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2005年05月15日
三国志を題材とした短編小説を執筆する前段階の事
ありがたい事に、三国志ニュースからトラックバックを戴きました。そしてそれを読んで、誰しも思い悩む事は同じだなぁと、共感をもちました。難しい問題ですね。
さて、前述の三国志ニュースの執筆者も書かれていますが、
史実と伝承をどのていどの割合で混在させ、そこにどれだけの創作、独自の解釈を加えるかという事は、シナリオハンティングの時点で考えます。
他にも、「人物の魅力優先」か「物語優先」かだとか、「一人称」か「三人称」か。「プロットの段階で悩む事はあると思います。又、現在進行若しくは至近過去」か、「過去形」の文体かなども考えるべき要素の一つですね。
僕はそれに加えてもう二点。
一つは、文体の硬軟の問題です。簡単に文例を。
・戦争って、速く動くのが良いんだって上記の四つでは、同じ内容ですが全く印象が違います。尤も、最上段の幼稚な文体を使う人はいないでしょうが。
・戦争には、スピィディな用兵が求められるそうだ
・軍事に於いては、素早き用兵が求められるという
・兵は拙速を聞く、と云う
上にある程読み易くなり、下がる程、雰囲気出て格調高くなります。口語ではなく文語などを用いると、さらに格調高くなります。三国志を題材とした作品ですから、ある程度の格調は欲しいものです。しかし格調を意識しすぎると、馴染みの無い文章になってしまいますので注意が必要だと思います。自分が作品にイメージするところに近い硬さを、見つけて書かねばなりませんね。
もう一点は、読者層の把握です。
つまり、三国志を知らない人にも読ませるか、予備知識の無い人を捨てるか。
説明を書きながら面白く書くのが腕なのでしょうが、できれば劉備、張飛といった良く知られた人物の説明は割愛して、スッキリしたいところです(一般の人が知っている三国志の人物は、曹操、関羽、諸葛亮、鄭玄位でしょうか)。
三国志ファンしか読まないと判っていれば、最初からこれらの説明を省く事ができます。
自作白沢図でも、
諸葛瑾の長男、恪は、字を元遜と云い、博識碩学にして賢哲、口給能弁。世にある万千の書物に通じ、それら全てを諳んじ、解説する事ができた。若年の頃より才名が高く、後の従中張休、平尚書事顧譚、偏将軍陳表らと共に、太子孫登に道芸を講論し、それと同時に賓友として遇されていた。又籌略のみに勝れた父とは違い、恪は緯武経文。体躯に能れ、乗馬を好み、前線指揮に於いても類い稀なる力を発揮できた。後には全軍を率い、巨大な戦果を揚げる人と成る。体毛は薄く、鉤鼻で額は広く、口は大きく、声量は大きく高かい。彼は確かに自信家ではあったが、颯爽とした立ち姿の若々しい男であったと、私は記憶する。と、諸葛瑾の説明を省いて諸葛恪を解説していますし
黄武年間の頃、蜀の費という昭信校尉が使者として呉を訪れた際、これとの問答を担ったのも恪であった。この費某は、彼の叔父の後継者の一人と目された事もある人物で、後に蜀の大将軍となったと聞くが、魏よりの降将に刺されたとの噂も耳にした事がある。という一文は、三国志を知らねば何が書かれているのかも良くわからないでしょう。
又、三国志ファンが読むと判っていれば、わざとチョイ役の名前は字でしか書かず、経歴などを少し書いてクイズにするという楽しみもあります。
自作白沢図でも、諸葛恪について語る人物を「伯先」とだけ書き、名を明かさずクイズ形式にしました。なかなか面白い試みだったと思います。
投稿者 strap : 2005年05月15日 22:40
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