2005年04月22日
陳倉城攻防戦(2)
(陳倉城攻防戦(1)の続き)
前回も書きましたが、この戦いは策士諸葛亮という人を軍人として分析する時、最もその特徴が出た事件だと考えます。
八月、周鮑の偽降の為、曹休が陸遜に大敗すると、魏はその対応に追われてしまいます。
このチャンスを見逃さないところが策士諸葛亮の策士たる所以でしょう。十一月には大軍を以って北上を実行。箕谷を経由して散関を越え、陳倉城を囲みました。
この時陳倉城には千人ほどの兵力しかなく、蜀は数万を数える圧倒的多数でした。
策士諸葛亮という人を、抜け目の無い戦略家であると、充分評価出来ると思います。援軍の見込みの無い少数の敵を物資潤沢な大軍で包囲する。勝ちを得るには十分過ぎる条件に感じます。
戦う前に如何に勝つ為の準備を整えるか。戦いを、如何に自分の都合(若しくは相手の都合の悪い時)ではじめるか。彼にはb戦略の重要性が判っていたのですね。
諸葛亮という人は、初めて劉備にあった時、戸籍の調査をして徴兵を適切に行う事を示唆したとされています。軍事に優れた面があったとするならば、戦略と軍政にでしょうか。
投稿者 strap : 2005年04月22日 00:17
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