« 三国志掌編小説「謀臣の資質」第二回 | メイン | 三国志掌編小説「戦乱の序章」第二回 »

カテゴリーへ
三国志小説作品目録
三国志小説論:エントリー一覧
ブログランキング・にほんブログ村へ

2005年12月18日

三国志掌編小説「戦乱の序章」第一回

これは「戦乱の序章」にしか過ぎないのだ。
そう、只のプロローグに過ぎない。それは敵対する諸将を見れば良く解る。この戦いは長期戦になり、暫く世は荒れるに違いない。
俺は夜襲を思い出し、そしてそう感じた。反逆の軍は手強いのである。
俺の名はキャプテン張遼。并州雁門郡馬邑県の出自である。聶家の次男として、延熹八年に生を受けた。并州刺史丁原に召し出されて従事と成り、以来今日まで、士官としてずっと軍事に携わっている。
今は天子を抱く洛陽で董卓の下にあり、一千の士卒を率いる一将である。敵は我等を三方から囲む圧倒的多数。洛陽の我が官軍は、将に危機に瀕していた。
とは雖、敵にもウイークポイントが無い訳では無い。現在敵軍は、渤海太守袁紹をリーダーとし、その弟がそれを輔佐する形で一見纏まっているかには見える。しかしそれは表向きであり、敵軍の中枢はそこでは無い。又敵軍の中核は別にあり、残りは数だけの烏合の衆に過ぎないのだ。
敵の中核。
それは、陳留太守、広陵太守の張兄弟。それに済北相の鮑信。この三名が率いる軍である。
この三つが、モラールの高い敵の中核と謂えるだろう。
ではこの三名の軍を破る必要があるのだろうか?
実はそうでもない。三名をプロデュースする中枢、黒幕一人を斬れば良い事なのだ。この黒幕さえ居なければ、三名に戦略的判断も、作戦的見地からの思考も何も無い。黒幕と共有する政治的思想が残るだけである。
黒幕の名は曹操。
今は僅かに五千の歩卒を率いる将軍に過ぎない。この男さえ斬れば、我が軍の有利は絶対のものになる。しかし成長を許せば大きな禍となろう。そういう大きな人物である。現に今の敵軍は、それとは知らずこの奮武将軍一人の為に立ち上がった一群なのである。
俺は謀士李儒の計画で、曹操の陣、唯一点を襲う李粛を援ける任を与えられた。夜襲の為数は少ないが、精騎八千に枚を含ませる。俺の役目は李粛のブレーンとして一隊を率いる事にあった。曹操という男が如何に優れたプロデューサーであろうとも、自身が斬られれば終わりであるし、如何に優れた戦略家であったとしても、自身の手元には五千の歩卒しか無いのである。そして今は牽制の為、本営から離れており、連絡は密では無い。応援の来る前に陣を素早く崩せるならば、我々の勝ちなのである。可能性は充分にあるミッションであった。
我が隊一千は楔状の隊形の左側面の後方を担う事になった。我が隊の前方は、趙庶、李鄒の指揮する隊である。我が隊もそうであるが、白袍の李粛の率いる軍は殊更強く、一万や二万の軍に負ける訳が無い。しかも相手は、今本営から離れ、孤立して陣を張る、錬度の低い、僅か五千の歩卒なのである。そういう自負もあり、我々はひっそりとであるが、しかし自信を持って進んだのだ。
事実戦端を切ると、敵は慌てふためき、その状態は全く憐れな程であった。何とか軍としての体裁を保ちながら後退をしているが、押し切るのは時間の問題であるように思えたし、事実そうであったろう。先攻を司る侯諧の猛撃が、不意を突かれた敵を壊走させるのは、最早目前に思われた。このミッションは本来、立案の段階で成功していたのである。我々の仕事は、曹操本人を見つけ出し斬る事のみにあると考えられていた。
しかし、である。
しかし、俄かに趙庶指揮の一隊が崩れ、次に李鄒指揮の一隊が崩れた。不意の出来事に何事かと、俺は戦況把握を急ぐ。
驚く事にそれは、曹操軍猟兵一百名に因る徂撃であった。正確に過ぎる徂撃がピンポイントで指令部を叩き、趙庶、李鄒の隊の指揮系統を乱していたのだ。前方からゆっくりと、主要な部分のみを攻撃しながら上がってくる。数が少ないだけに無駄が無く、無駄が少ないだけに実に迅速で効果的だった。
そしてそれは今、俺の隊を標的にしているのである。
曹操軍はじわりと退きながら、猟兵を切り離し、我が軍の左方向に伏せさせたのである。何とも見事である。しかもその猟兵の指揮者の攻撃タイミングが秀逸な上に、苛烈を極めた。殷々と弦音の響く様な猛射は、敵が僅かに一百である事を忘れさせる程であった。劫火を思わせる猛撃に、俺は不覚にも怯む。
が、何とか立て直すと、夜襲を受け混乱する中、これ程巧く兵を纏める事の出来る敵の指揮者に感嘆しつつ、俺は叫んだ。
「退け、退け。ここは退いても恥に非らず! 退け!!」
敵が能れ過ぎているのである。下がっても恥にはなるまい。寧ろ崩され潰走させられる事を俺は恐れた。
我らが支える左方向がら軍は崩れ、それは全軍の危機を生じさせた。右方向からもクロスボウやコンポジットボウを持った四百名が襲い掛かってくる。半数はスポッターだろうか。敵は慌てながらも陣中のアーチャー三百余りを選り、左右へのフランキングに回したのだ!
既に右を支える張済の一隊迄もが叩き崩され始めた。続く高雅の一隊も翻弄される。突然のフランカーに、我々は全く用意が無かったのだ。後方の劉何が高雅の一隊を庇うが、油断の有った所への攻撃に、収集が付かない。至る所で「メディーック!」という叫び声が上がっていた。
俺は冷静に戦況を把握し、大将である李粛に現状を伝える一分隊を飛ばす。無論指示を乞う為である。
こうしているうちに、鮑韜と思われる救援チーム大凡二千が到着をした。こうなっては最早タイムオーバーである。
それで已む無く李粛はアタックを中止させる。
精鋭を誇る我々が、僅か一百の猟兵に翻弄されたのだ。曹操という男、何と優れた人材を抱えている事だろう! 俺は曹操という男と、その配下の指揮者に肝を潰した。
こうして我々は、曹操配下の一人の指揮官と、僅か一百の兵の為、ミッションを断念せざるを得なかったのである。八千の精鋭が、唯の一百に翻弄され、遂には退けられたという訳だ。しかもその一百は募集から日が浅く、特別長い期間養われていた訳でもない。精兵のスナイパーという訳では無かったのだ!
後に知った事であるが、猟兵の指揮者は曹操のオフィサーである陳宮であった。東武陽の出身で、以前は中牟の県令であったと聞く。我々が分析するに、当代随一の戦術家であろう。
俺達の驍騎勁卒に、陳宮のタクティクスがあれば無敵であるのに。陳宮が我らのスタッフとして加われば、負ける戦は無いのに。
敵を賞賛する思いからふと、そんな戯言が一瞬頭を過ぎった。何にせよ、敵にしたく無い程の戦術家が敵にいる事に変わりは無い。変わり無かった。
そして今は未だ、「戦乱の序章」に過ぎない。
プロローグを終えた時、戦乱は激化し、闘争は更にエスカレートするだろう。
戦いは未だ長い。

投稿者 strap : 2005年12月18日 01:09

コメント

ホームページ制作・ビジネスブログ(商用ブログ)構築|福岡・大牟田