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2006年01月14日
三国志と囲碁(3)
読売新聞の加藤正夫名誉王座追悼記事、「精魂の譜 棋士加藤正夫と同時代の人々」は面白いなぁと、素直に感じます。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/kato/
昨年12月30日で一周忌だという事です。
三国志小説における囲碁に関しては、囲碁と三国志小説の執筆で簡単に見解を述べました。これからも「謀臣の資質」で入れた様に、積極的に挿入していきます。僕の三国志小説にも、加藤氏の様な「力戦派」の打ち手をいつか登場させたいですね(棗祗などはこういう書き方か)。
三国志関連書籍を当たっていると、まだまだ色々と、碁に関する記事にあたります。
例えば、捜神記の巻三には、管輅が十九歳の若者を助ける話がありますが、これには碁を打つ二人の男が登場します。この碁を打つ二人が北斗星と南斗星で、青年は寿命の記された閻魔帳に返り点を打ってもらい、十九で死ぬところを九十まで生きれる様にしてもらった、という話です。
囲碁の別名は、「手談」だとか「烏鷺の争い」だとかとありますが、矢張り良く知られた別名は「爛柯」でしょう。神仙は矢張り碁を好むのですね。
賭博としての囲碁は、費禕(三国志卷四十四 蜀書十四 蔣琬費禕姜維伝第十四 費禕伝)や阮籍 (晋書卷四十九 列伝第十九阮籍伝)も好きだった様です。
三国志巻六十四呉書十九諸葛恪伝の注にも、「志林」を引用して費禕が囲碁好きだったという事が出てきますね。
かなり人気のゲームだった事がわかります。
先程山本大介見てたら、呉と碁で紹介した、孫策と呂範の対局が記された書物、「忘憂清楽集」が、呉清源の解説であったので紹介しておきます。

忘憂清楽集
いつか孫策詔呂範弈棋局図で一本小説書きたいと思います。
さて、三国志と囲碁(1)に一度書きましたが、偶々曹丕が曹彰を毒殺する話の原文を見る機会を得ましたので、ちょっと紹介してみます。
魏の文帝(曹丕)、弟任城王(曹彰)の驍壮なるを忌む。
因りて卞太后の閤に在りて、共に棊し、共に棗を噉らいしとき、文帝毒を以って諸を棗蔕の中に置く。
自らは食むべきものを選びて進む。
王悟らずして、遂に雑じえて之を進む。
既に毒に中るや、太后水を索めて之を救わんとす。
帝預め左右に勅して缾缶を毀たしむ。
太后徒跣して井に趨くも、以って汲む無し。
須臾にして、遂に卒す。
復た東亜(曹植)を害せんと欲するや、太后曰く
「汝已に我が任城を殺せり。復た我が東阿を殺すを得ず」
と。
[世説新語 尤悔]
ここでいう「棊」とは、棋士の「棋」の字に同じで、やはり囲碁を表します。
しかし棗の蔕に毒を塗っていたというのですが、曹丕はどうやって毒の塗ってあるものとそうでないものを見分けたのでしょう?
しかも水を飲めば解毒出来た様です。
しかも「勅して」桶を壊させていますから、毒殺の犯人、丸解りじゃないですか!
かなり嘘臭い話ですね(笑)
投稿者 strap : 2006年01月14日 02:23
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