三国志小説論
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2005年04月10日

三国志と馬(1)

本日阪神で行われた桜花賞。
その賞の名が示すように、美しい櫻を観賞できるコースでしたね。
4枠7番シーザリオの青毛が美しかった事が印象的です。

僕は、八門禁鎖陣もそうですが、馬に関しては良く作品で取り上げます。
という訳で、今日は僕の呂布シリーズから一部引用します。

 

楽進の様な小柄な者が何故、度々先鋒を任されたのであろうか。理由は、戎馬の負担を考えての事に他ならない。世の馬が、体躯に優れた者を乗せ、速く、永く駆ける事の出来る名馬ばかりであったとしたならば、突撃に優れた彼の人の活躍は屹度少なかった事であろう。
関内侯董訪の撰「呂布別伝」によれば、赤莵は幽州の産で、吉量と呼ばれた草原馬の子孫である。吉量は虎の様な銀の縦縞のある栗毛の馬で、荒々しく剛健な野生馬であった。鬣は焔の様に赤く、眼は火花の様に光り、附蝉は電光を発したと云う。記録には、「周の穆王の八駿にも匹敵する駿足であった」とある。
幽州は元来良馬の産地ではある。馬の先祖は本来竜であり、それが永い年月を経て退化し、現在の馬となった。北方産の草原馬は、その先祖の血を濃く受け継いでいるのであろう。先祖返りが稀に竜馬を生むと云う。

解説は又後日。

投稿者 strap : 23:15 | コメント (0)

2005年04月15日

三国志と馬(2)

今回は、三国志と馬(1)の解説です。

赤莵は幽州の産で、吉量と呼ばれた草原馬の子孫である。
まず、後漢書の記述を採用し、呂布の馬は赤莵としました。吉量は、山海経海内北経に出てくる赤い名馬で、北方の馬とありますから、作中では幽州の産という事にしました。幽州の産ですので、草原馬です。蒙古草原馬、四川山岳馬、森林馬など、馬にもいくつかの種類があります。
吉量は虎の様な銀の縦縞のある栗毛の馬で
これは、山海経の記述によるものですが、「虎の様な」は僕が付け足しました。というのも、「於莵」がは虎を表す言葉だからです。ここでは拡大解釈をし、赤莵の莵は、虎の意味としました。これで吉量と赤莵が繋がる訳です。
附蝉は電光を発した
附蝉は英語で「night-eye」といい、馬はこれの為に夜目が見えると言われていますが、全くの迷信です。馬は随分と退化していますが、網膜の後ろ側の脈絡膜に緑色の輝板を持っている為です。附蝉は足の裏側だとか、親指の爪の名残だとか、諸説様々ですが、実際は何かわかりません。私は別のシーンで、
騎馬は竜の子孫であり、その為に本来夜行性である。竜と同じ様に、眼球上部に緑色の輝板がある為、光の感受性が高いのだ。又、脚部に在る鱗の名残りにも、夜目を補佐する役割がある。これに因り、騎馬は乗り手が意識せずとも群を形成し襲歩する。
と書いています。附蝉は今日、競走馬の個体識別の為、我々人類における指紋の様な感覚で用いられています。無論、電光は発しません。
周の穆王の八駿
は伝説の多く残る人物で、その馬車を引く八頭は皆優れた馬(?羽が生えてたり雲に乗ったりしますが)だったと伝えられています。
馬の先祖は本来竜であり
西遊記を読むと、西海竜王の一子が玄奘の白馬となり、天竺大雷音寺まで背負いますが、これはこの事に由来しているものだと思います。しかしこれはやはり唯の迷信で、馬の祖先はメリキップス。そのメリキップスの祖先がメソヒップスで、その又祖先が、エオヒップスです(流石に調べました)。馬という動物は、中指一本で立っている動物ですが、メリキップスは三本指だった様ですね。
先祖返りが稀に竜馬を生むと云う
生みません。

やはり三国志小説の華は戦闘シーン。馬には気を使いたいですよね。

一つ年をとってしまいました。

投稿者 strap : 00:01 | コメント (0)

2005年04月17日

三国志と馬(3)

もう三回目だし、サブカテゴリー化しようかなと思う馬の話。
三国志の華はやはり戦闘ですし、戦闘に馬は欠かせません。
馬の話はこれからも良く書くと思います。

私はやはり三国志の馬と言えば、赤莵は外せません。
自作、呂布三部作第一部では、

呂布の駆る馬は、特別俊敏で、特別力強く、特別胆力のある、特別大きな、赤莵という名の特別賢い特別な馬だった。その緋色に近い栗毛の軍馬は、高貴な風格を感じさせる気高き馬で、人々に「人中の呂布、馬中の赤莵」などと評させるのも良く解る。関羽、張飛の跨がる青鹿毛と黒鹿毛は丸っきりの駑駘であったので、引き分ける為にも二人掛りを要したのである。赤莵に跨がり画戟を振う呂布の姿は、さながら霹靂を履む雷帝の様であり、圧倒的な強さであった。到頭決着が着かずに引き上げて来た時、
「赤莵とは、何という麒驥であろうか」
と、関羽が呟き汗を拭った事を、陳宮は知っている。
と陳宮が虎牢関で視た敵将を回想しますし、第二部では、

「赤莵とは、何という麒驥であろうか」 こう謂って了ったのは、二度目ではなかっただろうか。 兎に角、初速、中間加速、最高速度、持続力。その総てが桁外れなのだ。雄偉な関羽を乗せていても、赤莵は春塵を巻き上げ軽快に駆けた。関羽程の男が、振り落とされぬ様にと、確りと手綱を握り構えなければならない。稲妻にでも跨がった様な気分だ。この上で戦闘など、迚出来たものでは無いだろうと関羽は思う。 通常、瞬発力に優れる馬は持続力に難があり、持久走を得意とする馬は、加速力に難がある。力強い馬は速度に難があるし、骨太の馬は矢張り速くは無い。併しこの赤莵は、瞬発力に富み、長距離走を得意とする、力強く骨太の、特別な軍馬であった。その常識を外れた能力に、関羽は驚嘆を禁じ得ない。項羽が駆った騅とて、これ程の駿足では無かっただろうと想像する。 早咲きの蒲公英がもう黄色く点々とある。歩みを緩めれば、料峭が肌寒い。 振り返り視れば、共に駆けていた筈の夏侯惇達が、最早鍼の先程にしか見えない。無論、夏侯惇の駕する青毛とて、騫馬の類いでは無いのだ。関羽はこれまで、これ程の馬に騎乗した事は無かった。 関羽の知る赤莵は、この赤莵の親の赤莵である。父子で同じ名を持つ、同じ緋色の馬なのだ。親の赤莵に駕跨していたのは、呂布という豪傑であった。呂布は赤莵を駆り敵陣に突入すると、画戟を振るいそれを掻き乱した。虎牢関では、義弟張飛が一騎討ちを挑んだが、まるで相手にならなかったので、この時関羽は助けに入った位なのだ。関羽が己の人生を振り返る時、この呂布という男の存在は大きい。
と、書きました。 この特別な馬は、呂布という個人を表す小道具として、私の呂布三部作には欠かせない存在です。 呂布三部作、早く書き上げたいと思います。

投稿者 strap : 22:33 | コメント (0)

2006年05月02日

三国志演義と相馬学

三国志演義第三十四回では、超雲が献上した劉備の馬の相を的廬という。これは額に白い点があり涙槽が大きい馬で、凶馬であると云う設定だ。三国志物語では、関羽を神眉鳳目と言ったりと人相占いの用語(明代に刊行された「麻衣相法」という書物を参考にしている様である)を良く用いるが、これもその類いであろう。

日本中央競馬会競走馬総合研究所に因ると、相馬は本来信頼できる学問であると云うから、事実当時からこれの専門家はいたかも知れない。
馬は健康を侵しやすい動物であり、健康管理には気を使う。専門家は相馬に因ってその丈夫さを計るのだとか。良く食事のとれる顔の馬(顎の発達した馬や歯並びの良い馬は丈夫いう事が基本だと聞く。溷晴虫症という目の病気(寄生虫が目の中を泳ぐ病)を見抜いたりという判断も、これに入るのでは無かろうか。
これは今日の競走馬も同様である(特に歯の生え変わりの時期を見抜くのは重要)。

機動兵科として用いられる騎馬の善し悪しが判るというのは、現代では戦車の専門家みたいなものと考えて差し支えなかろう。軍に相馬の専門家があったとすれば、それは重宝がられたに違いない。

尚、魏の御史中丞、潁川の徐庶、字は元直に以前一度、三国志演義での徐庶は、相馬の専門家であると記したが、それは誤りであった。記憶違いをここにお詫びする。

投稿者 strap : 01:17 | コメント (0)

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