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2005年04月04日

さて、早速執筆再開

図書館用とは別に書き始めました。

曹公自身も必死となって衆将の作りし突破口を北北西に脱し、洪湖沿いに江陵を目指したが、付き従う兵卒は既に一万に満たず、馬も数頭しかいなかった。糧餉も無ければ弓箭も無く、幔幕帷蓋も携えていない。追撃を恐れれば休息も出来ず、満身創痍の躯を引き摺って前進するより外無かった。劉備の軍は本戦に関っていない以上、必ずや退路を脅かす筈である。士卒は皆、これを疑わず、確信していた。この確信が、辛うじて彼等に軍としての体裁を保たせていた。 遠くに見える河岸は赤々と燃え上がり、冬の夜空に熱風を吹かせている。地上の明りの為、凝視せねば星は見えず、立ち昇る烟雲に弦月は隠されていた。 敗走する内、分岐点に接し曹公は言った。 「劉左が兵を隠すならば、この辺りか。今、我が往く手には二筋の道あり。手勢を考えれば、一方にしか伏せる事は出来はすまい」 緒将は頷いた。曹公は続ける。 「一つは荊山大路である。もう一方は、細く嶮しいが短き○○路である。今、小路の山手に糜を炊く煙が立っておる」 「なれば荊山大路へと向かうか」 と、盲夏侯が訊ねると、曹公は首を横に振り答えた。 「否。兵とは詭道である。虚にして之を実に示し、不要にして之を要に示すもの。畢竟、虚に見ゆるが則ち実にして、虚に見えるざるが則ち虚である。疑う事少なければ、必ず敗れる」

こんなシーンです。どこかわかりますか?

投稿者 strap : 2005年04月04日 23:39

コメント

周愉と曹操が戦った時曹操が負けて逃げてるとこかな?

投稿者 風間先生 : 2005年12月08日 13:06

風間先生、始めまして。
そうですね。○○の中身は「華容」です。
ちなみに言われる人物は周瑜ですね。


後漢、建安十三年戊子の年。曹公は九月に荊州を制圧すると、同年十二月、烏林に至った。曹公の軍は、水陸合わせて二十万の士卒であり、迚も適わぬと孫権は怯え震えるばかりで、降服を検討するのみである。又その臣下にも、抗戦を唱える者は唯の一人も無かった。併し、左将軍劉備の幕僚、策士諸葛亮が澱み無き弁説に依って妙策を授けると、智慧無き人々の気持ちも固まり、俄にこれを迎え撃つ次第となった。策士諸葛亮曰く。「赤壁は堡に非ず。寸陰惜しむべし」と。策士諸葛亮は決戦の近きを識り、軍備を整えさせた。
折しも、ここに於いて大疫があり、吏士に死する者が多く出た為、曹公は撤兵を開始する。この為、勢い付いた孫権の軍は対岸の赤壁より急襲し、卒に茅の輪を持たせ、長江北岸の軍営を悉く焼き討ちにした。後世の歴史家が言う赤壁の鏖兵とは、この事である。策士諸葛亮の調達した潤沢な物資の為、休む事無く攻め立てる。この為曹公の軍は士気瓦解し、惨敗した。

投稿者 ストラップ : 2005年12月08日 16:47

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