白沢図@白沢図A白沢図B白沢図C白沢図D白沢図E白沢図F白沢図G白沢図H |
列を細くしてゆっくりと進むと、確かに恪が想像した様に、谷川の流れる音も聞こえてきた。最早深山幽谷と表現する事に、何の躊躇いもいら無い位の奥地である。どの様な事が起きても不思議では無い気がした。話を聞けば、その山径の通行を妨げているのは、どうやら魑魅罔両の類いである。私はその様な自然の存在に対して、対抗の手段が有る物かと、不安に成ってしまった。しかしそれを悟って恪は、 「なに、相手が精怪だからとて、恐れずとも良い。何とか成る」 などと簡単に言う。常々彼の知勇兼備な事を敬う私であったが、流石にこの時はその、あまりの剛胆さに驚いてしまった。この男の自信は、一体何処から湧いて来る物かと、当時は良く思案したものだ。経験や知識に裏打ちされた自信と言うには、少々大き過ぎる。彼が誇大妄想狂だと陰口を叩かれた所以であろう。しかし彼のそれは、勝気な者が持つ、自己を尊大に見せようとするそれでは全く無い。それに威張っては居ても、勝気の傍若無人とは、全く質が違った。真から己の能力に自信があるのだ。であるから、他人が失敗を恐れて退く様な事にも、彼は率先して取り組む事ができた。彼の弱点と言えぬ事も無いが、それは、彼の大きな持ち味であり、最大の武器であろう。彼自身の天分の才能は、その明晰な頭脳や勇猛な性質などよりも、その強気の方にあったのかも知れない。 さて現場に到着すると、確かにそこには奇妙な者がいた。それは艶々とした膚の、毛のない小人で、膝から下が地に埋まっており、こちらに手を伸ばしている。明らかに、人の世の者では無かった。悍ましい。一目視ただけで、肌に粟が立つ。場を妖気が支配している事が私にも感じ取れた。 「伯先、先ずどう対処しよう」 と恪は楽しむ様に私に聞いた。 「先ずは箭を放ち、蝟に致しましょう」 と私は答え、彼が「うむ」と答えるので射させたが、箭はそのまま突き抜けただけで、小人の傷は直ぐに癒えて了った。 「次策は、如何致そうか」 「武芸を誇る者数名に斬らせます」 私はその問いにこう答え、彼が「うむ」と答えるので準備をさせた。 三人の屈強な兵士が鶴膝を構え、間合いを取って振り下ろす。すると小人は、青い半透明な汁を撒き散らし、見事に切り刻まれて了った。 生臭い風がしたが、私達は安堵し、怪異が去った事を喜んだ。安心して、その内の一人が小人の死を確かめに近付く。その時。 嗚呼、今考えても寒気がする。その兵の、我々の、何と不用心な事か。その時、小人は瞬く間に身体を修復、再生させ、その兵の右腕を掴んだ。それは恐ろしい程の剛力らしく、掴まれた兵の骨が砕ける厭な音が、我々の耳に届いた。 どう仕様も無い私の横を、「いかん!」と、鐙を蹴って恪が馬を下り、一瞬の内に間合いを詰め、腰の軍令刀を抜く。と、素早く踏み込み、持ち上げられようとする兵の右臂を、恐ろくべき速さで叩き斬った。男は腕を捕まれ、脇が空いていたからこその飄撃である。無論それは、恪自身の技量と膂力無くして出来る芸当では無かったが、銛々とした百煉の鋼刀無くして出来る物でもなかった。その直刀は、彼が蜀の叔父から贈られた品で、その叔父が、西曹掾の蒲元という男に命じて打たせた、斜谷の「神刀」、三千本余りの内の一本であった。だからこそ、この様な事が可能であったのだ。 恪は左手で兵の胸倉を掴みつつ、後方へ敏捷に飛び退き、 「誰か上腕から縛ってやれ!」 と、上空から降る血を被りながら命じた。近くの兵が気絶した男を引き摺り寄せ、衛生卒が応急手当てを行った。 |