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2005年10月15日

初恋の人の事

僕は推理小説は好きなのだが、正直推理小説のマニアを自称する輩は嫌いである(最初に断っておくが、推理小説ファンには、真っ当な人も大勢いる)。彼らと話す時間は、人生の無駄と言って良いだろう。そして、何故嫌いか、という事には幾つか理由がある。

理由1:本の内容を理解しているか否かよりも、読んだ本の冊数を尺度とし、冊数自慢を始めるから。
理由2:理由1と関連があるが、一度読んだ推理小説は、先ず再読しないから(連中にとって、トリックや犯人のわかった推理小説は、面白く無いらしい)。
理由3:例外無くヲタクだから(プロローグ読んだだけで犯人の目星が付く様な駄作を、傑作と持ち上げたり。というか、頭が悪いから目星が付かなかったのか?)。
理由4:推理小説を読むという行為を、高尚な趣味だと勘違いしているから。

しかし僕が彼らを嫌う一番の理由は、理由5にある。

理由5:論理的思考が出来ないから。

連中は、経験論に基づく推理や、帰納的推測、確率論的推量など、己の不確かな拙い予想を、まるで事実であるかの様に話したがる困った生き物である。一つ例を出そう。
僕も好きな作品集、「シャーロック・ホームズの冒険」に収められた一編に、「ぶなの木立」という短編がある。ここで主人公ホームズは、依頼人であるヴァイオレット・ハンター嬢に対し、随分と親身な対応をする。ホームズという主人公は本来、女性には冷淡な性格であるので、確かにこれは異例の対応と言えるだろう。だが、唯それだけの事である。特に騒ぐほどの事では無い。
しかし、自称推理小説マニア共の妄想はぶっ飛んでいる。この事実一つをとって、

ホームズの母親の名がヴァイオレットなので、ホームズは肩入れした
と、自信たっぷりに断定するのだ。根拠薄弱とは将にこの事である。演繹的思考とは、こういう物では無い。精々が、検証前の仮説という程度であろう。

さてここからが本題なのであるが、実際に上の様な事はあるのか?という疑問がある。

ホームズの例を、「仮説に過ぎない」と否定していて何だが、実は僕にも(仮説のホームズと)同じ様な気持ちが実はある。初恋の人と名前が同じだというだけで、その女性に優しくしてしまった事は何度もあるのだ。

魯迅「故郷」で少し触れたが、人は初恋、そして初恋の人を美化する傾向にあるかも知れない。理屈っぽいと人に言われる僕でさえも、例外では無いのだ。初恋というのは、生涯に唯の一度しか出来ないのであるから、特別な事に変わりは無いだろう。しかしそれだけの理由で、人は初恋を美化するのだろうか?それは、「成就しなかった」という事よりも、遠くを懐かしむ気持ちからだろうか?少年時代の淡い気持ちを、僕は稀に思い出す。

人は自分を好きになってくれた人を好きになり易いのかも知れない。僕も、彼女が僕を好きになってくれたから、彼女を好きになった。他の男達と違い、ちやほやしなかったし、美人に過ぎる彼女に諦めていたから、下心の無い分普通に接していた。だから僕の事を好きになってくれたのだろうと思う。彼女とは、手も繋いだ事は無いが、一時心は通ったと信じている。彼女が僕を好きだと言った言葉に嘘は無いと思う。
しかしそのすぐ後に、彼女は人に頼まれて、別の男とデートをした。僕はお付き合いをしていた訳でも無いのに裏切られた気持ちになってしまい、以後彼女を無視するようになってしまった。恋が成就しなかったのは、僕の狭量が原因と言える。子供の考えというより他は無い。

僕はずっと、上記の様な理由からその人を酷く嫌っていて、まぁそれが今に続く僕の女嫌いの遠因な訳だが、その為に、(成人した後)彼女から求められた助けに(無視をして)手を差し伸べる事をしなかった。
当時、僕にそれ程の力があった訳では無いから、それを僕の責任だ、という傲慢迄は言わないが、その後の彼女が幸せか否かという問題については、大いに疑問がある。微力であろうとも、何らかの支えにはなれた筈だ。二年の後、彼女の噂を聞いた僕は、それ以後、彼女と同じ名の女性には意識せず、優しくなってしまった。
行きつけのバーのマスターは、僕のこの話を聞き、自分も初体験の相手と同じ名の女には不思議と優しくしてしまう、と言った後、
「美人だったんだろ?」
と僕に聞いた。僕が、「ええ、まあね。あれ以上の美人は知りません(会えばがっかりするかも知れないが、僕の中では永遠に美しい人である)」と応えると、
「だったら心配するな。美人なら金持ちがちゃんと、お前さんより巧く世話しているよ」
と、言ってくれた。事実はそうかも知れない。そうであると願いたい。

又逢いたいとは思わぬし、例え遇っても僕がしてやれる事は何も無い。しかし好きだったのに、意地になって助けてやらなかった事には悔いが残る。その悔いも、僕が彼女を未だに思い出す遠因であろうか?思い出した日は、どうしても一杯のバーボンが必要になる。

そんな事を考えた後に書いた作品が、呉書シリーズ3 故国である。無意識ではあったが、于禁の望郷の思いは、僕の恋心がモデルなのだと思う(作品自体に関しては、呉書シリーズの新作をupしました。で解説)。

投稿者 strap : 2005年10月15日 00:14

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