« 三国志の歴史的事実と、三国志小説 | メイン | 三国志博物館@wiki »
2005年07月23日
魯迅「故郷」
僕の部屋に、奇妙なCDが一枚ある。ロシア語で歌われたザ・ビートルズのCDだ。
といっても、ドイツ語で歌われた「抱きしめたい」の様に、ザ・ビートルズ自身の演奏によるものでは無く、ロシア人によるザ・ビートルズのカバーCDである。1994年に発売されたものであるようだ。ロシア語が堪能な親友によると、本邦には恐らく数枚しか入ってきてはいないという、貴重なCDだという。その情報の真偽はさだかではないが、珍しいものである事には間違いないだろう。「MEL CD 60 00628」と、番号が打たれている(「メロディカ」というレコード会社から出されている。同社はソビエト連邦時代、ソビエト連邦唯一の企業であったそうだ)。バーコードの番号は、「4600317006281」。興味のある人は調べてみてほしい。全15曲であるが、前期から後期までを幅広くコピーしたCDで、ザ・ビートルズファンの友人にもなかなかの好評であった。
さて、このCDを聞いても、「フチェラー」が「昨日」という意味である事しか判らなかったロシア語の出来ない僕であるが、改めてザ・ビートルズの楽曲というものを再認識させられた。ザ・ビートルズの音楽の魅力は、演奏技術などよりも、その曲自身の持つ美しさに依存している事は、多くの人が唱えるところであるが、僕もそれをやっと認識した訳である。このザ・ビートルズのカバーCDに納められた曲の内では特に、「エリナ・リグビー」と、「イン・マイ・ライフ」が素晴らしい。
ザ・ビートルズの「イン・マイ・ライフ」は、望郷、というか、昔を懐かしんだジョン・レノン(尤もポールは自身の作品と主張)の手による楽曲で、そのメロディラインの美しさは、ザ・ビートルズの楽曲中でも一、二を争うものだと僕は評価している。原曲では、ジョージ・マーティンによる中間部のピアノソロが随分と印象的な作品で、ラバー・ソウルに収録されている。
「イン・マイ・ライフ」で歌われているテーマは、楽しかった思い出達であり、その懐かしさを優しく表現したザ・ビートルズの名曲の一つである。昔を懐かしむ気持ちを持つ事は、万国の人に共通の気持ちであろうから、世界中で親しまれる曲でありえるのだろう。
さて、これと同じテーマで書かれた短編小説が、魯迅作品にも存在する。尤も魯迅作品であるから、美しくも無ければ、優しさも無く、主人公は現在の故郷を知り、残酷にも思い出に幻滅させられてしまう。魯迅は、「思い出の美しさは飽くまでも個人の胸の中にだけある」という事を表現したかったのだろう。
主人公である魯迅は、二千余里を隔てて二十余年も離れていた故郷に帰郷する。
主人公である魯迅は先ず冒頭で、故郷の風景に幻滅するが、これは始まりに過ぎなかった。子供の頃親しく遊んだ使用人の息子閏土は、現在主人公の家の使用人であり、気軽に声をかけてはくれない。幼い頃美人と評判だった豆腐西施という女は、実に醜陋で厭な女である。そして閏土は、主人公の食器を盗む程に、生活が逼迫していた。
恐らく主人公である魯迅は、閏土が食器を欲しいといえば、気にもせずにあげたであろう。実際、欲しいものがあれば言えと謂っているのである。にも関わらず閏土は藁灰など農家である自身の家には沢山あるものを貰い、その灰に食器を隠して盗み出そうとした。盗みを働いたこともさる事ながら、閏土がそのプライドの為に、己に本当に欲しいものを言わなかった事に、主人公である魯迅は落胆するのである(わざわざ書いているのがその証左であろう)。二十余年の歳月は、主人公である魯迅が想う程に短くはなかったという事だろうか。この事件により、魯迅の故郷への幻滅は、決定的なものとなった。
魯迅の「故郷」は、過去を過剰に美化した自分に気付く静かな短編小説で、魯迅作品中でも一、二を争うものだと僕は評価している。最後の離郷のシーンが随分と印象的な作品で、吶喊という作品集に収められている。
「故郷」で書かれているテーマは、楽しかった思い出達への決別であり、その幻滅を静かに表現した魯迅の代表作である。ちょうどそれは、幼い頃に恋した女性との対面の様なもので、恐らくは想像してた程にその人は美しくは無い、といった事に似ているだろう。思い出への幻滅は、万国の人に共通する経験でありえるだろうからこの作品は、世界中で親しまれる作品でありえるのだと僕は思う。
投稿者 strap : 2005年07月23日 11:04
コメント