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2005年08月25日

英雄と名将の立つ風景 第六回

斬れる者が居らぬのだから、華雄を討つ事に拘るべきでは無い。
華雄は昔の戦いで気管をやられているらしく、いつも苦しそうに咳をしている様な男である。しかしそれでも武勇に優れ、今の連合軍では誰も相手をする事が出来ない。「見えざる手」と渾名される程にその動きは奇抜であり、変則的であり、そして素早い。故に、華雄を斬る事に、固執すべきでは無いのだ。
弟を斬られて以来、そう司隷校尉鮑宣八世の孫、鮑信は考えていた。弟の鮑忠に勝る者は、夏侯惇以外に思い浮かばないし、その夏侯惇でも良くて五分というところだろうと思う。陶謙配下の歩隊将曹豹も強いが、夏侯惇には劣る。又、顔良、文醜と世間では騒ぐが、これはとんでもない話である。この虚名だけの二人を態々と斬らせて、徒に敵の士気を上げるのも莫迦な話だ。
さて、今日も汜水関の前では華雄が勝負を求めて声を張り上げている。鮑信達は相も変わらず軍議を開き、対応を協議していた。
鮑信としては実に莫迦莫迦しいと思う。何故、斬れもせぬ華雄を斬る事を話し合うのか。斬れるのならば斬るのが一番良いが、斬れぬのだから他の方策を協議すべきでは無いかとそう思う。諸将の言いは現実的では無いとこう思う。
しかし、鮑信がその戦略眼を頼みにする曹操までが、何故か華雄を斬るべきだと頑強にそう主張するので、鮑信は何も言わずただただ目を閉じて、群議を聞くのみであった。
誰を出すべきかで長い事話をしているが、魔人の如き華雄の強さが解った今、諸将皆、部下を向かわせたくは無い。その為醜い擦り合いが続く。鮑信は苛々と募る怒りをそのままじっと耐え、静かにそれを聞き続けた。
その見苦しい擦り合いを見かねて、部下である王朗が、
「この度はそれがしが行きましょうか」
と鮑信にこっそりと言う。しかし鮑信としては冗談ではないという気持ちだ。
王朗は突撃戦術に優れた指揮官である。この様な所で殺すのはあまりにも惜しい。第一、鮑信は既に弟の鮑忠を失っているのである。何故、今又己が部下を差し出さねばならぬのか、という気持ちがやはりある。
それで、
「気持ちは嬉しいが、お前が臨んでも勝てる相手では無い。お前を活用する場所は別にある。今お前をここで失うのは余りに惜しい」
と諭し、
「今は黙って控えて居れ」
と謂った。
それを隣に座っていた曹操も聞いていたらしく、
「王朗。今日はちゃんと用意してある。安心して下がっていて良い」
と笑う。鮑信が訝しげに見ると、その司馬の夏侯惇が、
「心配ご無用」
と、真面目な表情で頷いた。
とは言え、場は全く収拾がつきそうにない。
「どうする、孟徳」
それで、鮑信は曹操を見る。すると曹操は、
「そろそろかな」
と言って口髭を撫でた。
その時。
その時、場の末席から大きな笑い声が聞こえた。
「貴様、何が可笑しい!」
袁紹の叱責が、末席の男に飛ぶ。その男は劉備という男の後ろに控えていた。
真っ黒い戎衣に身を包んだ髯の美しい大男である。筋骨逞しく、一見して腕に覚えのある者と解る。
「華雄の如きを斬れぬと右往左往。これを嗤わずして何を嗤いまする。それがしが参れば華雄の素っ首など、直ぐにでも落として来てご覧にいれますものを」
男は自信に満ちた顔でそう答えた。慌てる劉備の後に同じく控える二人の男も、同様に自信に満ちた顔をし、劉備を宥めている。
「控えよ下郎!」
「我等が華雄に遅れを取ると申すか!」
顔良と文醜の二人が怒号を上げるが、しかしこれには曹操が応えた。
「貴様ら二人では役不足であるから、誰も貴様らに行ってくれなどとは言わなかっただろうに」
「孟徳、貴様口が過ぎるぞ!」
と袁紹が立ち上がる。
「過ぎたらどうなると言うんだ。貴殿にはどうせ何も出来まいて」
曹操はしかし悠然と挑発を続ける。それで袁紹は、
「顔良、文醜。奮武将軍を取り押さえよ!」
と興奮して叫んだ。曹操の言葉は、袁紹を本気で怒らせてしまっている。鮑信は心配に曹操を見上げるが、しかし曹操は
「大丈夫だ」
と小声で述べた。
曹操を捕らえようと、二人の大男が向かってくる。この二人の前に、夏侯惇が素早く、しかし悠然と立ち塞がった。
夏侯惇は殴りかかってくる文醜の右手を内から左手で掴み、外側上方に捻じり上げると腰を少し落とし、短く振った右拳を文醜の左脇腹に叩き込んだ。振りは短くても夏侯惇は剛腕である。文醜は、鉤状に折れ曲がりながら僅かに宙に浮き、その儘額から地に崩れる。
夏侯惇はそれが地に完全に崩れる前に一歩進み、驚く顔良の双肩に左右の手を置く。そして後に倒れぬ様に確りと掴んで、引き倒しながら顔面に鋭く頭突きを放った。
軍議を開く天幕は広いと雖も、暴れるには多少狭い。そこには中央に僅かな空間があるに過ぎないのだ。しかし夏侯惇はそれを考慮して、しかも簡単に二将を沈黙させてしまった。並大抵の力量では無い。今、一方はうずくまった儘嘔吐を続けているし、一方は半ば失神した儘鼻血を垂れ流している。鮑信は改めて夏侯惇の強さを認識する事になった。そしてこの時になってやっと気づいた事であるが、曹操の部下達は皆、夏侯惇を信じて冷静な眼で座っていた。曹操の配下それぞれにある信頼関係の、強い事に気付き、改めて曹操を尊敬し直した。
二人の失態を見て、袁紹がわなわなと震える。場は水を打った様に静かになった。誰も曹操を咎める者は無い。
「もう宜しいかな?」
と曹操が嘲笑う様に言った。袁紹は悔しそうに押し黙り着席する。
「話を元に戻すが、誰が往くか決まらぬところにこの男は名乗りを上げたのだ」
と、末席の男を見る。そして一度全体を見渡して話を続けた。
「往かせてみれば良いではないか。此奴一人斬られたところでこちらは痛くも痒くも無い。本当にこの男が大言通りの仕事をしたならば、それはそれで好都合というものだ」
一同は静まり返った。
「良し、決まりだな」
と曹操が言う。そして
「お主、名は?」
と、男に曹操が名を問うた。
「劉玄徳の一軍候、解県の関羽」
男が名乗り、立ち上がる。
「先ずは一杯呑んで往かれよ」
と、曹操が燗を飲ませようと勧めると、男は
「それは、華雄を斬った後の祝杯と致したい」
と言う。そしてその儘偃月刀を掴んで外に出た。

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投稿者 strap : 2005年08月25日 02:46

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