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2005年04月15日
三国志と馬(2)
今回は、三国志と馬(1)の解説です。
赤莵は幽州の産で、吉量と呼ばれた草原馬の子孫である。まず、後漢書の記述を採用し、呂布の馬は赤莵としました。吉量は、山海経海内北経に出てくる赤い名馬で、北方の馬とありますから、作中では幽州の産という事にしました。幽州の産ですので、草原馬です。蒙古草原馬、四川山岳馬、森林馬など、馬にもいくつかの種類があります。
吉量は虎の様な銀の縦縞のある栗毛の馬でこれは、山海経の記述によるものですが、「虎の様な」は僕が付け足しました。というのも、「於莵」がは虎を表す言葉だからです。ここでは拡大解釈をし、赤莵の莵は、虎の意味としました。これで吉量と赤莵が繋がる訳です。
附蝉は電光を発した附蝉は英語で「night-eye」といい、馬はこれの為に夜目が見えると言われていますが、全くの迷信です。馬は随分と退化していますが、網膜の後ろ側の脈絡膜に緑色の輝板を持っている為です。附蝉は足の裏側だとか、親指の爪の名残だとか、諸説様々ですが、実際は何かわかりません。私は別のシーンで、
騎馬は竜の子孫であり、その為に本来夜行性である。竜と同じ様に、眼球上部に緑色の輝板がある為、光の感受性が高いのだ。又、脚部に在る鱗の名残りにも、夜目を補佐する役割がある。これに因り、騎馬は乗り手が意識せずとも群を形成し襲歩する。と書いています。附蝉は今日、競走馬の個体識別の為、我々人類における指紋の様な感覚で用いられています。無論、電光は発しません。
周の穆王の八駿は伝説の多く残る人物で、その馬車を引く八頭は皆優れた馬(?羽が生えてたり雲に乗ったりしますが)だったと伝えられています。
馬の先祖は本来竜であり西遊記を読むと、西海竜王の一子が玄奘の白馬となり、天竺大雷音寺まで背負いますが、これはこの事に由来しているものだと思います。しかしこれはやはり唯の迷信で、馬の祖先はメリキップス。そのメリキップスの祖先がメソヒップスで、その又祖先が、エオヒップスです(流石に調べました)。馬という動物は、中指一本で立っている動物ですが、メリキップスは三本指だった様ですね。
先祖返りが稀に竜馬を生むと云う生みません。
やはり三国志小説の華は戦闘シーン。馬には気を使いたいですよね。
一つ年をとってしまいました。
投稿者 strap : 2005年04月15日 00:01
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