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2005年12月17日

三国志掌編小説「謀臣の資質」第二回

ざざ。ざざざ。
裏手を指揮するのは、成廉か、魏越か。
どちらにせよ流石に手際が良い。ぱちり、ぱちりと音が鳴る。
ざざ。ざざざざざ。
俺はそもそも、一兵として生きるつもりだった様に思う。建寧四年の俺は、工兵の一雑卒に過ぎなかった。
西部戦線で入営した俺は、伍列の仲間とも打ち解ける事をしなかった。それで次第に敬遠され、最も過酷な工兵隊に回されたのである。工兵は前線にありながら戦闘兵科としての役割が無く、危険に身を晒して重い荷を運ばねばならない。体力には自信のあった俺も、流石にこれには閉口した。
川を渡る為の架設が必要になった際俺は、必要な資材を一瞬で計算し、上官にひっそりと教えた。又ある時は複雑な構造計算を基に、必要な土嚢の数を計算し、作業を大幅に軽減させた。こうして上官は俺の計算の為、工兵科や主計科の噂から算術の神と謳われ、慕われる様に成る。そうして以後、上官は俺に頼らざるを得なくなった。付け届けもあり、この事で俺は俄かに重宝される事となる。こうして俺は入営の半年後には下士官となり、重労働からは解放されていた。そして、その半年後にはもう士官へと昇進する。
以後俺は上官達への贈賄を怠らず、工兵科の士官として十余年を過ごした。
ぱちり。
女の居ない世界が俺には清潔に思われた。
ざざ。ざざざ。
そして、俺に新たな転機が訪れたのは中平二年の晩秋であった。
ぱちり。
ぱちり。
辺章、韓遂の叛乱に対し朝廷は、十万の兵を西部戦線に増援した。この時俺は工兵科の長として、破虜将軍董卓の軍に編入される事となる。本営と独立して動く董卓の別軍三万は連戦に快勝し、奔る賊を深く追った。そして遂には先零羌の本拠地である望垣に迄達する。
しかしここ迄であった。補給の続かぬ別軍は、物資、特に食料の不足の為に窮地に立たされたのだ。一時撤退を余儀無くされる。それで俺は、工兵科の責任者として提案をした。
「将軍。糧食無くしては、前進も後退もありはしませぬ。後退の際、川で魚を得ましょう」
流石に窮地であった。董卓は俺の言う事に素直に耳を傾ける。
「我が工兵科が先行し、川を塞き止めれば、川魚を得る事が出来ます。流れを止めれば渡川も容易なれば、一石にて二羽を落とすが如しであります」
董卓にすれば、考えるまでも無かった。
「良かろう。許可する。李校尉、川の流れを留めよ」
頭を悩ませていた食糧問題の解決に安心した為、董卓は大仰にこう言うが、俺は意地悪にもそれに、不安を掻き立てる様な弱々しい芝居で応えた。
「しかし一つ気がかりが」
「何だ。申せ」
董卓が苛立たし気に言う。ここからが、俺の人生を変えた長科白だった。
俺は鹿爪らしい表情を作ると、説明を始める。
「小官はこの辺りの地形には詳しい。先日、ある程度の測量には立ち会っておるのであります。さて、この前提を知って戴いた上で、その経験から論理的にお話致しましょう。残りの物資から作る事の出来る堰の大きさを計算しますに、川幅は酷く狭くなければなりません。糧食飼料のみならず、物資は悉く足りぬのです。そこで計算したのですが、川幅の他、流量、流速、川の深さ及び、我が軍の行軍能力、進行速度を加味して考えまするに、堰を作れる場所は唯の一箇所しかありません。まさかと驚かれるかも知れぬが、一箇所ある事こそが大変な幸運なのです」
「だからなんだ。そこに作れば良いではないか」
「その場所が問題なのです。此処では食料の問題は解決致しません。堰を切る事、広範囲に広がらない事を考えますと、採れる川魚は精々が二日分。全軍は一時的にすら持ちませぬ」
董卓は唸り俺に応えた。
「されどこれ以外に飯を得る手は無い。各々半人前づつ喰う事とすれば良かろう」
これを聞き、俺は厭らしく笑った。董卓は俺の網にかかったのだ。
「莫迦な。それで士気を維持できますかな? 小官の計算では、兵が一万少なければ、何とか補給が間に合います。ここは自軍の兵を減らすべきです!」
俺の言葉を待ち、場が森と静まる。
「士気を失った三万と、旺盛な二万。どちらが強靭だというのです? 三万に喰わせ、全軍を壊走させますか?」
「控えよ、貴様!」
遂に、咄嗟に上ずった声で都督が吼えたが、俺はそれに即座に言い返した。
「軍の窮地に知持つ者が策を献じるは当然の事! 牀几に腰を下ろすだけのそこもとに怒号を受けるいわれは莫い!」
「ではどうする。策があるのか」
董卓は怒った調子で俺に聞く。しかし目は不安を湛え、俺に向けられていた。この時最早、立場は俺の方が有利に成っている。
俺は効果を期待し、表情を作らず淡々と述べた。
「殿軍一万を囮に、敵を川床に誘い込んで戦闘。その戦闘の最中に堰を決壊させます。こうする事に因って、食糧問題、後退路の確保、敵への打撃と追撃への障害。四つの解決を導く事が出来るのです。当に起死回生の策と申す事が出来るでしょう。一万の兵を捨て、利を得るべきです」
董卓が続きを目で促す。
「南岸にて殿軍を待機させ、北岸を下る敵に対峙させます。この時陣形は、長く横陣を敷く形とし、何時でも隙あらば包囲に転じれる形としておきます。こうして一万に川床の賊を襲い掛からせましょう。そして程好く乱れたところで小官が烽火を上げ、決壊の合図を出す。こうする事で、敵と余分な味方、つまり不要な者を水に流せまする。この様な戦術を見せれば、以後も群盗は我等を恐れて無理に逐う事はせぬでしょう」
ここ迄聴くと董卓は破顔し、大笑した。そして鮫の様な声で俺に告げる。
「李儒よ。以後我が軍の籌略に参与し、我を援けよ」
こうして俺は董卓の私的な謀臣となった。
こうして今の地位の足掛かりを得た訳である。堰を切る時機を烽火で指示するのが、工兵科での俺の最後の仕事となった。
ぱちり。ぱちり。
この時利に聡い校尉達が部下を提供し、殿軍を担わせた為、彼等は将軍に昇進を果たした。将軍達は昇進の為董卓の側に在り、それ迄彼等を補佐してきた者達が皆犠牲に成り死んだのである。将軍達は非情にもそれまでの手足を濁流に呑み込ませ、新たな地位を手に入れた。死んだ者達は皆彼等の昇進を喜び、それに伴なう自身等の昇格に活力を得て、最後尾で勇敢に全軍を護ったのである。間抜けな話だ。
ざ、ざ。
この計画は董卓の軍で最も程度の高い特別の秘匿に指定され、以後も洩れる事は無かった。
ざざ。ざざ。
しかし俺はこの時、何故にこんな怖ろしい事をさらりと言えたのだろう。俺は何故、躊躇い無く堰を切らせ、濁流に翻弄される味方を平然と眺めている事が出来たのだろう。奮い立ち不利な地形で懸命に戦う人々を何故、ああも無残に殺す事が出来たのだろう。
ざざざ。
今、乱暴にかき混ぜた時の妻の荒い息遣いが思い起こされた。
乳首を転がすと髪を振り乱して愛らしい声を上げ、尻を突くとすすり泣き、淫靡な仕草で俺を喜ばせた。卑猥な言葉を無理に言わせると、赤面して体を捩り、熱く股を濡らした。四つん這いにされた妻は眉を寄せ、悩ましくも艶かしい表情で、「もっと苛めて下さいませ」と俺にせがむ。それで俺は激しく弄りながら、強く突き上げる。すると何時も妻は恍惚の表情を浮かべるのだった。
妻は貪欲に、快楽を貪る女だった。恥ずかしい格好を好んでし、乱暴にされると殊更嬉しそうな表情を見せ涎を垂らした。尻を叩かれるだけで、酸味の効いた汁や尿を漏らして喜んだ。
ざ、ざ。ざ、ざ。
俺の残酷な発言の根幹は、非情な観察の要因は、妻の嗜虐趣味が一因か。俺の麻痺は、妻の嗜好が遠因なのか!
ならばやはり妻には感謝せねばなるまい。合理的な計算で人命を左右できたのは、妻に可虐を求められたからだ。「謀臣の資質」はここでもゆったりと育まれていたのだ。
俺は妻の快感に敏なつもりだったのに、次第に人の苦痛に鈍感になっていったのだ!
ぱちり、ぱちり。
妻をもう一度愛したかった。
ざ、ざ。ざ。ざ。ざ。
妻の乳房をもう一度含みたかった。
ざ。ざ。ざ。ざ。
精神に雑音が入る。死期近き人の思考とは、こんなに煩いものなのか。
ざざざ。ざざざ。
精神に雑音が走る。死を待つ人の思考とは、こんなに煩いものなのか。
ざざ。ざざざざざ。
嗚呼。
嗚呼!
ざざざざざざざざ。

投稿者 strap : 2005年12月17日 04:51

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