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2005年06月12日
三国志と囲碁(1)
劉備の師、盧植の師である馬融は、囲碁に精通していた様で、「囲棋賦」という手引書を残しています。
又、現存する最古の碁盤は河北の古墳から出土し、この古墳が副葬品から光和五年のものと判明しました。安徽省の曹氏墓地からも、百十七の松緑石の方形の碁石が発掘されています(透明に近い石が白、濃い色が黒)。
そういう訳で後漢から三国時代にかけて囲碁は大流行した様です。
「武帝紀」に引く「博物志」では、曹操は山子道、王九真、郭凱という高名なプロ棋士達と同レベルの腕前であったと書かれていますし、魏の文帝曹丕が、弟曹彰を毒殺するのも対局中です(これについては、三国志と囲碁(3)を参照の事)。
傍目で見ていた王粲が、大局者が不注意で盤の石を崩した際、それを元通りに直したともあります。
建安七子では他に、孔融が碁に長じていた様ですし、応ヨウは「弈勢」という囲碁の理論書を書いています(弈は囲碁の意味。碁の字は隋代以外では一般的には用いられなかった)。応ヨウの「弈勢」は三論と呼ばれる書ですから、この時代には高度な勝つ為のテクニックが磨かれていたのでしょう。この時代は、囲碁の歴史の中興期にあたる様です。
当時の囲碁のルールは現在とは違い、先ず置き碁でした(これは清代の末までそうでした)。盤は十七条十七路で、、白番から先に打った様です。又、中国の囲碁は、上げ石を全く計算しないようで、その代わりに盤上に残った石を全て数える様です。無論コミのルールはありませんでした。
当時の囲碁のルールに関しては三国志と囲碁(4)参照。
投稿者 strap : 2005年06月12日 11:11
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