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2005年10月13日

三国志と筑紫歌壇

以前、三国志と大宰帥大伴卿でも紹介したが、大伴旅人は、何らかの書物から、三国志の時代の事を知っていた様である。これは三国志自体を読んでいた、という事では無く、それを引用した書物であったり、又別の書物である可能性もある(大宰府に「三国志」や「後漢書」が収められるのは、旅人の時代より後)。旅人は、三国志のメインキャラクターに全く触れてはいないから、三国志自体は未読だったと考える方が妥当かも知れない。例えば、酒を讃むる歌十三首の内の一つである、

酒の名を 聖とおほせし 古への 大き聖の 言の宜しさ
という作品は、三国志魏書徐バク伝をモチーフにしているが、これも三国志の中ではあまり注目されている部分では無い。

さて、筑紫歌壇といえば、もう一人忘れてならないのが遣唐使でもあった、山上憶良である。
今回はその憶良の作品に華陀(作中は華他)について書かれた部分を発見したので、部分的に紹介する。
問題の作品は、万葉集巻五の、「山上臣億良、熊凝の為に志を述ぶる歌に和する一首併せて短歌」の内の一つ(886)にある「沈痾自哀文 山上億良作」にある。

「華他字元化、沛国ショウ人也。若有病結積沈重在、内者、刳腸取病、縫復摩膏、四五日差之(華他字は元化、沛国セウの人なり。若し病の結積沈重したるが、内に有る者在らば、腸を刳りて病を取り、縫復して膏を摩ること、四五日にして差ゆ)」
尚この作品には、後ろに
「魏文の時賢を惜しむ詩に曰く……」
というセンテンスがあり、憶良が曹丕の詩を読んでいた事が伺える。ちなみにこの「惜時賢詩」という曹丕の詩は(万葉集の解説によると)現存していないとの事である。

唐と交流していた時代は、多くの支那の文化が本邦に流れ込んできた。当時の知識人達は、それに触れる機会があったのだろう(若しくはそれに触れる事が出来た者を、当時の知識人と呼ぶべきかも知れない)。

投稿者 strap : 2005年10月13日 12:01

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