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2005年04月25日
囲碁と三国志小説の執筆
後漢時代の文化、風俗(囲碁編)でも書きましたが、僕は囲碁のシーンが好きなのですよね。
効果的に人物紹介ができると思います。
私の呂布シリーズは、こんなシーンから始まります。
陳宮の惨敗であった。 決戦場への戦力の集中投入と、攻勢の激しさは賞賛に値したが、それは飽くまで局地戦に強かったというだけで、陳宮に大局観は無く、地を大事にしてはいない。彼が戦況に影響は無いと判断した左辺の変化が、局面を一変させた。 「手は厚い。攻めは鋭く、理にも適う。かと言って打ち過ぎもありません。唯、視野の狭窄が問題です」 と、陳宮の顧問を勤める棗祗は謂った。 陳宮は駄目ばかりの十七条十七路の盤を再度見た後に、黒々と石の積まれた棗祗の浜を見る。序盤は確かに陳宮が優勢だったのだ。 置き石と右上隅の布石に始まる陳宮の打ち筋は、能動的に形を作る妙手好手の連続で、新しい定石を開発したかの様であった。併し中盤、棗祗は陳宮の苛烈な攻めを凌ぎきると、左辺から中央にかけ軽々と地を確保し、簡単に押し戻した。そして終盤になれば、上辺から右辺にかけて展開した黒の大石を中央と隅の二方から分断し、瞬く間に潰して了ったのだ。結局した時、陳宮の地は右下隅に僅かに存在するだけであった。形勢判断力や読みの深さもさる事ながら、その集中力の持続に陳宮は感嘆した。それに引き換え自分は情けないと思う。 陳宮は外の霧雨を一瞥する。霧雨の作り出す鬱々とした景色が、陳宮には重苦しく感じられ不快であった。 「常に忠告致しておりますが、急場よりも大場を観る事が重要です」 と、几帳面に駄目押ししながら棗祗は忠告をした。陳宮の戦術家としての素晴らしさを表現する事に繋がる大事なシーンです。又短いシーンですが、曹操の軍で後に屯田制を強く推進する棗祗の几帳面さ、大局観等も出てはいないでしょうか?
ちなみに僕の陳宮、弓に適した様に右利きです。作中利き手、利き足、利き目に関してはかなり長く喋らせますが、ここでも右利きを強調したちもりです。
右利きが過ぎるから、左辺に気が廻らないのですね。
投稿者 strap : 2005年04月25日 00:35