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2006年01月29日

複数の資料に当たるという事

先ずは実教出版のお詫びのページをご紹介する。
http://www.jikkyo.co.jp/profile/apology.html
この間違いの部分と同じグラフが、共通一次試験の問題として出題され、この教科書を盲信した受験生達が間違ったのだという。受験生達から苦情があったらしい。
僕が今回考えたのはこの事件の事だ。

無論、出版社や検定を通した関連機関各所にも問題が無いと言うつもりは無い。しかし真に問題なのは、

大学生になろうという学生が、一つの資料のみを用いるだけに留まり、他の資料に当たる手間を怠った
という事である。大学入学後、勉強する気があるとは到底思えない。研究者としての基本的な姿勢が出来ていない様に思う。

多くの文章は、人の書いたものであるから、当然間違いの可能性はある。学術資料として用いるならば当然の事ながら、複数の資料を見比べるべきで、一つの資料だけを根拠にする事は出来るだけ避けたい。これから大学生になるのであるから、この位の事は当然常識とすべきである。ならば試験用の勉強であっても、同様の手順を踏むべきであろう。無論間違いの可能性は教科書であっても同じ事で、「教科書だから信頼できる」という安易な考えは矢張り、怠慢としか謂えない。

誤りのある教科書の例を今一つ示そう。
僕の手元に今、旺文社の漢文の教科書がある。僕が発見した(この本の注にある)間違いを発表したい。

木牛流馬 - 牛馬の形をした木製の車
「木牛流馬」はご存知の通り、謎の物資運搬車である。堂々と「牛馬の形をした木製の車」と言い切っている。
曹植 - 曹操の第三子。文帝の弟。(以下略)
任城王 - 曹彰。曹操の第二子。文帝の弟。(以下略)
呆れる位下調べが杜撰である。この文脈では、文帝が「曹操の第一子」という事であろうか?曹操の長男は曹昂であり、又文帝と曹昂の間には恐らく曹シャクがいる。少なくとも文帝は、「曹操の第一子」では無い。
三顧の礼 - (前略)三国時代、蜀の劉備が諸葛孔明を軍師として招く時(以下略)
諸葛亮が劉備配下になったのは三国時代では無いし、軍師中郎将になるのは赤壁での戦いの後であって、「軍師として招く時」は適切では無い。又、劉備は「劉備」と姓+名であるのに対し、諸葛亮が「諸葛孔明」と姓+字なのも、間違いでは無いが、教科書としては如何なものかと考える(項羽の様な例もあるし、「諸葛孔明」でも適切なのだろうか?)。

まぁこの様に、教科書であっても全面的に信用する事は危険である。

グロックという短銃に一度書いたが、三国志小説に限らず、小説を書く時にも下調べは必要である。
僕もものぐさで、一つの本で調べて済ます事が多いのであるが、それではやはりいかんなぁと、反省させられる事件であった。

投稿者 strap : 2006年01月29日 20:23

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