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2005年07月16日

三国志の歴史的事実と、三国志小説

他の方はどうであるのか知らないが、三国志小説というのは当然、三国志を学ぶ為の文章では無いと、僕は認識している。書き手の多くは三国志の研究家などでは無く、そので披露される新説は、決して論証される様なものでは無い。例え歴史的事実を忠実に再現しようとしていてもそれは、飽くまで主義主張を表現する為の文章であったり、娯楽性を求めた文章である。ここを勘違いして、「お偉い作家が書いているから、事実はこうなのだ」などと勘違いしてはならない。そう、僕はそう思う。必ずそこには脚色があり、歴史的事実とは考えられない事も書いてある。

又、その小説を読んで、それを作家自身の歴史認識だと考えてもいけない。
作家は物語を面白くする為、又は主義主張を印象付ける為、異説を知りながら無視したり、考える事実よりも作品としてのクヲリティを優先したりするからだ。

 
ノンプロである自身の作品で恐縮だが、一例を挙げたい。

僕は自作の中で、

この年は計四度の改元が施行された。
陳宮が曹操と出会うのはこの頃である。この時、曹操三十五、陳宮三十七であった。
と書いたが、陳宮を曹操より年上だとは考えていない。それは呂布伝に呂布の妻の言葉として、曹操が陳宮を「息子の様に」愛したと記述があるからだ。この記述から察すれば、曹操よりも一回り若いと考えるのがだとうであろうと思う。ここでは作品のイメージの為に、陳宮を曹操より年長に設定したに過ぎない。又、
この時中牟の県令をしていたのが陳宮であった。
この時陳宮の下で功曹という役にあった任峻が、逃亡者が曹操である事に気付き、天下の俊傑を拘留するは宜しく無いと陳宮に進言した。
と書いたが、陳宮が中牟の県令を務めていたと記述するのは、小説である三国志通俗であり、とても歴史的事実とは言えない。曹操に気付き、県令に逃がせと進言する功曹も、任峻とは何処にも書いては無いし、任峻であったとは考え難いだろう。

自作呉書シリーズ1)白沢図などは「捜神記」にある記述に因ったが、どう考えたって、歴史的事実に基づいてはいない。確実に作り話だ。

この様に、意図的に己の歴史認識とは違う事を書く事は多々ある。
だから作品を読んで、それを事実と考えないのは無論の事、「この人の中での三国志はこうなんだな」などと考えてはいけない。飽くまで作品なのであるから。

 
以下追記(2006/01/17)

面白い記事を見つけたので紹介しておく
http://tosa-toad.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_91d2.html
小説と歴史的事実の区別のつかない人々について述べてある。

投稿者 strap : 2005年07月16日 08:38

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