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2005年06月07日
三国志と大宰帥大伴卿
万葉歌人の代表を挙げれば、誰が挙がるだろうか?
無論、額田王や、人麿、赤人等も代表的歌人であるが、憶良や家持を挙げぬ人は先ずいないだろう。
大伴旅人は、山上憶良の上官であり、大伴家持の父であり、自身も万葉集を代表する歌人である。
正三位となり都にかえるまでの四年間、大宰府に在り、父安麻呂も勤めた大宰帥という軍事の長を務めていた。一説には、藤原氏に敬遠された為の左遷という。都人にとっての九州では、酒を飲まねばならなかったのだろう(併し彼は筑紫が好きになった様で、後年筑紫の棚引く雲を思い出した作品を作っている)。
彼は天忍日命の子孫であり、名家の当主に相応しい知識人で、当時の知識人には必須であった支那の文学に深く精通していた。彼の代表作である
験無きもの念わずは、一杯の濁れる酒を飲むべく有るらしには、劉伯倫(竹林の七賢の劉伶)の影響が見られると、専門家は分析している。僕は未読だが、劉伯倫の「酒徳頌」の影響が大きいらしい。「酒を讃むる歌」と、「酒の徳を頌む」では、そのタイトルは確かに似ている気がする。
又、
古への七の賢しき人どもも、欲せりし物は酒にし有るらしと、竹林の七賢をそのまま作品に出した例もある。彼は左遷されたとはいえ、顕職にはあったから、自由に生きる(勇気がある)彼らに憧れたのかも知れない。
彼の作品がそのモチーフとした事で、、広く世に知られる様になった呉書の人物もいる。
中々に、人に非ずば酒壷に成りてしかも酒に染みなむこれが誰をモチーフにしているのか。それは一度人物紹介 鄭泉で紹介したので、二度は書かない事とする。
投稿者 strap : 2005年06月07日 00:37
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