淵、三日五百、六日一千」から、
恐らく騎馬隊を率いるのが抜群に巧かったのでしょう。と書きました。
しかし三国志には、本文にも注にも、典軍校尉夏侯淵の麾下が騎兵主体であったなどとは、何処にも書かれておりません。
今回は、僕が夏侯淵の麾下を騎馬主体と考えた根拠を示したいと思います。
参考:三国志と馬
先ず、現代の騎兵について述べたいと思います。
一般に騎兵の普通行軍速度は、7.5km/h程度と考えられています。
又一日行程は、普通行軍に於いては約8時間です。
つまり現代の騎兵は、約60km/dで普通行軍をする計算になります。三日なら180km、360kmの計算ですね。
一方、現代の機械化されていない歩兵の普通行軍速度は、4km/h程度、一日の行軍は約8時間です。つまり、約32km/dで普通行軍をしている計算です。三日なら96km、六日なら192kmの計算です。
さて、では夏侯淵が行軍していた距離はと言うと‥‥‥
1里≒414.72mとするならば、500里は約207km、1000里は約414kmです(一里≒434.16mならば、500里は約217km、1000里は約434kmです)。
これが歩兵の普通行軍の速度と較べ、余りにも大きい数字である事がわかると思います。一日十二時間の強行軍を三日続けても、144km、500里(約207km)には遠く及びません。
無論、「三日五百、六日一千」は誇張された数字であり、キリの好い数字を選んだものであり、若しかしたら語呂や字面を考慮されたものかも知れません。併し、鐙がある現代の軍馬を用いた行軍を上回る数字で讃えられている事から考えても、先ず騎兵主体だったと考えて良いのでは無いかと、想像します。
投稿者 strap : 2006年05月28日 01:34