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2006年01月11日
読書感想「ビューティフル・ネーム」
僕がこのブログで読書感想文を書く時は決まって、同じ文句で始まる。
今回も常に従い、同様の書き出しをしよう。
今更と、多くの方は思われるかも知れないが本日、鷺沢萠女史の絶筆、「ビューティフル・ネーム」を読了した。

ビューティフル・ネーム
大学生の頃、多くの女史の作品を読み、「この分野では右に出る者はいないな」と思っていたが、いつの間にかその作品とは疎遠になっていた。初めて読んだのは、図書館で借りた少年たちの終わらない夜であったのではなかろうか。
今回久しぶりに読み、女史の着眼した日常と、それを表現する文章に感嘆せずにはいられない。
今回はその感想を書いてみようと思う。
この作品集はどうやら、「通名」を持つ「在日韓国人」を主役とした一連の作品を納めたものであったらしい。完結している二作は実際そうであるし、冒頭しか書かれていない三作目も「在日韓国人」の女性が主役ではある様だ。三作目は作品として評価する事は難しいが、二作、特に「眼鏡越しの空」は興味深く読んだ。女性的な作品とはこういうものをいうのだろう。少女が大人へと成長していった過程を述懐する小説ではあるのだが、そこにナショナリズムへの目覚めだとか、それに伴なう友情の回復といったものが描かれていて、実に清清しい。
「故郷の春」という作品は、ストーリーを語れば「在日二世の韓国人男性が韓国に留学し、帰国する」というだけの話にしか過ぎず、粗筋をもう少し詳細にしても何故泣けるのか解らない小説であろう。しかしこの小説は泣ける。非常にに泣ける小説である。父と息子を描いた小説であるが、息子の帰郷のシーンが堪らなく好い。悲しい小説では無く、寧ろコミカルで笑ってしまう様な明るい作品なのだが、息子が父親を尊敬している思いが胸を打つ作品である。又そのタイトルにある様に、父の「故郷」である居昌と、息子の故郷である「日本」。二つの故郷をテーマとした作品とも言えるかもしれない。多様な主題を含んだ作品である。
「ピョンキチ/チュン子」という作品は未完で、「ピョンキチ」「チュン子」の2パターンの導入部のみが書かれた作品である。どちらも興味深い導入部であるが、作品となった場合どちらか片方が捨てられる事になったのだろう。職業作家とは、この様に優れた数点の内から最も適したものを選ぶのだろう。考えてみればこれは、多くの職業でも当然の事ではあるが、しかしそれでも感心せずにはいられない。
僕は学生の時分、佐藤健志氏のチングー・韓国の友人という作品に大きなショックを受けた。現代小説の代表的作品だと感銘を受けた訳である。
今回の鷺沢女史の作品群は、これと同様のテーマを扱いながら、しかし佐藤氏の様な暗さが全く無かった。これも鷺沢女史の鷺沢女史らしさであろう。僕は佐藤氏の作品の影響もあり、このテーマがこんなに明るい作品で読める事になろうとは全く思わなかったので、非情に驚いた次第である。
さて、この作品集にはもう一編、「春の居場所」という未完の作品が収録されている。僕がこの作品集を読んだきっかけは、この「春の居場所」を読む為であった。と、いうのも堀北真希ちゃんのdvdで紹介した堀北真希ちゃん主演で映像化するらしいのだ。
公式サイト:《KAERUCAFE Ltd,co. 映画「春の居場所」公式サイト 原作鷺沢萠 新潮社刊》この作品は、鷺沢女史らしい一本であったと僕は思う。「離婚」や「麻雀」といった単語の為もあるが、何と言ってもやはり、少女を表現したその文章が胸を絞める位に苦しいのだ。「初恋」小説であるのだが、その初恋が何とも言えぬ位苦しい。そう、「何とも言えぬ位」。「どう云々だ」とは言えぬのである。その位に切ない。
僕の可愛いあの娘も、高校生の頃はこんな思いをしたのだろうか。
映画の「主演堀北真希」に誰もが異論を挟まない内容であろう。芽衣子は、この世で最も可憐な存在である堀北真希ちゃんの清楚なイメージにぴったりと符合する。
僕はこの作品が大好きだ。僕は男であるので当然この様な思いはした事が無いが、男である僕にまでその様な思いを伝えてしまう女史の筆力に唸らざるを得ない。
投稿者 strap : 2006年01月11日 23:59