2005年04月04日
さて、早速執筆再開
図書館用とは別に書き始めました。
曹公自身も必死となって衆将の作りし突破口を北北西に脱し、洪湖沿いに江陵を目指したが、付き従う兵卒は既に一万に満たず、馬も数頭しかいなかった。糧餉も無ければ弓箭も無く、幔幕帷蓋も携えていない。追撃を恐れれば休息も出来ず、満身創痍の躯を引き摺って前進するより外無かった。劉備の軍は本戦に関っていない以上、必ずや退路を脅かす筈である。士卒は皆、これを疑わず、確信していた。この確信が、辛うじて彼等に軍としての体裁を保たせていた。 遠くに見える河岸は赤々と燃え上がり、冬の夜空に熱風を吹かせている。地上の明りの為、凝視せねば星は見えず、立ち昇る烟雲に弦月は隠されていた。 敗走する内、分岐点に接し曹公は言った。 「劉左が兵を隠すならば、この辺りか。今、我が往く手には二筋の道あり。手勢を考えれば、一方にしか伏せる事は出来はすまい」 緒将は頷いた。曹公は続ける。 「一つは荊山大路である。もう一方は、細く嶮しいが短き○○路である。今、小路の山手に糜を炊く煙が立っておる」 「なれば荊山大路へと向かうか」 と、盲夏侯が訊ねると、曹公は首を横に振り答えた。 「否。兵とは詭道である。虚にして之を実に示し、不要にして之を要に示すもの。畢竟、虚に見ゆるが則ち実にして、虚に見えるざるが則ち虚である。疑う事少なければ、必ず敗れる」
こんなシーンです。どこかわかりますか?
2005年04月08日
魏の御史中丞、潁川の徐庶、字は元直
三国志を書いていると、特に気になる人物がある。
特に短編から中編を書くとなれば、数人にスポットを(特に)絞らねばならず、魅力的な人物を探す事になる。
僕の場合、呂布と陳宮を主役とする事が多く、周りも棗祗、毛玠といった曹操軍の人物や、成廉、魏越、高順、(薛蘭、李封)、侯成、宋憲、魏続、張遼等といった呂布軍の人々になる。
さて本題であるが、三国志図書館に二度、主役となった人がいる(呉書シリーズの主役(というか、狂言回し)である徐平は除く)。それが徐庶だ。
作品自体は、逃亡者と、八門禁鎖陣を読んで戴くとして、彼には主役にしたくなる魅力がある様に思われる。
三国志演義では当然主役級では無く、軍事に優れた男ではあっても、策士諸葛亮を推薦するだけの役回りに過ぎない。何処にその魅力があるのか?
一つは、世間からは差別の目で見られていた人だからであろう。彼は昔無頼の生活をしていた為、学友からは阻害されていたという。崔州平との付き合いも、似た境遇だったからかもしれない。
もう一つは、魏での働きでは、頭角を現すことが出来なかったからであろう。策士諸葛亮は、石鞱と徐庶の位が低い事を聞いて慨嘆したという。我々は劉備の、「無位無官」や、「無冠の帝王」という言葉にロマンチシズムを感じる。実力があってもそれを発揮できない人に、己の身を重ね、共感してしまうのかもしれない。
ちなみに僕の徐庶のイメージは、知的で優しげなおっさん。例えるならば、趙治勲ですって、‥‥‥昨日の続きかよ(笑
2005年04月17日
左側のバーに
三国志図書館で以前発表した、
白沢図
濃醪
八門禁鎖陣
CORRUPTION OHOTOMO EDITION 2004
を追加。
読んで下さい。
(06/06/20:現在は撤去)
投稿者 strap : 00:38
2005年05月15日
後漢から魏晋にかけての武具と、登場人物の武器
三国志小説を書く時にいつも悩むのが、その登場人物達の武具です。
既に物語などで強くイメージされており、そこに歴史背景を適用させるべきか否かには、いつも頭をなやまされます。
当時は戟、刀、弓、弩といった武器が兵器としての主流だったようです。
張飛の武器は矛ですが、これは当時、少し古い武器となっています。戟を現代兵器に例えれば、突撃銃(アサルトライフル)、戈や矛は歩兵銃(小銃)といったところでしょうか。
趙雲の槍は、やっと普及し始めた武器ですので、例えるならパーソナルディフェンスウエポン、関羽の偃月刀は、近い将来に実現する兵器でしょうか。
呂布の画戟などは、宋の時代の武器ですから、完全に未来兵器ですね。
さて、僕は結局どうしているのか。
僕は三国志小説を書く時、出来るだけ当時の風俗や、文化を大事にし、歴史的事実も可能な限り忠実に再現しようと考えています。しかし、この武具だけは例外としました。
関羽は何故偃月刀を使うのか?
という問いに関して、僕は作品で一つのこじ付けを書きました。
下に要約をしるします。
突きが難しく、斬る武器である偃月刀を用いるのは、斬る技が檄を用いた時よりも見栄えがいいからだ。
何故見栄えを気にするかと言うと、若い時から能力はあっても認められる事は無かった為、自然と大きくアピールする暴れ方をし、目立とうと思ったがため。
三国志を題材とした短編小説を執筆する前段階の事
ありがたい事に、三国志ニュースからトラックバックを戴きました。そしてそれを読んで、誰しも思い悩む事は同じだなぁと、共感をもちました。難しい問題ですね。
さて、前述の三国志ニュースの執筆者も書かれていますが、
史実と伝承をどのていどの割合で混在させ、そこにどれだけの創作、独自の解釈を加えるかという事は、シナリオハンティングの時点で考えます。
他にも、「人物の魅力優先」か「物語優先」かだとか、「一人称」か「三人称」か。「プロットの段階で悩む事はあると思います。又、現在進行若しくは至近過去」か、「過去形」の文体かなども考えるべき要素の一つですね。
僕はそれに加えてもう二点。
一つは、文体の硬軟の問題です。簡単に文例を。
・戦争って、速く動くのが良いんだって上記の四つでは、同じ内容ですが全く印象が違います。尤も、最上段の幼稚な文体を使う人はいないでしょうが。
・戦争には、スピィディな用兵が求められるそうだ
・軍事に於いては、素早き用兵が求められるという
・兵は拙速を聞く、と云う
上にある程読み易くなり、下がる程、雰囲気出て格調高くなります。口語ではなく文語などを用いると、さらに格調高くなります。三国志を題材とした作品ですから、ある程度の格調は欲しいものです。しかし格調を意識しすぎると、馴染みの無い文章になってしまいますので注意が必要だと思います。自分が作品にイメージするところに近い硬さを、見つけて書かねばなりませんね。
もう一点は、読者層の把握です。
つまり、三国志を知らない人にも読ませるか、予備知識の無い人を捨てるか。
説明を書きながら面白く書くのが腕なのでしょうが、できれば劉備、張飛といった良く知られた人物の説明は割愛して、スッキリしたいところです(一般の人が知っている三国志の人物は、曹操、関羽、諸葛亮、鄭玄位でしょうか)。
三国志ファンしか読まないと判っていれば、最初からこれらの説明を省く事ができます。
自作白沢図でも、
諸葛瑾の長男、恪は、字を元遜と云い、博識碩学にして賢哲、口給能弁。世にある万千の書物に通じ、それら全てを諳んじ、解説する事ができた。若年の頃より才名が高く、後の従中張休、平尚書事顧譚、偏将軍陳表らと共に、太子孫登に道芸を講論し、それと同時に賓友として遇されていた。又籌略のみに勝れた父とは違い、恪は緯武経文。体躯に能れ、乗馬を好み、前線指揮に於いても類い稀なる力を発揮できた。後には全軍を率い、巨大な戦果を揚げる人と成る。体毛は薄く、鉤鼻で額は広く、口は大きく、声量は大きく高かい。彼は確かに自信家ではあったが、颯爽とした立ち姿の若々しい男であったと、私は記憶する。と、諸葛瑾の説明を省いて諸葛恪を解説していますし
黄武年間の頃、蜀の費という昭信校尉が使者として呉を訪れた際、これとの問答を担ったのも恪であった。この費某は、彼の叔父の後継者の一人と目された事もある人物で、後に蜀の大将軍となったと聞くが、魏よりの降将に刺されたとの噂も耳にした事がある。という一文は、三国志を知らねば何が書かれているのかも良くわからないでしょう。
又、三国志ファンが読むと判っていれば、わざとチョイ役の名前は字でしか書かず、経歴などを少し書いてクイズにするという楽しみもあります。
自作白沢図でも、諸葛恪について語る人物を「伯先」とだけ書き、名を明かさずクイズ形式にしました。なかなか面白い試みだったと思います。
2005年05月27日
中島文学からの影響
僕の三国志作品を一読した人は皆言うが、僕は中島文学の影響を強く受けていると思う。中島がもし三国志を書いていれば、僕は三国志を書かなかったに違いない。
無論、「荒野の七人」や「大脱走」といった、スタージェンス映画(の内二作)の影響も強く受けているし、O・ヘンリーの影響も強い。中島が然程得意としなかった戦闘を僕は好んで書くところが、辛うじて僕の作品を僕の作品としていると思う。その一点の為、中島敦のエピゴーネンだとまでは言われていない。しかし、やはり中国の古典を作品として扱う時、どうしても意識してしまうのが、中島敦なのである。そして足元にも及ばぬと思う。
ネット上に公開していない作品の一つは、ずばり
「わが三国志」というタイトルだ。
このタイトルこそが、僕が中島に憧れ私淑している事を端的に現わしている。
中島敦の作品、
「悟浄出世」は、共に「西遊記」を題材に書かれた作品である。通説では、中島は捲簾大将悟浄を主役に短編を連ね、私家版「西遊記」を構想したという事になっている。僕もそうであろうと思う。
「悟浄歎異 -沙門悟浄の手記-」
そして私の三国志作品も同じコンセプトなのだ。短編と中篇を集めて、年代記を書く事を目的としている。だから真似をしたのだと思う。
中島の「西遊記」を題材にした二作には、こう付いている。
「わが西遊記」の中と‥‥‥。
中島敦は平和主義者であったと言いますから、墨子などを書いて欲しかったな、とは思います。中島は墨子をどう捕らえていたのでしょうか?軍事の達人という側面も持った墨子ですから、あまり魅力を感じてはいなかったかも知れませんね。
2005年05月28日
独自のルール
リメイク小説(2)で、CORRUPTION OHOTOMO EDITION 2004が別格だと書きましたが、それはタイトルの話だけではなく、僕自身が決めた独自のルールを破っているからです。
その僕の独自のルールとは、
曹操と呂布を作中回想以外に出さないという下らないものですが、何故か墨守しております。
確かに二人が出てくるシーンはあるのですが、そこは常にリアルタイムな描き方では無く、話し方も
劉左が兵を隠すならば、この辺りか。今、我が往く手には二筋の道あり。手勢を考えれば、一方にしか伏せる事は出来はすまいとか、
諸君。布が戟の胡を射るを観よ。一発にして当らば、双方陣を解きて去られよ。当らずば両家の軍、留まりて闘いを決すべしと言った感じです(二つがどのシーンの科白かは説明不要ですね)。
ちなみに劉備と孔明も何故か禁じ手です。自作呂布三部作に超有名人で出てくるのは今のところ、関羽、張遼、夏侯惇、楽進、李典、満寵位でしょうか。
呂布三部作と呼んでいる自身の作品のテーマが「呂布軍と曹操軍」である為に、こういった無意味な規則を自身に科したのですが、こういった制限の為に有名人が幅を利かせず、棗祗や夏侯博、薛悌、侯成といったマイナーキャラが生きるのだと思います。
あ、本人は歴史物では無く、ミリタリー小説を書いているつもりです。
投稿者 strap : 11:26
2005年05月31日
人称代名詞
CORRUPTION OHOTOMO EDITION 2004を書いていて悩んだのは、曹操の人称代名詞です。
舞台は官渡の役で、曹操は司空という三公の身分なのですが、自身をなんと呼ばせるかで迷いました。
予(余)という人称代名詞は相応しくないと判断し、結局は「私」としました。
「朕は鱈腹喰っとるぞ。貧乏人は餓えて死ね」と書いたプラカードを持ってデモに参加すれば、警官に捕らえられます。これはその「朕」という人称代名詞が、特定の人物を表す言葉だからなのですね。 僕は、人称代名詞はその個人を表現する為に重要であると考えています。ですから慎重に選びたいですね。小官や本官は官職にある人、麿は公家、ミーはフランス帰りと決まっています。どのような言葉がその人のイメージに合うか、常々考えています。 諸葛恪や夏侯惇など、強気のイメージが強い人には「俺」を僕は用いていますね。
皇帝となった劉備は、自身を「朕」と呼んだのでしょうか?
2005年06月18日
映画「荒野の七人」から学ぶ三国志小説の作法
荒野の七人カテゴリーで数度話題にしたが、「荒野の七人」は映画史上に残る屈指の名作だ。この映画と較べることが出来るアクション映画は数少ない。では、この映画の素晴らしいところは何処なのか?
無論科白も良ければ、音楽も良く、撮影技術も一級品で、役者の何気ない仕草が良い(マックイーンが多くのシーンの背景で、帽子を弄る動きの存在感は実に見事)。アクションシーンの迫力も、激発物に頼らない、本物の演技がそこにはある。しかしこの映画がパイオニアであったのは、その様なところではないだろう。
僕が考えるにそれは、この映画の登場人物達が、古い時代の西部劇とは違い、スーパーヒーローでは無いという事だ。マックイーンのTVドラマ、「拳銃無宿」も、闊達なだけでは無いガンスリンガーが主役であるが、この「荒野の七人」はそれを上回る。無論腕に覚えのある男達が主人公なのだが、皆堅気では無いという劣等感を背負って生きているし、又、自分の力の衰えを感じ怯えていたりと、人間的弱点を持ち合わせている。助けに行った村の村民達には信頼されず、裏切られて一度は盗賊の一味に敗れるのだ。作中男達は、人々に信用の無い我が身を悲しむが、それがここへの伏線となっているとも言えよう。マックイーンの演ずるヴィンは、妻子がいない自分の人生を立派なものではないと言うし、ブロンソン扮するベルナルド・オライリーは子供達に、自分は家族を守る父親の役割が担えない弱い人間だと諭す。彼らは、「本当に強い」という事が、ガンが巧く使えるという事では無いと知っているのである。従来の、ガンを巧く使える男は人々に尊敬される、という西部劇の常識をここでは破壊している。
しかしそれが故に、「荒野の七人」はアクション映画ではあるが、人物を描く場面が多く、個性的な七人の魅力を存分に引き出している。七人の個性が鬩ぎ合い、競い合い、そしてお互いを高めあって、西部劇というアクション映画を、一流の映画へと昇華させているのだ。そして皮肉な事に、七人の魅力を引き立てる事に成功しているからこそ、メインとなるアクションシーンが大いに生きてくるのである。
さて、三国志小説をみてみよう。
三国志を小説化した場合、その主題の多くは戦闘であり、多くのスーパーヒーロー達が活躍する、勝った負けたの作品となる。武と武、勇と勇が会し、どちらが上かを競う。清廉なヒーローグループが、悪の大軍団に寡兵で勝ち、読者は爽快感を得る。
これは、古い西部劇の構造とそっくりでは無いだろうか?
無論、戦闘シーンがまるでなければ、三国志としてはあまり高い評価はできぬだろうし、そればかりの構成でも面白い作品は多くあるだろう。何といっても僕自身が三国志の小説化を、ミリタリー小説の一ジャンルと捕らえている位であるから、戦闘に関わらないシーンは極力落としたいと考えている位だ。
しかし、である。
「荒野の七人」では、何故ああまでアクションシーンが生きてきたのであろうか。と、僕はそこを考える。
僕は、主人公の弱点が、「寡兵である事」というばかりの三国志小説は、他の方に譲ろうと思う。
僕自身は、新しいチャレンジをしたい。
「荒野の七人」以前の西部劇をここでは非難しているようでですが、ジョン・フォードの騎兵隊三部作(特に「黄色いリボン」)などは大好きですよ。
2005年06月25日
三国志小説と女
Beginners Luckの大人の女性の対応・・・を読んで、
「女は勝手な生き物だからなぁ」
と思ってしまいました。
ふと、自分の三国志作品を見てみると、全く女性が出ない事に気付きます。
無論、
独自に創作した新しい人物
で述べた理由で、女性を出す機会は最初から減っていますし、私淑する中島敦の作品に女性が少ない事も原因かもしれません。しかしそれ以上に、私は作品に女性が入り込む事を嫌っているのだなぁと思います。
想像で綴る男の世界位では、男がカッコ良くある為に、ご婦人方には遠慮して戴いております。又、純粋に、戦闘に主眼を置いて作品を書く事が多いですね。
とはいえ、映画「荒野の七人」から学ぶ三国志小説の作法などと偉そうに書いたのですから、そろそろラブロマンスにもチャレンジしてみようかな?とも思います。
呉書シリーズ2)濃醪 「わが三国志」の中
の出だしは、何となくそれっぽいですが‥‥‥(笑)
2005年07月16日
三国志の歴史的事実と、三国志小説
他の方はどうであるのか知らないが、三国志小説というのは当然、三国志を学ぶ為の文章では無いと、僕は認識している。書き手の多くは三国志の研究家などでは無く、そので披露される新説は、決して論証される様なものでは無い。例え歴史的事実を忠実に再現しようとしていてもそれは、飽くまで主義主張を表現する為の文章であったり、娯楽性を求めた文章である。ここを勘違いして、「お偉い作家が書いているから、事実はこうなのだ」などと勘違いしてはならない。そう、僕はそう思う。必ずそこには脚色があり、歴史的事実とは考えられない事も書いてある。
又、その小説を読んで、それを作家自身の歴史認識だと考えてもいけない。
作家は物語を面白くする為、又は主義主張を印象付ける為、異説を知りながら無視したり、考える事実よりも作品としてのクヲリティを優先したりするからだ。
ノンプロである自身の作品で恐縮だが、一例を挙げたい。
僕は自作の中で、
この年は計四度の改元が施行された。と書いたが、陳宮を曹操より年上だとは考えていない。それは呂布伝に呂布の妻の言葉として、曹操が陳宮を「息子の様に」愛したと記述があるからだ。この記述から察すれば、曹操よりも一回り若いと考えるのがだとうであろうと思う。ここでは作品のイメージの為に、陳宮を曹操より年長に設定したに過ぎない。又、
陳宮が曹操と出会うのはこの頃である。この時、曹操三十五、陳宮三十七であった。
この時中牟の県令をしていたのが陳宮であった。と書いたが、陳宮が中牟の県令を務めていたと記述するのは、小説である三国志通俗であり、とても歴史的事実とは言えない。曹操に気付き、県令に逃がせと進言する功曹も、任峻とは何処にも書いては無いし、任峻であったとは考え難いだろう。
この時陳宮の下で功曹という役にあった任峻が、逃亡者が曹操である事に気付き、天下の俊傑を拘留するは宜しく無いと陳宮に進言した。
自作呉書シリーズ1)白沢図などは「捜神記」にある記述に因ったが、どう考えたって、歴史的事実に基づいてはいない。確実に作り話だ。
この様に、意図的に己の歴史認識とは違う事を書く事は多々ある。
だから作品を読んで、それを事実と考えないのは無論の事、「この人の中での三国志はこうなんだな」などと考えてはいけない。飽くまで作品なのであるから。
以下追記(2006/01/17)
面白い記事を見つけたので紹介しておく
http://tosa-toad.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_91d2.html
小説と歴史的事実の区別のつかない人々について述べてある。
投稿者 strap : 08:38
2005年07月29日
自作三国志で三国志のパロディをやる
自作の作品を読むと、色々なところでパロディをやっています。
楽しんでやっているんだろうなぁと、読み返して気付き、笑ってしまいます。
例えば、この言葉。
秀才戯志才が、「計略を帷帳の内に運らし、凱を万里の外に決す」と謳われる由縁でもある。これはまるっきり
籌策を帷幄の中に運らし、勝を千里の外に決すという張良への評価のパロディです。
赤壁は堡に非ず。寸陰惜しむべしこれは、
尺璧は宝に非ず(セキヘキはホウにあらず)のパロディ、
死せる志才、往ける太祖を奔らすこれは説明不要(笑)
王必は、 「楽士には、七声の内、商、角、変微、微、羽、変宮の六声しか使わぬ様指示しております」 と答えた。これは、単刀赴会での魯粛が関羽を挑発した時の行為。
他にも沢山やっちゃいました(笑)
2005年10月14日
三国志小説と日本語
同じ文字が、漢学と日本語では意味が異なる場合がある。
これは三国志小説を書く者には一つの悩みなのでは無いだろうか?
僕の場合、日本語の意味を優先して書く事にしている。
「子」と書けば、男子のみでは無く、その人の娘をも含む表現である事にする。「作戦」と書けば、現代の意味における作戦である事は、戦略・作戦・戦術(1)に既に書いた。「夫人」は妻の意味で用いるし、王侯は謙遜しても「孤」とは自称しない。
僕は厳密な言葉よりも、現代日本人に伝わる言葉をなるべく選びたい。
2005年11月02日
剣戟のリズム
「三国志の小説を今書いているよ」
と友人に言った時、返ってきた言葉は、
「あんたの得意なモノが書けないじゃないか」
という驚きの言葉だった。
僕が得意なモノとは、
剣戟、銃撃、逃走劇つまり、チャンバラとガンアクションと、カーチェイスである。要は「戦闘シーン」であると言えるだろう。
三国志小説に鉄砲と自動車は書けないから、得意なものはあまり書けない。という訳で、武術を描くシーンは自然と力が入る。
馬を使うのは嫌いであったから、三人徒歩であった。暫く歩くと、空気が変わる。
場に禍々しい迄の妖気が満ちていた。
陳宮の膚に粟が生じる。見上げれば将にこの時、天頂には斗宿が向かおうとしていた。
歩みを止め、闇に向かって陳宮は言う。
「如何なる用件かな。少々物々しいね。今、思案の最中だ。申し訳ないが、又の機会にはして戴けまいか」
陳宮は左に佩いた、鮫皮の巻かれた柄に手を添える。柄は両手でも使える様に長く、又、打突に適した様、特別に格が付いた製品で、ずんぐりとした刀身を、山猫の毛皮で包んで鞘とし吊っていた。刀環には赤い飾り紐と房が下がっている。
陳宮が身構えると、路を塞ぐ様に三人、商人風の男が影に紛れて出て来る。樹陰から退路を絶つ様に、後ろにも四人。小刀や剣を差した者も確認できた。執れの者も目付き鋭く、只者で無い事は容易に判かる。足運びが常人のそれでは無い。陳宮の後ろで灯火を持つ二名が誰何するが、返事は無い。
「害虫駆除に参りました、という処かな? 闇路で大儀な事だな。身共は嚮導の陳宮であるが、お間違いの無い事であろうか。今一度、確認されたし」
陳宮の問いには答えず七名、各々の武器を取り出す。足運びが既に普通のものでは無い。皆、相当な訓練を積んだ者の動きだった。商人同様の服装をしてはいたが、どことなく漆黒を纏ったかの様な印象を与える。護衛が二人では流石に不用心であったかと咄呵し、陳宮は珍しく後悔した。
「さて、どなたの遣いかは存ぜぬが、手足を失う覚悟は在っての事であろうな? 当方にその気は無いが、御辺等が来るならば、加減はせぬよ」
陳宮を護衛する従者二名は灯を捨て、帯びた剣を抜き構える。七人の刺客も無論、立ち去る様子は無く、禍々しい迄の悪気を放っていた。陳宮も竟に腹を括る。
「うむ、嘉かろう。ご教授致そう。但し高いぞ! 」
それを聞いた右前方の一名が直ぐ様、陳宮に向かい、飛ぶかの様な敏捷性で、匕首を突いて来る。並の者ならば、すぐに胸を刺され、倒れたであろう。併し陳宮はそれに対し、鋼刀を音も起てずに素早く抜くと、一瞬で男の右手首を撥ね上げ、右足を一歩下げつつ返す刃で、左手首を斬り落とした。男は呻きもせず転び、両手から鮮血を至る所に振りまく。陳宮の腕も然る事ながら、何とも見事な切れ味であった。実に鮮やかである。陳宮の鋼刀は、身幅広く、先迄細らず、薄く短い、腰反りが僅かにある、錯々たる百煉の名品で、物性自体がその辺りの銑鉄製とはまるで違うのだ。
血を降らせながら宙を舞った右手首の落下と同時に、陳宮は鋼刀を左に担ぎ構え直す。と、左前方の一名が剣を上段に構え、一息に間合いを詰め、陳宮に打ち込んで来る。本来ならばそれは、先に失敗した男との見事な連携であった筈である。疾速の一撃であった。後方でも陳宮の伴の者が、後ろの四名に斬り掛かり始めた。
「肘が高い! 」
と陳宮は言い、右足を大きく踏み込み相手に空を切らせ、胴を左から薙いだ。と同時に左足を引きながら右足を軸に回転し、諸手上段から相手の左肩を背中側から叩き落とす。男は声も泄さず左側から地に崩れ、大きな染みを大地に作った。二名を斬るのに、僅か八拍。優美でこそ無いものの、陳宮の太刀筋は力強く、無駄が少ない。一連の動きは流れるかの様であった。
陳宮の鋼刀は、新月の僅かな光を反射し、暗々とした中、炯々と蒼白く輝く。陳宮が睨むと、残る男は威圧され、たじろぐ。
が、暫く悩むと小太刀を右手に構え、陳宮に突進してきた。
こんな感じであろうか。
アクション映画の剣戟を見ていて思うのは、効果音の使い方の妙である。
拳にしろ、剣にしろ、攻撃側と受けた側の出す素早い音の連続が、一種の音楽を作り出しているし、斬った時の、打たれた時のその音が、ダメージを表現してくれる。
叮、叮、叮叮叮叮叮叮叮叮叮、叮。という様な、刀剣の発する高い金属音は、まるで早鐘の音を聴いている様で小気味よい。
映像は映像。小説は小説。小説には独自の作法があり、映像と同じ手法でアクションを表現してみても面白くない事は多くあると思う。しかし僕は実験的に、暫くは剣戟のリズムに拘ってみたい。
2005年12月03日
三国志を題材とした短編小説の執筆論
「三国志小説論」を気取り名乗る、本サイトのメインテーマである。
久しぶりに本題に戻りたい。周倉を主役とした掌編「漆黒の躯」の様な下らない作品よりも、こちらを本来優先すべきと反省。参考
三国志物語を小説化する。これは本来、長編小説であるべきだろう。1000枚や2000枚程度で済む筈が無い。三国志物語の頭とお尻をドコと定義するにしても、三国志物語というのが短い時間で起きる出来事を指すとは思わぬし、短編や中篇で収められる様な単純な話でも、寡ない登場人物でもない。とは言え、長編小説を書く事は、アマチュア三国志物語作家にとっては非常に負担である。
先ず、長編小説を書くには根気が要るという事。長編小説ともなれば簡単に書く訳にはいかず、そのモチベーションの維持にも努力が必要である。特に、己が書きたい場面だけを書く訳にはいかず、ストーリーの進行上書かねばならない中弛みのシーンも必ず出てくるだろう。これが何とも辛い。
次に、優れた構成力を要するという事である。つまり、技術的な問題だ。無論、短編である方が優れた構成力を必要とされるケースは多い。が矢張り、長編小説では長大なプロットを最初にある程度決めて書かねば、伏線が生きず、薄っぺらい話になりかねないので、これが必要である。
最後に、読者の負担が大きいという事である。長編は簡単には読めない。読めなければ、感想が聞けない。聞けなければ、やはりやりがいが薄いのである。
(以上、長編小説をかくネックを三点挙げたが、他にもあるかもしれない)
まあ、上記の理由で、ノンプロの三国志小説は、結果として一エピソードを抜き出した短編、乃至は中篇にならざるを得ないのである。僕も完成させた三国志小説は、短編しか無い(500枚を目標とした作品を執筆中)。短編だと物語の中弛みも少ないという効果もある。
(短編を書く面白みに関しては、魏の御史中丞、潁川の徐庶、字は元直に書いた様に、魅力的な人物を探す事だと思う。長編よりも、人物の魅力に依存する事が多いし、群雄劇としての物語は薄まる)
しかしこの様なネックを巧くクリアした人がいる。今更と思われる方は多いだろうが、参考の為に紹介しておきたい。
孫氏三代という三国志小説を執筆されている清岡美津夫さんである。
孫氏三代はその名のとおり、孫堅、孫策、孫権の三人の年代記として、描かれた短編小説の作品群である。僕は以前、スターウォーズやっと見ましたの中で、「三国志も年代記である」という見解を示したが、この作品群は短編小説を集積する事で、長編小説の持つ雄大な時間の流れと、話の厚みを獲得しているのである。無論一つ一つのエピソードは、短編小説なのであるから独立して楽しめるし、必ずしも連続して読む必要は無い。この様な手法を持ち込む事に因って、その短編では何気ない事であった筈なのに、別の短編で生きてくる伏線があったりと、短編小説であるにも拘らず、グッと物語に厚みが増すのだ。短編小説の長所と、長編小説の長所を併せ持ったスタイルであると謂って良かろう。美味しいやり方とはこの事である。
清岡さん自身は、「たいてい一話完結の形をとる海外ドラマを参考にしてますよ」と語って下さったが、聞き成る程と感心する。実に巧い手法である。
現在は未だ孫堅の物語に偏っている様ではあるが、徐々にその息子達の物語が語られていく事になるであろう。非常に楽しみな事である。
失礼な書き方かも知れないが、この作品群は、曹操、劉備といった本道を外したところを主軸とした物語ではある。しかしそこには、角度を変えているということ故に発生する新鮮さがあるし、膨大な史料に裏打ちされたプロットは、シナリオハンティングの生真面目さが現れていて好感が持てる。手法のみならず、この姿勢も見習いたいものである。
さて、年が明けたら又短く実験的作品を一本書こうと思う。次作のタイトルは「謀臣の資質」。全三回(予定)。
(2006年7月1日の追記)
「漆黒の躯」公開を中止。
2006年06月18日
「英雄と名将の立つ風景」の執筆
先日から「英雄と名将の立つ風景」というタイトルで短く三国志小説の連載を始めている。全八回の予定。参考→新作執筆開始
中学生が辞書無しで読める様なやさしい文章が目標。
今四回まで書いて、主役の二人である英雄と名将は未だ顔あわせておらぬ。
さて、今回の物語、何と言っても話の中心は華雄である。華雄の強さが化け物的で、とんでもなく強く、皆が頭を悩ませているという話だ。
この華雄、劇中では胸の古傷の為気管に傷害があり、常に咳をしている設定であるが、これに関してはスターウォーズやっと見ましたを参照して戴きたい。
又第二回で、
汜水の関を守る部将、魔人の如き華雄に関しては、正確な情報が伝わっていない。元々董卓の将兵は謎に包まれていたし、今は勝手な任官がなされているから、敵将の官位など解り様も無いのだ。こういった敵は、「不可視の手」の様なもので、実に心許無いと思う。年齢、字が解らぬどころか、「都督の華雄」であるとか、「都尉の葉雄」であるとかと、情報が錯綜しており、連合軍の諜報能力の低さを露呈させている。判っているのは、身の丈九尺の関西人であるという事と、胸の古い矢傷の為、呼吸障害があるという事のみであった。その容貌は、虎の体に狼の腰、豹頭にして猿の臂と評されている。済北国の相鮑信には、鮑韜、鮑忠という二人の弟があったが、この内武勇に秀でた鮑忠も、兪渉より先にこの華雄に一騎打ちを挑み、そして敗れていた。という記述をするが、これは華雄の名前、役に他説異論がある事に由来する。一応解説しておく。
しかし夏侯惇の出ているシーンになると、意識せず「見る」、「双眸」、「見つめる」、「瞳」といった単語が増える(笑)
投稿者 strap : 00:15
2006年06月30日
シナリオハンティング(2) 曹豹
シナリオハンティング(1)からは随分と間が空いてしまったが、又これについて書こうと思う。
曹豹の名を出した事について。
先日僕は、英雄と名将の立つ風景という作品を書き上げたのだが、ここに
そう考え先ず第一に思い当たったのは、冀州牧韓馥の配下、潘鳳であろうか。潘鳳であれば、或いは勝てるかも知れぬと思う。その振るう大斧は、見る者を圧倒し、そしてその大斧で絶てぬ物は何も無い。この男を出せば、必ず勝てると、陳琳は確信した。他に探すならば、奮武将軍曹操の司馬、夏侯惇と、徐州刺史陶謙配下の歩隊将曹豹位であろう。この三人以外には見当たらないと思う。と書いた。
この短編小説は「三国志」や「後漢書」に多くの取材をしているが、同時に三国志演義の第五回「発矯詔諸鎭応曹公 破関兵三英戦呂布」をベースとしている。
さて、その第五回「発矯詔諸鎭応曹公 破関兵三英戦呂布」に書かれた董卓に反対すると並ぶ錚々たる顔ぶれ
第一鎮、後将軍南陽太守袁術。第二鎮、冀州刺史韓馥。第三鎮、予州刺史孔伷。第四鎮、兗州刺史劉岱。第五鎮、河内郡太守王匡。第六鎮、陳留太守張邈。第七鎮、東郡太守喬瑁。第八鎮、山陽太守袁遺。第九鎮、済北相鮑信。第十鎮、北海太守孔融。第十一鎮、広陵太守張超。第十二鎮、徐州刺史陶謙。第十三鎮、西涼太守馬騰。第十四鎮、北平太守公孫瓚。第十五鎮、上党太守張楊。第十六鎮、烏程侯長沙太守孫堅。第十七鎮、祁鄕侯渤海太守袁紹の十二番目に陶謙の名は確かにある。
しかしこの場面には未だ曹豹の出番は無いどころか、その名も無い。
では何故この場に曹豹の名を出したのか。
まぁ人気があるそうなので、名前を出したに過ぎないが、しかしそれでも根拠無く出した名では無い。シナリオハンチングに基づいてはいる。
曹豹という人は、「魏書 呂布(張邈)臧洪伝第七」の注に引く「英雄記」と「蜀書 先主伝第二」本文(と、その注に引く「英雄記」)に、僅かに記述されている人物である。これは三国志演義でいうところの第十四回「曹孟徳移駕幸許都 呂奉先乗夜襲徐郡」に当たる部分の記述だ。
他には「武帝紀」に興平元年春の記述として僅かに見られるのみである。三国志演義でも、第十回「勤王室馬騰挙義 報父讐曹操興師」に、夏侯惇を退ける将として登場するのみだ。
とはいえ、この曹豹、後世では、大変な猛将と認識されている。
三国志平話には董卓を囲む際、強過ぎる呂布に対抗できず、袁紹を中心とした諸将が困窮する場面がある。この時呂布を斬ろうと、名乗りを上げるのが曹豹なのだ。
冀王問曰、「誰人敢与呂布決戦」言未尽、見一将出、認得是徐州大守陶謙手中歩隊将曹豹。自言、「我与呂布決戦、要捉呂布」衆皆喜、上馬対陣、呂布捉曹豹。没一個時辰、敗軍回言、「温侯一合捉了曹豹」ここでいう冀王が袁紹で、温侯が呂布の事である。
まぁ一合でやられてはいるが、呂布との一騎打ちを袁紹に許されたという訳で、その強さがわかるだろう。勇気があり、武勇に自信がある事、又皆が実力を認めている事が伺える。
こういう訳で、今回僕は三国志平話によって、猛将の一人として曹豹の名を出した。曹豹を歩隊将とするのも同様の理由からである。但し陶謙に関しては、三国志平話の「徐州大守陶謙」に従わず、「徐州刺史」とした。
尚、三国志平話によると、曹豹には張本という娘婿がいる。「安打製造機」っぽい名前。
投稿者 strap : 02:54
2007年07月07日
玄鳥
僕の三国志作品には、決まって名前の前に冠を書かれる人物が何人かいる。
軍事の秀才戯志才 (語呂合わせ。奇才陳宮、俊才棗祗と続く事もある)
策士諸葛亮 (コレの影響)
白袍の李粛 (「三国志平話」より)
こういう冠の付いた名前で、最もセット率を高くしているのが
燕人張飛
だ。僕は科白以外で張飛と作品中書いた事は少ないと思う。「末弟張飛」とか、「スワローマン張飛」と書いた事はあるが。
さて、この「燕人」であるが、「燕頷虎頸」という様な形をあらわす言葉ではなく、本来出身地を表すだけの語に過ぎない。「常山の趙子竜(この言い方の場合、趙雲とはあまり言いませんね)」の様な、出身地を表す言葉に過ぎないのだ。
しかし僕はこれを、「つばくろびとの~」と、訓読みしてしまうのだ。
最近では「燕人張飛」と書かずに、
そうして幽州で生活をする内に、そこで知り合った玄鳥張飛と意気投合し、義兄弟の契を交したのである。
などと、「玄鳥張飛」と書く様になってしまった。うむ、困ったものである。
2007年12月20日
魏書の偽書を書くか?
「蜀書十六」なる偽の列伝をでっち上げようと考えたが、止めた。
蜀書は、「鄧張宗楊伝第十五」の「楊戲伝」に付加される「季漢輔臣賛」によって完結しているからだ。
又三十ある魏書も、二十九でウィザード達を、三十で異民族をそれぞれ書いているので、「魏書三十一」なる偽書を新たに足す事は難しい。
呉書なら可能であろうが、わざわざと新たに立伝したい人物はいない。
投稿者 strap : 14:38
2008年01月28日
今こんなの書いています
最近自分の仕事で「決まった!」と思ったのは、「kugelblitz」を「雷球」と翻訳した事だろう。一時は「球状電光」と直訳を考えたり、「電球」と失敗しそうになった。実に危なかったと言える。
尤もこの「雷球」という訳、誰かが「fireball」を「火球」と訳したのに着想を得ている訳であるから、大した事無いと言えば、そうなのかも知れない。
相変わらず三国志小説を書いているが、三国志らしからぬ話題を三国志風に進めるのに苦労している。こういった作品は「雰囲気」が重要であるから、そこには気を使ってしまう。
例えばこんな具合だ。
そう。天地は本来渾然とした高温高密度の物体によって構成され、均一な一体の塊りで有った。万物は夸克や軽子等、素粒子の無量大数の組み合わせに仍って構成されて居るが、この物体は現在天為でも構成出来ない組み合わせで形作られて居ったのだ。この原初の塊りを渾沌、若しくは盤古と呼称して居る
今より一百三十六億年程前、渾沌は何らかの刺激に因って膨脹し、今の形に別れた。陰の気が地として固まり、今の形に落ち着くのは、それから四劫の後の事である。畢竟するに、それは僅かに四十六億年前の事でしかない
読んでお解かりの様に、現在の科学知識に基づいて(一部嘘も有りますが)ビックバンについて述べているが、辛うじて雰囲気を保っているとも言えるだろう。
この調子で今後、アドレナリンやドーパミンの説明もする予定である。神経使うし頭痛い。
(08/01/29追記)
「kugelblitz」にはちゃんとした訳が存在した様だ。「球電」と訳すらしい。英語では「ball lightning」。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
日本では2004年の夏頃に、福岡県久留米市上空で、青系列の球電が目撃されている。 そのとき同地では、雷雨による大規模停電が発生していた
との事。Will o' the wispやJack-o'-Lanternみたいなものか?

