2005年05月05日
八門禁鎖陣
(「魏の御史中丞、潁川の徐庶、字は元直」参照)
夏侯惇の方も、濮陽での賊との戦いで、参軍戯志才が編出した新防御陣形、「八門禁鎖の陣」について、陳宮に説明をした。 前面に鹿柴にて柵を作り、進行阻止を目的とした巨大な半円形の堅陣を作る。併しその辺を内に折れた鈎形とし、故意に八つの綻びを作り、突破してくる敵を意図的に、陣中央へと誘導。綻びは斗折させつつ細らせ、その侵入量を制限しておいて、騎兵により逆襲する。実に見事であった。「陣地防衛と機動防御を組み合わせた、見事な守護陣形」と、陳宮は戯志才に感服した。というのは、僕の呂布シリーズの一文です。 僕はこの陣形が実在したなら、をテーマとして、「八門禁鎖陣」という作品を書きました。 是非読んで下さい。
ちなみにこの作品のもう一つのテーマは、「戦闘と馬」です。こちらは、「三国志と馬」を参照下さい。
この作品、少し加筆修正しました。
しかし石鞱の名をいれると、何故か文字化けします。
これさえ直れば、徐庶、石鞱、崔州平の仲良しトリオも作品にしたいですね。
作品概要
通俗演義などに登場する妖陣、「八門禁鎖陣」が実在したならば、を書いた架空戦。
又、後の鎮軍将軍、虎威将軍こと趙子龍の、戦闘方法の特徴について。
2005年05月11日
「八門禁鎖陣」の執筆(1)
(八門禁鎖陣エントリー参照)
八門禁鎖陣というこの作品は何を書きたかったのか?
それはやはり戦闘です。
(作中の八門禁鎖陣には実はモデルがあります。WW2で第三帝国軍が用い、戦後米陸軍が改良した「アクティブディフェンス」がそれです。興味のある人は調べてみて下さい。)
三国志作品を書く以上、やはり群集がぶつかり合う陣と陣の戦闘を書いてみたいという思いは強くありました。三国志図書館ではまだ、兵と兵がぶつかる小説がありませんでしたので、馬が駆け、槍が敵の重みで撓る。そんな作品を目指しました。
「本会戦の決、敵陣の中央分断に在れば、右翼軍は先ず、可及的速やかに敵左前衛を強襲、殲滅し、中央縦陣への攻撃を防ぐべし。然る後には敵左校に相対し、如何なる犠牲を払ってでも其の行動を制限、可能ならば叩いて撃破する事。我が軍の興廃は此の一戦に在れば、最後の一兵迄も奮戦し、必ずや任務遂行せよ。我は攻撃指導に参与する参軍の名を以て、右翼全隊に命令する事を貴官に任ず」というのは、呂布シリーズで書いた、戯志才から陳宮への指令書ですが、短編でもこういう大規模な戦闘をいつか書きたいですね。ちなみにこの戦闘、陳宮は
陳宮も、これ程の大兵力を敵にまわすのは二年前の洛陽包囲戦以来、生涯二度目であった。この様な圧倒的大多数の敵を相手にする場合最も気を配る事は、細やかな機動も大切であるが先ず、下士官達の士気の維持である。彼等に勝算がある事を伝えねばならない。という圧倒的寡兵の中、戦います。有名な曹操軍と青州黄巾賊との一戦が舞台です。
2005年05月15日
「八門禁鎖陣」の執筆(2)
さて、私はこの作品では「戦闘」を主題として書く事に決めたのですが、そこには三つの小テーマがありました。
一つは、「八門禁鎖陣」が実在したならば、と仮定して、それがどんな陣であったかにある程度のリアリティを与えた回答を出す事。
一つは、趙雲が実際に槍を得意としたならば、どの様な用兵を得意としたかを推測する事。
そしてもう一つが、馬が駆けるスピード感を表現する事。
この作品、三国志図書館に掲載して戴いた作品の中では尤も気合を入れて書いた作品です。
ただ短編で書いた為、石韜、孟建、崔州平、杜襲、尹黙、李仁、向朗、韓嵩、和洽、趙ゲン、ホウ統‥‥‥といった、荊州の知識人の名を一度も出せなかったのは残念。戦闘シーンを主眼とした為、余計な話は省きました。しかし今思うと、石韜、孟建、崔州平の三人は、策士諸葛亮と徐庶の共通の友人として名を残した人ですから出すべきだったかと思います。温カイ伝の注で、策士諸葛亮に孟建への伝言を頼まれている杜襲なども、徐庶とは仲が良かったのではないでしょうか?
2005年10月12日
戦略・作戦・戦術(5)
そろそろ、
「戦争論」→クラウセビッツ→シャルンホルスト→ナポレオン
の流れに持っていき、ナポレオンの話をしようかと思ったが、ここは歴史を語るブログでは無いので控えておく。ナポレオンは砲兵の出身であるから、発石車の話に持っていったり、好きな音楽家ベートーベンの「ウェリントンの戦い」という(かの有名なサリエリが初演奏で指揮をしたという)曲も紹介できる。ナポレオンの伝記を翻訳した尚歯会の小関三英を紹介できるし、セントヘレナ島時代の便器を福岡市博物館で見た思い出を書いたりと、非常に美味しい題材だけに勿体無い気はするが、纏まりが無くなるので、捨てる事とした。
さてそろそろ、現代戦の知識を三国志小説へとコンバートする事について語る。
僕の作品、「八門禁鎖陣」は、曹操軍の妖陣「八門禁鎖陣」に、劉備の幕僚である徐庶が趙雲を用いて対処するという、戦闘シーンのみで構成された短編小説である(これに関しては、八門禁鎖陣、「八門禁鎖陣」の執筆(1)、「八門禁鎖陣」の執筆(2)と、過去三回書いてきたので、粗筋等は省略をする)。
この作品は、
「妖陣、八門禁鎖陣がもしも実在をしたならば」
というテーマで、八門禁鎖陣というシステムを構築してみた。それなりのリアリティは得られたのでは無いかと考えている。
ここに出てくる妖陣、八門禁鎖陣であるが、実はこれにはモデルがある。
徐庶の発する説明をちゃんと読んだ方にはご理解戴けたと思うが、これは「アクティブディフェンス」と呼ばれる防御方法の縮小版に過ぎない。
無線機の発達した現代とは違い、三国志の時代には、状況を後方の機動部隊に伝達する手段が発達していない。だから本来の「アクティブディフェンス」を三国志小説にそのまま流用させる事には無理があるだろう。しかしかといって、この様に現代戦の知識が全く意味を成さないという事は無い。三国志小説を書く者としては、戦略、作戦、戦術等について調べる事に意味が無いとは思わない。
2005年11月18日
掌編三国志小説「漆黒の躯」短期連載開始のお知らせ
え~。
作品も書かずに能書きを垂れているだけなのも何ですので、短く一本書いてみます。
宜しく。
舞台は後漢の末、建安五年。
全四回(予定)
参考:夏侯淵の騎馬
「漆黒の躯」ってタイトルだけで、主人公バレてしまっていますね(汗)
三国志の重厚な雰囲気を残したままでで、sf小説を。→参考
(2006年7月1日の追記)
「漆黒の躯」公開を中止。
投稿者 strap : 23:59
2005年11月22日
三国志小説「漆黒の躯」 解説
黄巾力士周倉は人造人間である。
彼を使役した黄巾の賊は、中華征服を企む闇の宗教結社である。
周倉は人々の平穏の為に、今日も悪と戦うのだ。
周倉正式名称
『河川に潜航して機雷の敷設や爆雷の射出並びに魚形水雷の発射を行なう周家湾の船渠で艤装した小型軍船の制御を司る武人周昌を模して周家湾の船渠にて作りし全天候型汎用陸戦兵器』
黄巾力士は張宝が与えた名。
身体の色は、潜水時の迷彩色。
黄巾力士:能力解説
●強力
並外れて強い速筋、力持ち。つまり強力(ごうりき)だ。周倉パンチはダイナマイト百本分、周倉チョップはマッハ15のスピード、周倉キックの威力は、ジャイアント馬場の十六文キックの二倍だぞ。
その人工筋肉は、「神行太保の術(後述)」の下地ともなっているんだ。
●超聴覚
並外れて良く聞こえる耳。一キロ先で落ちた針の音でも聞こえるぞ。常人の可聴音域の外の音まで聞こえるし、生物の聴覚と違い、可聴音域内の音はどの周波数であっても音圧が同じならば、同じ音量で感じ取る事が出来る。極めて強い音圧に対しては、一時的に外耳道内にシャッターを下ろし、鼓膜を保護する機能もあるんだ!!!
●痛覚遮断
痛み等の不快な触覚を、思考によって感じ無くする能力。脳への電気信号自体をカットするので、エンドルフィン等でごまかす訳では無いんだよ。
●超速再生因子細胞
傷などの治癒が早くなる要素が、細胞にある事。但し新陳代謝が早いので、毒などを呑むと回りが早いので注意が必要なんだ。癌なども一日で全身に転移する。俗に言うヒーリング・ファクターの事だよ。
周倉はこれのおかげで、関羽に切り落とされた腕が治ったんだね。
でも心の傷は直せないんだ。悲しみを背負った戦士の宿命だね。
●熱源視覚化
思考トリガーによって視覚をスイッチし、サーモグラフィックセンサーに切り替える。遮蔽物の後も感知できたりするので、暗闇では赤外線暗視よりも便利な事があるけれど、本を読んだりする事は出来ない。スターライトスコープなんかとは違い、突然の強い光で装置自体をやられる事は無い。見れる範囲は、東京ドーム二十個分だ!!
他の黄巾力士や、道士、神仙などが用いる、ホログラフィー分身などを見破るのにも流用可能。
周倉の視覚にはこのほかにも、「ワイドアングル」や「イメージエンハンサ」等、様々な機能が備わっているよ。
●神行太保の術
良く知られた簡単な言葉で言えば、加速装置。カテコラミンの大量放出デバイスを伴う(参考:三国志博物館集解周倉の飛毛)。
周倉は、この状態で「重力軽減装置」を起動させ、上空に飛び上がる事によって、「周倉急降下キック」がだせるんだ!!!「周倉急降下キック」の高さは、東京タワーの十倍だぞ!
「周倉急降下キック」の他にも周倉の必殺技には、「周倉両手パンチ」や「周倉ドリルキック」、「水平周倉チョップ」、「二本背負い」、「中外刈り」、「バナナシュート」、「落差の凄いフォークボール」など沢山だ!
これらの他にも周倉には「重力軽減装置」や「投射撃照準管制システム」、「電気分解に因る酸素の供給」など、様々なひみつがいっぱいあるんだ!!!
(2006年7月1日の追記)
「漆黒の躯」公開を中止。
投稿者 strap : 00:02
2005年12月14日
自作掌編「戦乱の序章」執筆のお知らせ
「漆黒の躯」、「謀臣の資質」に続く実験作品三部作の最後は、張遼を主役とする「戦乱の序章」全三回です。周倉、李儒と、架空の人物や記述の殆ど無い人物と違い、史料が沢山残っていて厄介そうですが‥‥‥実は若い頃の記述は殆ど無いので、又もやヤリタイ放題です。まぁ、有っても都合が悪ければ無視するんだけど(グロックという短銃参照)。
前二作でも、いつもとは大きく文体と作風を変えて書きましたが、今回はカタカナ使います! 三国志小説でカタカナです! いやぁ、ちょいと頑張ってみます。違和感無ければ良いのですが。
今回の作品は初平元年を舞台に、張遼の目を通し後漢終焉のプロローグとも言える時期を描きます。
張遼にとっては敵方にある陳宮、関羽、孫堅。この三人についてそれぞれ語る予定です。どうぞ宜しく。
今回は「物語」というよりも、三国志小説の「予告編」が3つ、とでもいうべき内容にします。個人の思いとしては、三国志小説での自画像でも触れた「わが三国志」という未発表作の予告編でしょうか。
尚、陳宮は後の味方であるし、関羽とは後に親交がある(しかも赤莵を愛馬とする)ので、ここで描く理由がわかると思いますが、孫堅は後の接点はありませんよね。実はこれ、後の合肥の戦いの再現をしようと考えているのです。つまり子の孫権の役を、父の孫堅に演じてもらう訳ですね。祖茂が陳武の役でしょうか(笑)
(2006年7月1日の追記)
「漆黒の躯」公開を中止。
2005年12月15日
自作三国志掌編小説「謀臣の資質」連載開始のお知らせ
周倉を主人公とした三国志小説、「漆黒の躯」に続く実験小説第二弾です。
今回は李儒を主役に物語を紡ぎたいと思います。
又もや何時もとは違う僕の文体をお楽しみ下さい。
考えてみれば、周倉も李儒も、三国志には全く名前の出てこない二人ですね。
李儒が登場する正史は、↓この巻です。
引用文は以下の通り。
『(略)卓乃ち弘農王を閣上に置き、郎中令李儒をして酖を進めしめて日わく、「此の薬を服せば、以て悪をさく可し」。王日く、「我は疾無し。是れ我を殺さんと欲するのみ」。飲む事を肯ぜず。強いて之を飲ましむ。……(後略):(山東の義兵が卓の乱を討つと)卓はすぐに弘農王を閣上につかせ、郎中令の李儒に命じ酖(鴆の羽根を浸した酒)を奨めさせて「この薬を服用すれば、それで悪寒を避ける事が出来ます」と言った。王は「我に疾病は無い。これは我を殺そうと欲しているだけだ」と言った。(王は)飲む事を肯ぜなかった。(なので)これを無理に飲ませた』
又、郎中令を解説した注を、以下に全文引用すると以下の通り。
「王国の官。『続漢書』百官志五に、「郎中令は王の大夫、郎中の宿衛を掌り、官は光禄勲の如し」。秩は千石。」
この郎中令という官名もそうであるが、李儒については謎が多い。これに関しては、「三国志博物館 三国志討論場 悪の軍師李儒」を参照の事。
「謀臣の資質」本編へ
(2006年7月1日の追記)
「漆黒の躯」公開を中止。
2005年12月28日
「謀臣の資質」を書き終えて
はい。「東ハトなげわ」を肴に、バーボン飲んでいます。
「謀臣の資質」という作品、書いている最中は鬱々として、気分が晴れませんでした。今は妙に明るいです。
「漆黒の躯」同様、実験小説として、作風、文体、共に変えてみたのですが、如何だったでしょうか?途中、官能小説にしようとしてしまい、慌てて軌道修正しました(汗)
この物語は、独占欲の強すぎた人物が、善良であった己や幸せな家庭を捨て、悪の道に入ってしまうという物語です。愛憎の並存が主な主題でしょうか。書いてて実に厭でした。僕にはこの手の作品を長編で書く自身はありませんね(滝汗)
ご婦人方には女性蔑視だとお叱りを受けそうな内容ですが、ぼくはここ以外に着地点を見つけられませんでした。ご了承下さい。
囲碁の単語を入れた理由は、囲碁(囲棋・弈) に書いた内容とは異なりますが、それでも李儒という人が計算が得意であった事を表すエピソードとなったと思います。
又、今回は李儒という人を、一般的なイメージである頭脳派としてのみ描く事をせず、文武両道のイメージで書いてみました。剣戟のリズムで書いた様に、僕自身の美味しさは戦闘シーンにあると思うので、僕の三国志作品の主人公達は、概ね剣が苦手ではありません。
あ、又短く一本書きます。「戦乱の序章(仮題)」。張遼(予定)が主役(予定)で全三回(予定)です。
(2006年7月1日の追記)
「漆黒の躯」公開を中止。
2006年01月17日
孫策詔呂範弈棋局図四十三子から
「戦乱の序章」連載の最中ですが、少しお休みをして。
いつか孫策詔呂範弈棋局図で一本小説書きたいと思います(余談ですが、判別のつかない尻文字を「面」として、「孫策詔呂範弈棋局面」とする説もあります)。などと書きましたが、早速その気になってシナリオハンティングしはじめました(汗)タイトルはズバリ「孫策詔呂範弈棋局(仮題)」と、そのままです(汗)
何故四十三子で途切れているのか、何故孫策(と思われる後手黒番)が圧されているのか、という事を、「三国志 卷五十六 呉書十一 朱治朱然呂範朱桓伝第十一 呂範伝」の記述など(特に注に引く「江表伝」の記述)を参考に、僕なりに解釈してみたいですね。
尤も事実であったかの様に作品にはしますが、僕は呉と碁で書いた様に、この棋譜は後の世の創作だと考えています。
ちょっとでも史書に無い事や、史書と異なる事に気付くと、「歴史の歪曲だ!!」と騒ぐ人達がありますが‥‥‥
間違っても、創作と歴史的事実を混同してはいけません!!
物語は物語として愉しみましょう。歴史のお勉強ではありません。
そもそも、小説が歴史に近づかねばならぬという義務はありません。歴史をモチーフにするというのと、忠実な再現とは違いますし、歴史学者でもなく、増しては当事者でもない身に、何故、全くのフィクションを介在させない作品が作れましょうか!
(歴史小説を読んで腹を立てている人を良くみますが、小説は飽くまでフィクション。作者の歴史認識とですら一致する訳では無いのです。これについては、三国志の歴史的事実と、三国志小説を参照)
調べてみて、僕が自分の過去の作品で呂範がどう書いているか、探してみました。
探してみると、唯の一箇所だけ「わが三国志 第三部 張遼離憂(ネット未公開作品)」という作品に(汗)長すぎてネット公開していない作品ですし、折角なのでここに引用します。
張遼の来襲を知った海陵の水軍は全軍総崩れとなった。張遼、洞浦において呂範を破る。四万級の首を斬り、拿捕一万艘。さすれど張遼の病篤く、竟に江都に薨去する。只のヤラレ役でした(笑)
尤も僕の作品では、呉書シリーズ以外で呉書の登場人物がまともに扱われる事は無い傾向です。「わが三国志 第二部 関羽離析(ネット未公開作品)」という作品では、
李術というのは孫策同様兇暴な男で、揚州で軍を破ると、到る所で略奪を働いた。とか、
曹公の軍は、水陸合わせて二十万の士卒であり、迚も適わぬと孫権は怯え震えるばかりで、降服を検討するのみである。又その臣下にも、抗戦を唱える者は唯の一人も無かった。併し、左将軍劉備の幕僚、策士諸葛亮が澱み無き弁説に依って妙策を授けると、智慧無き人々の気持ちも固まり、俄にこれを迎え撃つ次第となった。とか、結構散々です(笑)
シナリオハンティングついでにネット公開する予定の次回作の予告です。
次回作は夏侯惇を主役にした、
夏侯惇出征 ──「わが諸夏侯曹伝」の中──という作品です。お楽しみに。
尚、このタイトルの由来については、中島文学からの影響を参照の事(笑)
2006年02月01日
自作解説:実験掌編小説三篇
今回は、「漆黒の躯」、「謀臣の資質」、「戦乱の序章」と続く三作を解説したい。
●目的
三作は、普段書く文章とは文体と作風を変えて書く事を目的としている。これは自身の練習であると共に、三国志小説として、これらのものが成立するかを実験したものである。
●作品傾向
三作は、史料にあたる事の少なかった作品であり、三国志との関連性はどれも稀薄ではある。
●実験目標
それぞれに、以下の実験を目標とした。
・「漆黒の躯」 SF的作品。三国志の登場人物が人造人間であるという設定で書いた。
・「謀臣の資質」 自作としては初めて、三国志小説に「女性」の概念を入れた作品。回想として、妻とのSEXシーンを簡単に入れる。又、自作として始めて擬音をひらがなで書いた。
・「戦乱の序章」 登場人物がカタカナ語を喋る作品。又、作品というよりも、架空作品の予告編という意味合いの作品。
又三作は全て「俺」を自称する一人称の作品とする事を決めて制作した。
●タイトル
三作はどれも、「AのB」とするタイトルとルールを決めている。
タイトルの内容よりも、発音した時の整い、調子を重視した。
・「漆黒の躯」 三国志物語の登場人物で、体の黒い人と言えば、周倉である。本来「Aの疾風」若しくは「疾風のB」というタイトルを考えたが、安易なので没。「漆黒」で始まるのは、「疾風」の音の名残である。
・「謀臣の資質」 「謀臣」の語は、作品本来の意味から言えば、「謀士」の方が近いが、音を重視して、「謀臣」とした。又「資質」は本来、「先天的な能力」という意味であり、「後に身に付いた能力」という意味はもたないが、矢張りこれも音を取って無視した。初期タイトル「謀士の才能」。
・「戦乱の序章」 「戦乱」という言葉に違和感があるが、使いたいので使用。元ネタは「奇書三国志」で有名な伏見氏の「ブルーフォレスト戦乱」。又、「序章」という程の時期を描いている訳でもないが、「戦乱」と組み合わせた時の音からこの語を選ぶ。
●中島敦作品からの影響
本三篇は、文体と作風を変えて書く事を目的として書いた作品である。
故に、知らぬうちに影響が滲みでてきている様に分析する。
例えば、「漆黒の躯・第三回」などは、中島敦作品「悟浄出世」における沙悟浄と南海の観世音菩薩摩訶薩とのやり取りの影響を受けている様に思う。同回で左慈が
「見事な領解である」と言ったり、「漆黒の躯・第四回」で、周倉が
「神鎚に撃たれ己を得、そして今峨嵋山の左老師に値遇し、豁然大悟致した。浄業する名を周倉と云う」と、仏教の用語を用いるのもこの為である。
「謀臣の資質・第一回」の
事態に気付いた俺は一度、「ヲォーっ」っ、と獣の咆哮に似た叫びを上げると、剣を振り回して男の家を出た。無我夢中であった筈なのに、何故か夕月の暗さと秋風の冷たさを覚えている。それは俺の記憶では無く、後の印象だったのかも知れない。何にせよ、どちらでも好い事である。というシーンは、「山月記」の
一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上がると、何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。というシーンに似ている。主役である李儒が、「獣の咆哮に似た叫びを一度上げる」のも、「三月記」の主役である李徴が虎になる事を無意識のうちに思い出したのだろう。又「謀臣の資質・第三回」の
遂に最期の時が迫っていた。という文句は、「山月記」の
もはや、別れを告げねばならぬ。の影響が色濃い。
参考:中島文学からの影響
●各作品の紹介記事
各作品の紹介記事へアンカーを飛ばす
・「漆黒の躯」連載開始:http://www.mojika.com/flog/archives/2005/11/post_70.html
・「漆黒の躯」途中解説:http://www.mojika.com/flog/archives/2005/11/post_74.html
・「謀臣の資質」連載開始:http://www.mojika.com/flog/archives/2005/12/post_81.html
・「謀臣の資質」あとがき:http://www.mojika.com/flog/archives/2005/12/post_86.html
・「戦乱の序章」連載開始:http://www.mojika.com/flog/archives/2005/12/post_88.html
●総論
表面的な作風と文体を捨てる事で、本質的な自分の作品が見える様になった気がする。
もうこの様な作品を書く事は無いと思うが、自身の身になった三作であった。
(2006年7月1日の追記)
「漆黒の躯」公開を中止。
2006年03月20日
熊蜂の飛行
次回作「夏侯惇出征」の執筆は好調です。短い作品なので、ノッてる時に一気に仕上げます!
とはいえ、天草さんの三国志博物館の三周年記念作品として発表される予定ですので、5月6日まで公開されません(汗)
現在詰めの合戦シーンを書いているのですが、ここ、実はイメージしている楽曲があるので紹介。こういうシーンを僕は頻繁に
殷々と轟くなどと表現しますが、今回は騎馬による急襲と、そこから放たれる無数の太矢という大ピンチが見せ場になります。ここが、熊蜂の飛行という曲を連想させるのです。夏侯惇が左目を失った事件に関する事で説明した「流矢」の激しいイメージが、このシーンの重要なポイントだと思うのですが、書いている最中、頭の中ではこの楽曲が鳴りっ放しです(笑)
皆さんも一度聞いてみて下さい。
熊蜂の飛行は、ロシアの作曲家、ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー・コルサコフの歌劇「皇帝サルタンの物語」の間奏曲なのだそうです。元々、劇中で白鳥を熊蜂の大群が襲うシーンで用いられていた曲なのだそうで、そう聞くと確かにそんなイメージの曲ですね。
熊蜂の飛行を近年有名にしたのは、これをアレンジしたmaksimの「バンブル・ビー」だと思います。本邦でのデビューアルバムザ・ピアノ・プレイヤー
の第一曲目でもある「バンブル・ビー」は、その発売当時(2003年6~7月)、全国のレコード店でどこでもプロモーションビデオが流されていましたね。帯自体にも、
鍵盤のプリンス、旋律のマジシャン。噂の「バンブル・ビー」収録!!なんて煽り文句が書いてある位ですし。
2006年03月24日
感想文からの自作解説
先日アマチュア三国志小説作家仲間のeiさんから、自作三国志小説
「わが三国志 第一部 陳宮離落(ネット未公開作品)」
の感想を戴いた。
eiさんは関中平話という作品を公開している優れた作家であるので、矢張り感想文から気付かされる事は多い。
なので今回は、本人の許可を取り、その文を紹介しようと思う。
尚、eiさんからの称讃は世辞もあろうから、賛辞を三割程度に考え、ここでは割愛させて戴く。
先ずは一通目。
陳宮と云う存在に血が通っている…それが第一の印象です。登場人物のモデルに書いた様に、僕の作品の多くの登場人物には、一人一人にモデルがある。無論、作品は僕を介して書く訳で、そのモデルは僕の性格の一側面である事は多いが、この陳宮という人は、特別に僕の性格に近づけて書いた人物である(これに関しては一度、三国志小説での自画像に書いた)。それ位意識して書いたので、「血が通っている」という評価はありがたいと思う。しかし、という事は、僕自身が「痛快な主人公と云う像には遠」い人物なのだろう(泪)
自信や自負がありながら、それが揺らぐことがあったりするあたりは、非常に人間らしいと感じました。
また、対人の評に関しても能力的な自身との比較と、好意・嫌悪が入り交じっているあたりも、そう感じました。
但し、この点は痛快な主人公と云う像には遠く、所謂『大衆ウケ』には繋がらないかも知れないと感じました。
多彩な登場人物、とくに棗顧問の存在感が大きいこともその要素ではないかと考えます。
しかし元々僕の作品に「痛快」な作品なんて無いのだが‥‥‥(汗)
又僕はスターウォーズやっとみましたに少し書いたが、三国志物語を「群像劇」だと思って書いているが、その為に主人公よりも魅力的な脇役を多く書いてしまった様だ。反省。尚、「棗顧問」と書かれている人物は、棗祗のことである。
eiさんの掲示板には、これに関する補足をして戴いている。
「血が通っている~」に次いで感じたのは、「好きな分野を書いておられる」と云うことでした。まぁ、これに関しては、三国志と馬や、発石車を見ていただければ解る様に、僕は合戦を描くのが大好きなので。やはり合戦は三国志小説の華であると思う(ネット上で公開している作品には少ないですが)。
特に、戦闘の箇所は…。
さて二通目ですが、
私はこのシーンが『大伴作品の特長』の善く顕われている部分と捉えています。との事でした。ここでeiさんが述べたシーンの一部は、剣戟のリズムというエントリーで紹介している。尚「大伴」というのは、僕の別名だ。
緻密で隙のない描写は、臨場感にあふれており‘暗殺未遂’でありながら、血が沸くような印象さえありました。
体の部位や動きをいちいちに渡って描きつつも、テンポとのバランスも見事だとおもいます。そして、刀の紹介。
私はこれこそが『特長の具現』と感じるのです。
こだわりを以て描き、知識ある者にウケる深み…これが、私の中の『大伴作品』です。
僕の見るところ、eiさんはこの分野(斬り合い)を最も得意とする作家である。そのeiさんにこう言って戴けたのは、何ともありがたい。こういう剣戟も僕が得意とする分野であるのだという事に自信を持った。
eiさんの感想を読むと、己の作品をおぼろげながら客観視できる。僕も互いに切磋琢磨していく為に、eiさんの新作があれば、感想文を書きたいと思う。
追記:もし自作「わが三国志 第一部 陳宮離落(ネット未公開作品)」を読んでみたいという方があれば、大伴銃砲火薬店私書箱まで連絡戴きたい。
2006年04月09日
自作「謀臣の資質」について
作品自体は→こちら
参考:「謀臣の資質」を書き終えて
自作解説:実験掌編小説三篇
先ず、この作品は、「故国」という作品の焼き直しである。つまり、魯迅「故郷」や初恋の人の事で書いた内容を作品としているだけとも言える。失ったものを、過剰に美化しているというところが、共通のテーマなのだ。失ったものこそ「故山」と「妻」との違いはあるが、同じテーマを、自分では知らず二度も書いてしまっていたという事になる。無論、二人の喪失感に耐える方法には大きな違いがあるし、その結末には小さな差があるが、しかし基本的に同じ主題の作品であるとも言える。
しかし、この作品独自の主題も存在する。それが
「愛する人への執着心が強すぎる故の過ち」
である。
僕自身、恋人を独占したいという欲はある。誰か他の男の車に乗った、などと聞けば、矢張り好い気持ちはしない。男なら誰しも気持ちは解るだろう。
主人公である李儒は、妻の昔の男が現れた事で、妻に裏切られた様な気になる。実際妻側としては、そんな気は無いのかも知れないが、独占欲の強すぎる男にとっては明らかな裏切りであった。それで主人公李儒は人を斬り、出奔するのである。
作品を書いている最中は気付かなかったが、この設定は何かに似ていると最近気付いた。そう、山田洋次監督作品、「幸福の黄色いハンカチ」だ。
以下は映画を知らない人の為の、あらすじ前半部。
高倉健は、武田鉄矢 、桃井かおりと偶然知り合い、北海道を旅する事になる。高倉健の目的地は夕張だった。この後、警察の検問で高倉健が服役を終え、刑務所を出所したばかりであるという事が判明。高倉健は六年前に傷害事件を犯していたのだ。当時高倉健は妻、倍賞千恵子に離婚暦があった事を知り立腹していた。妻の流産もあり、苛々していたところに酒場で喧嘩を売られ、相手を殴り殺していたのだ。刑期を終える直前、高倉健は妻倍賞千恵子に手紙を出していた。「おまえが良い男と再婚して、幸せになってくれている事を願う。もしまだ独りで暮らしているなら、庭先に黄色いハンカチをつけておいてくれ。もし無ければ、俺はそのまま去る」。高倉健の旅は、そのハンカチを確認する為のものだった。
あらすじを書くだけで泪が、止まりません。日本映画の傑作中の傑作。名作の中の名作でしょう。未だ観てない人は、是非見て下さい!
この映画を思い出した時、自分の作品の「独占欲」のモデルがわかりました。正にこれだったのですね。
男は誰しも、この罪を犯す直前の高倉健の気持ちは解ると思います。愛する気持ちが強いが故に、相手に隠し事があった事に腹を立ててしまうのです。それが結婚の前歴であれば、尚更でしょう。
尤も映画の主題はそこでは無く、話は愛の美しさを描く訳ではありますが、僕にとっては本当に印象深いシーンであります。
自作「謀臣の資質」は、この映画に影響を受けて作られたのだなぁと、気付きました。
2006年04月26日
『元譲出征』にタイトル変更
孫策詔呂範弈棋局図四十三子から
夏侯惇が左目を失った事件に関する事
熊蜂の飛行
情報を与えるタイミング
等で次回作のタイトルを「夏侯惇出征」としていたが、
「元讓出征」に変更する。
これで本邦を代表する名著、「悟浄出世」の音により近づける。
作品は三国志博物館で同サイトの三周年記念作品として五月六日に公開予定。
2006年05月15日
自作三国志小説『元譲出征』の紹介
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594
や
http://359hh.seesaa.net
で紹介されている様に、天草さんが運営される三国志博物館が先日三周年を迎えた。
同サイトの三周年記念作品である、自作『元譲出征』も、現在同サイト内において公開中である。
『元譲出征』作品URL:http://359tosyo.michikusa.jp/genjyoutop.html
感想掲示板URL:http://i.z-z.jp/?359tosyo夏侯惇を主役とした短編小説で、原稿用紙換算68枚。 楼異、路招、李整、王朗(魏書十三に立伝された人物とは別人)といったマイナーキャラの名前が出る事にもご注目(参考:独自に創作した新しい人物の否定)。 是非に読んで戴きたい。
尚制作過程は
http://o.z-z.jp/thbbs.cgi?id=mojika&p3=&th=10
に記す。
参考:
夏侯惇が左目を失った事件に関する事
熊蜂の飛行
『元譲出征』にタイトル変更
投稿者 strap : 01:29
2006年06月14日
新作執筆開始
独自のルールというエントリーや曹操を小説化する事についてというエントリーで、
僕は曹操(と呂布、劉備、諸葛亮の四名)は作品に出さぬと書いたが、次回作では曹操(と劉備)を書く。
時代的には、しすさんの書く三国志小説論とほぼ同じ時代である。僕の作品としては、「謀臣の資質」の少し前となるだろうか(「戦乱の序章」とは全く同じ時代であるが、設定が異なる)。
タイトルは、「英雄と名将の立つ風景」という。
「名将」が誰を指しているのかは『元譲出征』を参考にして戴きたい。
構想では八回構成。
今回の目標は、「中学生が辞書無しで読める作品」。
現在は第一回を公開中。→第一回
投稿者 strap : 04:19
2006年07月30日
「三国志演義」からの引用部分を、岩波訳で
僕の作品、
は、「三国志演義 第十八回 賈文和料敵決勝 夏侯惇抜失啖睛」から、幾つか引用している部分がある。ここは原文のまま用いた為、わかりづらいという方もあるかも知れない。
それで、これを今手元にある完訳 三国志(2)から、その該当部分の訳文を抜き出し、ここに記す事とする。
尚、上記夏侯惇作品の感想掲示板はこちら。
先ずは
啖睛猛将雖能戦の部分。
中箭先鋒難久持
これは毎回御馴染みの七言詩の部分で、例えば第一回である「宴桃園豪傑三結義 斬黄巾英雄首立功」には、
英雄落穎在今朝 一試矛兮一試刀などと書かれている。
初出便将威力展 三分好把姓名標
さて、岩波訳ではこの部分、
睛を啖う猛将よく戦うといえども、と訳している。と言うより、下し読みのまま、ですある(汗)
箭に中れる先鋒は久しく持さえ難し。
次に
賈文和料敵決勝 夏侯惇抜失啖睛というタイトルであるが、これは、
賈文和 敵と料って勝を決し、と、これも下し読みしているだけである。
夏侯惇 失を抜いて睛を啖う。
最後に、
正中夏侯惇左目、惇大叫一声。急用手拔箭、不想連眼珠拔出、乃大呼曰、父精母血、不可棄也。遂納於口内啖之であるが、これは流石に読み下し文では無い。引用してみよう。
‥‥‥見事に夏侯惇の左目に命中した。夏侯惇はわっと一声おめいたが、、いきなり立った矢を引き抜くと、思いもかけず目のたままでが一緒に抜けてしまった。かれは大声をあげ「父母の血でできたこの目を、捨ててなろうや」とさけぶや、口の中に押し込んでそのまま呑み込んでしまって、‥‥‥
まぁ、訳すとこの様な文になる。僕の作品を読む助けとなれば、と思って引用した。別の訳では調べていない。
投稿者 strap : 05:36
2006年09月08日
連載作の訂正案内
連載中の「墓石村事件」ですが、以下の部分を削除し、大幅に変更しました。
「ラッキーストライク。懐かしいなあ」
と、タコスを摘みながら広瀬さんが言った。
「何がだい、兄ちゃん」
マスターの声は、低くかすれている。喉のポリープ手術か何かの影響だろうと、僕は感じた。
「私は工学部の出身なんです。KITという工科大学はご存知でしょう?」
KITは日本のMITと言われる程の研究機関なんだけど、一般的な認識としては福岡県の三流私立大学だ。
(--中略--)
「そうだった。あんたあの男の、先輩って話だったね」
マスターはゆっくりと、そう言った。
「大学に、マールボロやラッキーストライクを吸う学生は、多かったんですよ。キャメルやキャビンと並んで多かったんです」
ああ、工学部ではそうなのかも知れない。タバコは国によっては、新聞やTVでは広告する事が出来ないんだそうだ。だから、レーシングカーのスポンサーになったり、ウィンストン・カップやキャメル・トロフィーの様な賞を作ったりしてるんだね。特に一九六八年に蓮のマークの車が、ゴールドリーフってタバコ会社の広告を車体に書いてからは、グランプリ・レースでタバコ会社がスポンサーとなるケースが増えたんだ。今も、マイルドセブンなんかがスポンサーになってるよね。
さて、僕の大学時代にかけては、グランプリ・レースではマールボロ・マクラーレン・ホンダというチームが物凄く強くって、とても人気があったんだ。だから車好きの集まる工学部ではきっと、マールボロを吸う学生は、広瀬さんの頃よりももっと多かっただろう。ちなみに、広瀬さんが大学院に入った年は、本邦のホンダ社がロータスにエンジンを供給し、日本人ドライバーの中嶋悟がそこに在籍していたんだ。だから、チームスポンサーだったキャメルも、当時凄い人気があったんだって。
「院で隣の研究室だったバイク好きのユウスケ、彼は祐祐と漢字で書くんですが、彼もラッキーストライク吸っていましたから、懐かしく感じたんです。彼は当時SUZUKIのバイクに股がっていまして、それはRE5という、ロータリーエンジンを載せたものでした」
バイクと四輪という違いはあっても、同じロータリーエンジンを積んだ車のオーナーとして、話が合ったんだろう。
投稿者 strap : 23:59
2006年09月21日
連載作の紹介
別ブログで連載中の作品への誘導である(汗)
共に現代小説であり、酒や車、銃について書かれている。なのに、非ハードボイルド路線。
「広瀬啓三郎」の名前の由来は、「マツダ K360」から。モデルは登場人物のモデルの「大学の時の先輩」。
その担当教官「宮田出巳夫」の名の由来は、「マツダ MX-5 ミアータ」と「マツダ デミオ」。モデルは、結城丈二に見るカッコいい登場人物に書いた「僕の大学時代の担当教官」。
しかし広瀬の愛車は、「マツダ ファミリア ロータリークーペ」のエンジンを積んだ「マツダ ファミリア ロータリーSS」の設定。
現在連載中:墓石村事件
連載終了作:渾名の真相
投稿者 strap : 06:56
2007年03月26日
周倉掌編「赤壁鏖兵」
地味にサイドバーにあるので、既にご存知の方もあったでしょうが……
「漆黒の躯」の続編を、極稀に微妙に更新中です。
孫策詔呂範弈棋局図四十三子からで引用した
曹公の軍は、水陸合わせて二十万の士卒であり、迚も適わぬと孫権は怯え震えるばかりで、降服を検討するのみである。又その臣下にも、抗戦を唱える者は唯の一人も無かった。併し、左将軍劉備の幕僚、策士諸葛亮が澱み無き弁説に依って妙策を授けると、智慧無き人々の気持ちも固まり、俄にこれを迎え撃つ次第となった。とは大分印象は異なります。
周倉短編小説である「漆黒の躯」を読みたい方はコチラまで(現在未公開作品 70枚)。
投稿者 strap : 22:05
2007年07月01日
「赤壁鏖兵」のプロローグ部分
周倉掌編「赤壁鏖兵」で紹介した、三つの掌編からなる「赤壁鏖兵」を先日終えた。
そのプロローグに当たる短編小説を、限定的に公開する。
公開はこちら
公開は2007年7月の晦日までの予定。
周倉、廖淳(後の廖化)、孫乾、左慈、そして祝融。三国志のバイプレイヤー達の活躍をお見逃し無く。
※注:マイクロソフト社のマイクロソフトワードが無ければ見れません。
公開終了
2008年02月03日
新連載開始しました
短期で犯罪小説を連載する事にしました。
まぁこれを実際に書いたのはもう六~七年程前ですけれども。
謎解きクイズみたいなものです。
宜しく御願いします。
作品はこちら → 設題1



