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2006年04月05日
三国志と囲碁(4)
忘憂清楽集にある林裕氏の解説に因ると、古代の碁は、現在のルールとは随分と違った様である。無論、ここに書かれているのは、宋の時代の事であるが、それは原始的なルールであるし、蓋然的仮説を述べるならば、三国志の時代のルールもこれに近い形であっただろうと推測する。現代のルールよりは、ずっとこちらの方が近いであろう。僕が囲碁と三国志小説の執筆で書いた内容は、修正すべきであると思う。
以下、林裕氏の解説を(順番は一部前後するが)部分的に引用する。
中国では十七路盤時代から星の数は五個で、辺の四星はなかった。(中略)日本に現存する最古の碁盤、正倉院宝物の「木画紫檀棊局」も十七星で朝鮮の碁盤である。現在の碁盤は九星である。
中国碁法は古来、右上星から左下星の二点に白、左上・右下の二点に黒(時には逆のこともあった)という事前置碁制が代表的で、これを「鎮子碁」といった。孫策詔呂範弈棋局面と晋武帝詔王武子弈棋局は、右上と左下が黒で対戦されている。
昔は白が先着し、身分の高い人や技量の高い人に黒を譲った。これは中国、日本で近世初期まで共通していた。おそらく朝鮮でも同じだったのであろう。今では習慣と意味が逆になって、文字も「玄人」「素人」と変わってきたけれども、そのように反転した理由は、中国では「玄」は老子の道を指し、また「赤みをおびた黒」を指すのに対して、「素」は「まじりけのない白」を指すからかもしれない。わたしは日本の場合語源的には黒人・白人(ルビ:「くろうと・しろうと」)からきているのではないかと思っている。 『忘憂清楽集』の打碁には、白先、黒先の両者がある。おそらく黒・白(先着)の後退の過渡時代の譜を含んでいるのだろうこれは囲碁(囲棋・弈) カテゴリーで何度も書いてきた事であるので、今更の説明は不要であろう。
以下は中国の碁について。
終局時に盤上に生存する石の多い方を勝ちとする中国ルールは、その点では、いわば原始ルールに近い。おそらく囲碁発症の原点には、石の生存を人間の生存と同じ角度で考える時代があったのに相違ない。中国では死んだ石は計算に無関係で、アゲハマはすぐに対手に返すのが習慣になっている。また「ダメ」というものがない。日本でいう「ダメ」は中国では一子の価値があって、最後までつめ合う。そして最後(終局時)に、盤上に生存している石と、自分の石を打つ権利のある空間を数えて勝敗を決める。(中略)日本の計算方法は、中国のある時代に一部に採用されていた方式を取り入れたふしもある。したがって日本固有のものかどうかは、まだまだ研究の余地がある。上げ浜や、駄目のルールが無いのは、本邦の現代のルールに慣れた我々には驚くべき内容である。駄目が無いという事は(というか最後まで詰め合うのならば)、駄目押しも無いという事だ。
この他にも、劫や、「切り賃」と呼ばれる古代のルール、チベットの碁から推測する当時の碁など、多くの事が書かれているが、碁に関する専門的な知識を要する内容であると判断する為、ここでの紹介は見合わせる。
投稿者 strap : 2006年04月05日 00:25
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