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2006年05月19日

荒野の七人(4)

参考荒野の七人スレッド
    映画「荒野の七人」から学ぶ三国志小説の作法
 
「荒野の七人」程に、僕に影響を与えた映像作品は無い。

そして「荒野の七人」のロバート・ボーンはカッコいい。
しかしまるで、中島作品の主人公達の様でもある。(中島作品については、中島敦カテゴリーを参照の事)

「荒野の七人」は、腕利きガンマン達の物語であり、ロバート・ボーン演じるリーも勿論凄腕ガンマンである。
にも関わらず、決戦(dvdではチャプター15 「カルヴェラとの決着」)まで劇中発砲は僅かに三回しかしない。
銃撃が始まれば常に隠れ、終わるのをじっと待つ。アクション映画の主人公とは思えぬ位にアクションシーンは少ない。そもそもリーは、命を狙われており、ブリンナー一行に加わるのも、街を避ける為であった。映画の作りとしても、本来アクションの為の人員では無い。ガンマンの悲しみを直接的に描く為の人物である。
特に、悪夢に魘されるシーン(dvdではチャプター12 「おじけづく村人たち」)では迫真の演技に因り、衰えのきたガンマンの悲哀をストレートに描く。洒落者のガンマンが見せる人間的弱さは、見る者に自信を失った人の憐れを強く印象付ける。銃の腕だけを誇りとして来た人が、その誇りを失った姿を見せ、その姿から逆に、平凡な幸せの尊さを強く訴える。

「荒野の七人」という作品は、単純な「勝った」「負けた」のアクション映画では無い。それは一流の人間ドラマでさえある。
ブーツホルツ演じるチコ以外の六人は、皆己が日陰者である事を知っている。恐れられたり頼られたりする事はあっても、決して人から信用され、尊敬される様な存在では無い事を。自分が人に愛される様な存在では無い事を。
そして、銃の腕は抜群だが、それでも自分達には勇気が無い、という事を理解している。家族を養うという責任を負う勇気が無い事を知っているのだ。

しかし、そんなガンマン達は悲しい。盛りを過ぎれば、衰えるだけなのだ。
そして、それを失ったとしても、愛すべき家族もいなければ、寛げる家も無い。引き立ててくれる人もいなければ、人に尊敬もされない。人には愛される事無く、一人孤独に耐え、知らぬ街で撃ち殺され死ぬしかないのだ。

七人がカッコ良いのは、それでも、それを知りながらも、それに耐えて生きている姿であろう。社会に忌み嫌われても、人としての優しさを決して失わず、弱者に手を差し伸べようとする姿勢。これこそ本当の男の姿であると思う。
「負け戦」とわかってはいても、人生という辛い戦いを生き抜かねばならぬ事を知っている事こそが、最高にカッコいい。

それは誇りを失っていたリーも同じである。
最後に人としての優しさから、ガンマンとしての誇りを取り戻し、村人の為に銃を抜くリーの姿はとてもカッコいい。ただの三発。たったそれだけの発砲であるが、そこにはそれまでの苦しみから解放された軽やかさがあり、リーというガンマンの最後の残照がとても眩しく輝く。リーの鮮やかなアクションは、男の誇りが戻ってきた証なのである。

「荒野の七人」はアクション映画ではあるが、それは他のそれとは一線を隔す。本当の意味での名画である。
多くの映画ファンは、爆発や激しい撃ち合い等、派手なシーンばかりを好むから、登場人物の人物描写などには全く興味を示さない。制作サイドとしても、火薬の量を増やして、二枚目俳優とセクシーな女優さえ出しておけば映画ファンは満足するのだから、そんなものに力を入れようとはしない。しかし「荒野の七人」は、あえてそこに力を注いだ映画なのである。しかも皮肉な事に、それらに成功しているからこそ、メインとなるアクションシーンが大いに生きている。「最高の映画を作ろう」という、スタッフ一人一人の熱意が妥協を廃し、素晴らしい映画を作り上げたと言えるだろう。
「荒野の七人」は、評するならば、「最高の映画」である。今迄にこれに並ぶ程のアクション映画は、「大脱走」以外に作られてはいない。

投稿者 strap : 2006年05月19日 01:18

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