白沢図@白沢図A白沢図B白沢図C白沢図D白沢図E白沢図F白沢図G白沢図H |
黄武年間の頃、蜀の費という昭信校尉が使者として呉を訪れた際、これとの問答を担ったのも恪であった。この費某は、彼の叔父の後継者の一人と目された事もある人物で、後に蜀の大将軍となったと聞くが、魏よりの降将に刺されたとの噂も耳にした事がある。何はともあれ、この費某到着の際、大行皇帝陛下は食事を止められたが、その他は誰も身を起こさなかった。費某はこれを見て、「鳳鳥が翔り来たると、麒は食事を止めたが、兎馬や騾馬共は、それと気付かず食事を続けている」と発言した。これに恪は、「梧桐を育て鳳鳥を待って居たというのに、鷽鳩の類いがやって来て、己は鳳鳥だと囀っている。架々と煩い奴め」と応じた。費某が、蜀という字は如何なる字義かと問えば恪は、「水が在れば濁り、水が莫い物を蜀と言い、目を横にし身を屈め、腹に虫を飼っている」と答え哂う。又費某が、「然らば、呉は如何に」と問うたところ、恪は、「口が莫ければ天で、口が在れば呉であり、大海を臨む天子の帝都である」と応えた。蜀では智慧者の声望で知られた費某も、これらの問答で一つも言い返す事が出来なかったので、舌を巻いて蜀に還って往った。この後、蜀にいる彼の叔父はこれに感心し、恪へと駿馬一頭、鋼刀一振を贈って呉たと聞く。 彼の才捷な事は、皆この様であった。大行皇帝陛下は恪の雄弁を好まれ、「藍田生玉と云うのは、真、虚偽に非ざるなり」と、彼の父に謂い讃された。 |