2005年04月30日
陳倉城攻防戦(4)
陳倉城攻防戦の続き
さて、このカク昭という人は、どういう人だったのでしょう?
カク昭には本伝も無く、魏書明帝伝に名を残すだけの人物です。
生年不詳(没年は正確では無いが、陳倉城での攻防戦から間もなくとある)。出身地は太原郡であったようです。
彼は策士諸葛亮よりの使者靳祥を、弁舌によって退ける能弁家です。
策士諸葛亮は、雲梯や衝車などの攻城兵器や、坑道戦まで仕掛けて陳倉攻略を試みますが、カク昭は適切な処置をし、陥落させる事はありませんでした。つまり、防衛戦の大家であった事が伺えます。
又、緊急時は、墓を暴いてまで物資を調達する合理主義、先祖崇拝の否定(反儒教思想)。薄葬を願う節葬思想。
能弁、都市防衛のエキスパート、合理主義者、反儒教、節葬。
彼は何かに似ている気はしませんか?
投稿者 strap : 2005年04月30日 15:24