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2005年06月28日
プライド 中島敦作品の登場人物
彼の「臆病な自尊心」もまた、この途を選ばせたものの一つに違いない。のっけから部分引用で恐縮であるが、上記は「狼疾記」の一説である。この後に、
自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖がと、主人公である三造の性格を語る。
作品「李陵」において主人公である李陵は、
確かに無理とは思われたが、輜重の役などに当てられるよりは、むしろ己のために身命を惜しまぬ部下五千と共に危なきを冒す方を選びたかったのである。と、兵站輸送を軽視し、
臣願わくば少を以て衆を撃たんなどと謂ってしまう。「悟浄出世」での観世音菩薩摩訶薩の言葉を借りれば、
これを至極の増上慢といわずして何といおうぞ。という事になるだろう。結局李陵がどうなるかは、作品の(史書の、歴史の)示すとおりである。
中島作品の登場人物の多くは、人よりも優れるが故にプライドを持ち、自信があるが為に何らかの失敗を犯してしまう。
自信があるが故に、その弱気の為(一見二律背反するが、彼らは自信はあるが、それが絶対的では無いが故に弱気になってしまうのだ)能力を活かす事ができなかったり、己の能力に頼る事が大きすぎて、過剰な負荷に潰れてしまったり。
この、「プライドのある人」という中島作品の一連の登場人物の中でも特に僕が注目したいのが、「山月記」の李徴である。「狼疾記」の三造とは違い、己の才能に絶大な自信を持つが故に、平穏を捨てチャレンジし、夢破れた男の物語である。双葉の頃より芳しと、幼い頃からその神童振りを謳われた中島は、李徴の様なチャレンジを何度も考えた事だと思う。しかし同時に、三造のようにひっそりと生活する事で、李徴の様な結末を回避しようとも考え迷ったのでは無いだろうか。僕が考える中島作品全体のテーマは、、
才能ある人が世に認められない悲劇と、
少しの才能を元手に賭けをした為に失敗する人の憐れでは無いかと思える。そして中島自身としては、自信のある自身の文才が、
真に優れたものであるのか、
世間の人と較べれば上という程度で、プロとしては通用しないものであったのかは、判断つかなかったであろうから、結局は対の問題であったに違いない。己の能力を真の意味で客観視する事など、誰にも出来ないからだ。例え真に客観視を出来たとしても、白か黒かを判定するならば、その結果が疑心暗鬼を生み、己の客観性を疑うだろう。
中島作品を読んだ時思う事は、中島が真に優れた作家であるという事だ。
漢文調の格調を作りながら、それは下し読みのような平坦なものでは無い。「擬似」漢文調とでも言うべき作風である。リズムを整え崩し、ハードボイルドの手法で人物の心理描写をする手法は見事である。作品「李陵」は、「漢書 卷五十四 李広蘇建伝第二十四」等を下敷きとし、筋も内容も多くは変わらぬが、それが一流の作品となっている。
東京帝国大学国文科、同大学院と、文学論を研究していた中島敦にとって、自身の文章が衆に優れたものである事が、理解できなかった筈は無い。しかしそれでも尚、彼は自身の作品に絶対の自信を持っていなかった節がある(雑誌社に伝手のある人に原稿を預けますが、大切な原稿だからと直ぐに取り返しにいったり)。
山月記を読んでいると、そこに書かれた李徴は、中島敦自身が恐れた、もう一人の中島敦自身の姿なのでは無いかと思う。
己の才を信じ、安定した生活を捨てて夢を追ったものの、名を得るには指一本届かず、空しく散り敗れる男の哀れ。なまじプライドがある為に、賭けに負けた己に情けなくなり発狂してしまうその思い。
「もしもこの道で立つ事が出来ぬなら」
と思う、作家を志す人の不安が書かせたような作品だという気がしてならぬ。
誰もが指摘するように、三造自身は中島敦本人がモデルなのだと僕も考える。
そして、三造の言葉は全てが中島敦の気持ちと合致するわけでは無いかも知れぬが、間違いなく
「臆病な自尊心」のくだりは、中島敦自身の考えであったのでは無いかと推測する。
我々は、中島敦の残した作品の少なさを残念に思い、それを悲しむ。
それは無論、中島敦という才能を認める事が出来なかった文壇や出版社の責任だとは思うが、中島敦のその性格にも起因するのでは無いかとも考える。
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投稿者 strap : 2005年06月28日 00:39