« 自作三国志掌編小説「謀臣の資質」連載開始のお知らせ | メイン | 三国志掌編小説「謀臣の資質」第二回 »
2005年12月16日
三国志掌編小説「謀臣の資質」第一回
もう女に騙されるつもりは無かった。のに。
騙されたのが俺で無いのだから致し方無い。騙されたのは、吾等を囲む歩卒を率いる将、呂布。経験の浅さから、美女には頗る弱い男だ。あの日迄の俺と同じか。
呂布には充分に注意を促したつもりだったが、言葉が足りなんだか。
ざ。ざ。ざ。ざ。ざ。
呂布を手玉に取った悪女を怨む時、俺を裏切った妻の事が思い出される。
俺の自慢だった、美しい妻。俺には優しく思えた妻。
ざざざ。
今思えば、妻が特別ふしだらだった訳では無いだろう。
それでも俺は許せなかった。そして俺は人を斬り、出奔した。
ざざ。ざざざ。
捨てた息子は、今何歳になるだろう。
ざざざざざ。ざざ。
妻を独り占めしていた訳で無い事を知ってから先俺は、毎夜魘されている。
安眠した覚えは無い。
ざざざ。ざざざ。
昔の事はもう、霞んで思い出される。俺は退屈な日々をおくる、只の善良で貧しい、一人の男でしか無かった。
幸せと思っていたか否かは、判からない。恐らくそう勘違いしていたのであろう。妻の愛を信じていた。妻の愛を疑う事は無かった。妻を想う度、今でも心は嗚咽を上げる。
俺の不甲斐無さで、妻は着飾る事が出来なかったが、しかしそれでも美しい女だった。当時の俺の唯一の自慢が、その美しい妻だったのだ。俺は宮廷にいて、沢山の女達を視る機会を得たが、俺の妻だった女と較べる事の出来る女はいなかった。俺の妻程美しい女はいないと、今でもそう確信する。世界中の女の中で、俺の妻が最も美しい。
建寧年間の頃、俺は碁の勝敗が原因で同郷の者と口論になった。
俺は身分も低い士官の次男坊で、当然当時の俺も身分低い、半農の士官の一人だった。俺達の楽しみといえば碁を打つ事しか無く、算数の得意な俺は直ぐにこれに上達して了った。俺が口論になった男は、囲碁の上手を自慢にしている男だったのである。
俺も加減を加えて相手をしたが、しかし狭い範囲での達者な男。真に能れた俺の相手では無かった。俺は経書を黙読しながら相手をしたが、五局打てば五勝し、七番打っても七勝したのである。浜には毎度、溢れる程に石が載った。それ程に実力が違い過ぎたのである。俺が相手の余りの弱さに、「もっと腕を磨いてから名人を名乗りたまえ」と謂って了ったが為、男はその誇りを酷く傷つけられたらしかった。それで男は漏らしてはならぬ秘密を、怒った声で俺に語ったのだ。
「お前は知らぬが儂は、お前と結ばれる前のお前の妻と‥‥‥」
ざっざ。ざっざ。ざざざざ、ざざざ。
ここは暫く記憶が定かでは無い。厭、意識が無かった。
たらり。
気が付いたのは、刃から粘っこい液体が拳に生暖かく纏わり付いてきてからだ。
男は頸部を、右下から跳ね上げられ、切り落とされていた。
俺は右膝を立て、左手を鞘に添えている。
ぬるり。
俺が斬ったのは明らかだった。
どろり。
記憶は無い。が、しかし。何故斬ったのかははっきりと解かる。俺には簡単なことであり、当たり前の理屈だった。
俺の知らない、俺に隠された秘密を持つ妻を、俺はどうしても許せなかった。俺だけを愛した訳では無い妻を、非常に腹立たしく思った。そして、妻が俺だけのものでは無い事を知って、悲しさが溢れた。それで俺は咄嗟に目の前の、俺の知らない妻を知る、妻が情を交わした事のある男を斬ったのである。
男に怨みは無かったし、今でも無い。
これは俺と、俺の中での妻の問題だった。
俺は、妻の俺への愛が贋だと知り、無意識に目の前の男を斬ったのだ!
ぼたり。
事態に気付いた俺は一度、「ヲォーっ」っ、と獣の咆哮に似た叫びを上げると、剣を振り回して男の家を出た。無我夢中であった筈なのに、何故か夕月の暗さと秋風の冷たさを覚えている。それは俺の記憶では無く、後の印象だったのかも知れない。何にせよ、どちらでも好い事である。
俺は本当に妻を愛していた。妻を信じていた。いとおしく思い、妻を自分だけのものだと思っていた。
夜毎、妻を愛撫する事に喜びを得ていた。唇を吸う事が堪らない快感だった。玉門を弄った時に見せるあの恥ずかしそうな表情が、俺は堪らなく好きだった。愛していたからこそ、尻の穴を嘗める事すら厭わなかったのだ。
俺には妻が望む快楽を与える事が、大きな愉しみだった。妻の愉悦の表情が大好きだった。
ざ。ざ。ざ。
俺はこうして出奔した。以来妻は勿論、同郷の者とは誰とも会ってはいない。
ざざざ。
それ以来俺は勃た無くなった。
ざ。ざ。ざ。ざざ。
俺が只、唯、愛を灌いだのに、過去に俺以外の男と妻は情を交わしていた。俺への献身は、唯一の相手への愛などでは無かったのだ。俺は芯から妻を信じていた。決して裏切られる事など無いと信じていた。しかし妻は出逢った頃既に、もう俺を裏切っていたのだ!
確かに、俺と添い遂げてからの妻は俺一人に尽くしたかも知れない。しかしそんな事は最早、俺にはどうでも良かった。俺が潔癖に過ぎるのだろうか。しかし俺は、愛する妻が俺に秘密を持っていたという事が、どうしても許せなかった。俺が妻一人を女と思っていたのに対し、妻にとっての俺は、多くの男達の内の一人に過ぎなかったのだ。俺は悲しさの余り、今でも壁に向かい声を上げる。
良妻は幸せを呉ると云う。悪妻は人を哲学者にすると云う。
ならば俺の知らない過去を持っていた妻は、俺に何を呉たのであろうか。俺が最も、否、唯一愛したあの女性は、俺に何を与えて呉たのだろう。
ざ。ざ。ざ。ざ。ざ。ざ。ざ。ざ。
俺が妻に貰ったのは、「謀臣の資質」である。
人を信じず、人の心を注意深く盗み取り、嘘を見抜こうとする心構え。人を愛さず、冷徹な判断が下せる非情の精神。
この資質を得たからこそ俺は、郎中令という地位に立つ事が出来たのである。
では、俺を謀っていた妻には感謝すべきだろうか?
ざ、ざ、ざ、ざ。
吾が名は李儒。相国を名乗る董卓に、智慧を授けていた男である。
今、女の策の為に身を滅ぼす、智謀の臣。
女の謀略に引導を渡される情け無い策士。
それが俺である。
呂布の部下が今、屋敷に火を放った。
投稿者 strap : 2005年12月16日 01:19
コメント
女に惑わされ、女を軽んじ、そして最後は女を遠因に身を滅ぼした男…最後まで、自らの欲望と思慕に振り回された男には、その輝かしい勲功もそれらの前にどれほどの価値があったのか… ps、擬音を意識的に多様してましたね。
投稿者 月読乾 : 2005年12月17日 22:28
月読乾さん、ご精読ありがとうございます。
第三回を最終回とする予定です。近い内に書き上げますね。
投稿者 ストラップ : 2005年12月17日 23:29